『なあ、マリオ、おまえってさ、好きな子とかいねぇのかよぉ』

『あんまり、そういうの考えた事はないな。ダンスが恋人だ』

『おおっ、オレもそうだわ。オレは絶対にデビューしてやる。世界中に歌声を響かせてやる』

『甲斐は音楽の女神に恋しているんだよな』

『そうさ、浮気はしないぜ』

 甲斐は、少し童顔のファニーフェイスを崩してクスクスと笑う。甲斐の童顔も女子には人気があった。

 あの頃のオレは、フアフアした恋愛よりも月々の支払いや食費の事で頭が一杯だった。それでも、時々、フッと一人の女の子を見つめる事があった。

 どうしても、磁石のように彼女のもとへと視線が引き寄せられていったのだ。この衝動は何なのか分からないけれども、正体不明の情熱が胸に跳ね返る。切なさに似た感情が溜め息となって漏れ落ちていく。

 高円さんの肌は白く透き通っている。ふっくらとした頬と円らな瞳が小動物みたいに可愛くて、どこか、あどけなく見える。そして、真っ直ぐな長い髪はサラサラしている。

 他にはこんな事があった。三月の上旬の出来事だった。シトシトと冷たい雨が降っていたが、オレは傘を持っていなかった。仕方なくズブ濡れで帰ろうとしていると、高円さんが校門の前で驚いたように声をかけてきたのだ。

『山田くん! 傘はどうしたの? ねぇ、待って、一緒に帰りましょう。風邪、ひいちゃうよ』

 切実な目をしていた。彼女が、こんなふうに話しかけてくるなんて珍しい事だった。

『一緒にって……。ええっ、二人で傘をさしたら高円さんが濡れるよ』

『ママが車で迎えに来るの。途中まで同じ方向だから車で帰ろうよ。ほら、来たよ』

 小型のベンツで颯爽と現れた高円さんの母親はニコニコしながらオレを迎え入れてくれた。

 高円さんの母親は、始終、朗らかだった。オレを木造二階建てのアパートの近くまで送ってくれたのだ。

『ここから先は狭くて車で入れないわね。山田くん、ビニール傘を持って行きなさい。傘は返さなくていいわよ。うちには似たようなビニール傘が何本もあるから引き取ってくれると助かるわ』

 コンビニなどで売っている安物なのかと思い、会釈して受け取った。後で調べてみると、銀座で売っているような高価なものだった。今も、大切に使い続けている。

 高円さんは、その作文を書いたのはオレだと気付いているかもしれない。黒歴史とも言える作文を読まれたことで色んな思い出が蘇ってきた。すっかり、疎遠になっているか、貧乏だった頃、周囲の大人たちが見守ってくれていた。

『ほらほら、マリオちゃん、こっちにおいで』

 冬になると、隣室の一人暮らしの五十歳ぐらいのオバちゃんが、お手製の肉まんを食べさせてくれた。

『マリオちゃんは、今日もお留守なのかい? 火の元に気を付けなさい。戸締りに気をつけなさいよ』

『おばぁちゃん、ありがとう』

 確かに貧しかったけれども、近隣の大人の温かい眼差しがあったのだ。