リビング兼作業場は、八年前のままだった。そこに集まるメンツも同じ。
 皆、あの漫画の続きが気になって、連載も放り投げて来たのだと思ったらおかしかった。
 けれど何より驚いたのは、息子の彰がいたことだ。
 息子といっても、血のつながりはない。彰は元嫁の子供だ。そして今も実の母親と一緒に暮らしている。
「彰くん、久しぶりね。元気にしてた?」
 とりあえず声を掛けてみる。父親の遺伝子を強く引き継いだ彼はさっぱりとした短髪の似合う男前で、スッと通った鼻筋は国宝級だ。目に焼き付ける。
「別に」
 彰はスイと目を逸らし、そっけなく言った。
「皆さん、この度はアシスタントにご応募いただき、ありがとうございます」
 葉山リアの息子、馨が言った。
「新堂さんと彰も、協力してくれるということで、来てくれてありがとうございます」
 ここにいるのは、葉山リアの元アシスタント三人と、編集の新堂、彰、馨の六人。
「馨くん……真実を明らかにしたいって……何かあの事件のことで、分かったことがあるの?」
 金森百合が言った。彼女は現在、異世界恋愛小説のコミカライズを担当している。当時高校生だったから、まだ二十代半ばのはずだ。明るい茶髪は肩口で切り揃えられ、外に跳ねている。漫画家というより、アパレル店員のような風貌だ。顔もアイドルタレントのように可愛い。
「母の漫画を見つけたんです」
 馨は静かに、なんでもないことのように言った。
 ハッと息をのんだのは、私だけではなかった。彰も驚いた顔をしている。
「漫画って……ソメコイ?」
 と聞いたのは、現在葉山ララとして活動している佐々木舞子だ。
「いえ、この家で行われていたこと……母が殺される原因となった出来事の漫画です」
 今度は複数の「えっ」という戸惑いの声が上がった。
「それは……どこにあるの?」
 新堂が聞く。わかりやすく顔が引き攣っていた。
「安心してください。誰にも見つからない場所に保管してあります」
「リア先生を殺したのは……一体誰なの?」
 金森百合が前のめりに問う。
「母の漫画だけで判断することはできません。ですから、皆さんに来てもらったんです。あの漫画は母の視点でしかない。僕は他の視点も描いていきたい。そうすることで、母の漫画は『証拠』として成立すると思うんです」
 重い沈黙が流れた。証拠として成立する漫画……一体、何が描かれているのだろうか。
 そもそもそんなものが存在するのだろうか。馨は葉山リアの死の真相を突き止めるために、かましているだけかもしれない。
 しかし……と私は横目で新堂を見やった。さっきから新堂の様子がおかしい。新堂は葉山リアの担当編集だった。もしかしたら、何か知っているのかもしれない。
 私は神妙な面持ちで、誰かが口を開くのを待った。
 沈黙を破ったのは、カンカン、というノック音だった。この家のインターホンは電池が切れている。今のは玄関をノックする音だ。
 馨の涼しげな瞳に苛立ちがこもった。
 馨は玄関へ向かった。口を開く者はいない。盗聴器が仕掛けられているかもしれない。
 話し声が聞こえてくる。耳を澄ませるが、会話を聞き取ることはできない。
 やがて、馨は見知らぬ女と戻ってきた。
 二十代後半くらいの、どこか鋭利な雰囲気を纏った女だ。高身長で、長い黒髪をひとまとめにしている。華やかな顔立ちは、異国の趣があった。
 女は姿勢良く頭を下げると、胸ポケットから「こういう者です」と警察手帳を取り出した。
「なんで……警察が?」
「突然申し訳ございません。私は当時の事件担当ではありませんが、あの事件について、葉山馨さんと同じ疑問を持ち続けていました。組織として捜査することはできませんが、個人でできる限りの調査をしていきたいと考えております」
「ちょっと……警察って言ったって、あんた事件当時まだ十代でしょ? リア先生のファンなんじゃないの? 職権を利用して、人様の問題に首を突っ込むのはやめなさい」
 最年長の新堂が言った。私も頷く。
「そうよ。リア先生の職場に入りたかっただけなんでしょう。警察手帳出せばなんだって許されると思わないで。不愉快だわ」
 佐々木舞子が同調する。
「僕が許可したんです。不満がある方はどうぞ、退室していただいて結構です」
 馨が言った。
「警察だからなによ……部外者に変わりないじゃない。これから私たちは話し合って、もしかしたら真相に辿り着くかもしれない。そうなった時、その女は自分の手柄にするんでしょ。私、そんなの嫌。だったら交番の警察官の手柄になる方がマシ」
 金森百合が言った。私も頷く。ハイエナのように家に押しかけてきたこの女の手柄になるくらいなら、無欲な交番警察官の手柄になる方がよっぽどいい。
 警察官は静かに頷いた。
「皆さんのお怒りはごもっともです。私は当時十代で、ソメコイのファンでした」
「ほら」
 金森百合が唇を歪める。
「だから真相を知りたいと言うのは、確かに軽率かもしれません。ですが警察官として、皆さんにお伝えできることもあります。報道されなかった内容を、私は知っています」
 警察官は一人ずつ顔を見回すと、言った。
「犯人は二人です」
 視界の隅で、馨がハッと息をのむのが見えた。その反応は「やっぱりそうか」とも、「知らなかった」とも取れる。 
 ゴクリ、と唾液をのむ音が間近で聞こえた。
「新堂さん……大丈夫ですか。顔色、悪いですよ」
 彰が言い、一斉に部屋の視線が新堂に集った。
「ああ……大丈夫……平気よ」
「犯人は二人って……どうしてわかったの?」
 金森百合が聞いた。
「体には二種類の創痕……傷跡がありましたが、かけられた力が違いました」
 はあ、と私は大きくため息をつき、自ら視線を集めた。
「新堂さん……いつまで犯人を庇うつもりですか」
 私はそう言って、青ざめる新堂に、呆れるような視線を向けた。
「あの漫画、新堂さんも読んだんでしょう? ひょっとしたらパソコンに保存していたりするんじゃないですか?」
 新堂は目尻を吊り上げ、唇を戦慄かせた。
 なんてことを言うの……そんな視線に私はほくそ笑む。
「新堂さんと川島さん……リア先生の漫画を読んだの?」
 金森百合が戸惑いを露わに聞く。
「ええ……あれを読めば、誰が犯人かすぐに分かるわ」
 嘘だった。私は漫画なんて読んでない。けれど新堂の反応で漫画が存在することは明らかで、それを新堂に持って来させるには、すでにその内容を知っている人間がいるのだと知らしめる必要があった。
「新堂さん、その漫画、僕に読ませてくれますか」
「えっ……」
 新堂は狼狽えた。ぎこちなく微笑む。
「どうして? 馨くんも同じもの、持っているんでしょう?」
「同じかは読んでみないとわかりません」
「だったら馨くんが持っている漫画も私に読ませて。あるんでしょう? 葉山リア先生の漫画」
「新堂さん、やめましょうよ。そうやってすぐ高圧的になるの」
 私が宥めると、新堂はキッと私を睨んだ。
「先ほどもお伝えしましたが、僕が知りたいのは別の視点です。母が描いた漫画より、僕は皆さんの視点で当時を知りたい。皆さんから見て、母はどういう人だったのか、僕の知らない所で何が起きていたのか……直接事件と関係なくても構いません。どうか皆さん、当時のことを教えてください」
「教えるったって……」
「ネームを提出しろってこと」
 彰が言った。ネームとは漫画の下書きだ。絵は人物の判別ができて、顔の向きさえわかればいい。そこにセリフやモノローグが加わる。
「僕はそれを元にあの漫画の続きを描きます」
「あなたね、それがプロの作家にものを頼む態度ですか。お母さんが葉山リア先生だからってね、なんでも通用すると思ったら大間違いよ!」
 新堂が怒鳴った。
「不満がある方はどうぞ、辞退していただいて結構です」
 馨は静かに言った。