町を歩いていると、突然、一階の住人のベトナム人のおっさんに励まされた事があった。彼は、昔、ボートピープルと呼ばれていたという。ボロ船で大きな海を渡っている途中、日本人の船長さんに救われたそうなのだ。

『マリオ。おまえは何でも悪く考えるよな。生きていればそれでいい。笑って食って前に進め』

 時々、ベトナム料理店の厨房で皿を洗って欲しいと頼まれることがあった。今思うと、オレに何か食べさせる為に店に誘っていたような気がする。ベトナム人のおっさんの故郷は、今ではコーヒーの産地になっており、日本のコーヒー会社の人が訪れているという。

 オレの子供時代は惨めな事ばかりじゃない。いいこともたくさんある。過去を恥じるのはやめよう。

 先月、五人のイケメンダンサーを従えて歌う甲斐をテレビで見かけて衝撃を受けた。ついに、あいつはデビューしたのだ。ゾクゾクするような感動が突き抜けて涙が出そうになった。それなのに取り残されたような感覚になっている。

 ダルい気持ちを引きずったまま教室の掃除を終えていた。一緒に掃除を終えた男子生徒が埃っぽいが下駄箱のところで言った。

「僕、今からプチトマトとズッキーニの収穫をするんだ。楽しみだな。じゃぁ、マリオ君、さよなら」

「うん。さよなら」

 こいつは園芸部の活動をしている。他人からは地味な活動のように見えても本人は生き生きしている。好きなことに打ち込めるというのはいい事だ。

 剣道部、柔道部、野球部、バスケ部、陸上部。青春の息吹を放っている奴等の姿が眩しく感じられる。

「いっけなーい、バイトに遅れちゃうよ!」

 そんな事を言いながらオレを追い越した女生生徒の後姿が遠ざかっていく。オレは、学校の渡り階段を下りながら顔をしかめていた。

 村上に殴られて以降、左肩の可動域が狭くなっており前のように踊れなくなった。だから、ダンスは辞めた。リハビリをすれば良かったのかもしれないが手遅れだ。でも、普通に生活するには何の支障もない。

 ミーン・ミーン・ミーン。まるで町全体が暑さに呪われているかのようだ。爆発的な暑さは身体に堪える。明後日は終業式。

 もうすぐ夏休みが始まろうとしている。何をウジウジしているのだろう。頬を歪めながら下駄箱に上履きを突っ込んでいく。

                ☆

 なぜだろう。自分でもよく分からないか、昔暮らしていた街へと向っていた。高架下を通り抜けていく。ゴチャッと乱雑な路地に入る。記憶の中のものとは景色が違う。子供時代を過ごしたアパートは跡形も無くなり。アパートの脇にあった駄菓子屋も消えている。

 アパートのあった場所にはローソンと牛丼屋が建っていた。そこから徒歩で十五分。大きな池のある公園に行ってみる事にする。けれども、消えている。ダンボールハウスの人達はどこに行ってしまったのだろう。役所の人達が彼等をどこかに連れて行ったのかもしれない。