男の共犯者なんていないのだから、すぐにボロが出ると思っていたが、伊藤彩はなかなか上手に取り調べを切り抜けているらしく、その後の捜査で、真実が明らかになることはなかった。
『伊藤彩容疑者を支援しよう』
冤罪でもないのに、美人というだけで支援団体が立ち上げられた。伊藤の過去の写真が流出したらどうなるのだろう。増えていく支援者と支援金の数字を眺めながら、私は無意味な想像をしてほくそ笑む。
『月城恋の漫画は読みません』
ハッシュタグを付けて誰かが投稿したその言葉は、瞬く間にトレンドに上がった。
シロ『月城恋、伊藤彩の支援団体に入ってる。ありえない。この人の漫画二度と買わないわ。持ってるのも全部捨てる』
私のフォロワーは右肩下がりだ。同じ雑誌の執筆陣が、私を載せるなら寄稿しないと編集部に抗議しているらしい。無期限休載するか、支援団体を脱退するかと迫られ、私は休載を選んだ。
葉山リアが憎かった。顔に悩みのある主人公を描いているくせに、あの女は人を容姿で差別した。見目の良い佐々木舞子と金森百合を可愛がり、ブスと喋ると損とばかりに、私との会話を露骨に避けた。
にもかかわらず、私の行動には口を出した。
『あんた、昨日、南條さんを待ち伏せしていたでしょう。見苦しい真似はやめなさい。あんたみたいな陰気なブスが相手にされるわけがないんだから』
私は秀司さんに妻の不倫と誹謗中傷を伝えただけで、下心なんて一切なかった。決めつけられて、腹が立った。
『……そうやって、すぐにブスって言うの、やめた方が良いと思います。……ソメコイの読者には、顔に悩んでいる子もたくさんいます。ブー子の産みの親である先生は、そういう子たちに寄り添う大人であるべきだと思います』
葉山リアはスッと目を細めて笑った。
『でもね、私のサイン会に来るのは、可愛い子たちばかりなの。……ほら、ファン層ってあるじゃない。ターゲットね。私の漫画は、確かに容姿に悩む女の子が出てくるけど、だからってターゲットはブスじゃないの。自分に自身のない、美意識の高い女の子がターゲットなの』
『でも』
『でも、いるのよね。ぜんっぜん可愛くない、醜い読者が。別に誰が読んだって良いのよ。でも、サイン会に来るのは遠慮して欲しいわよね』
『……それだけ、リア先生に憧れているということでしょう。そんな言い方はないと思います』
『私はあんたに忠告してるのよ。あんた、コンサートとかサイン会とか、よくイベントに行くでしょう。やめた方がいいって言ってるの。誰もブスのファンに来て欲しいなんて思ってないんだから。ファンならね、ちょっとは演者の気持ちを考えなさい』
なんで。
怒りよりも、ひたすらなんでという疑問が頭の中を巡った。
なんで、そんなこと言われなくちゃいけないの。私が何をしたっていうの。
『南條さんも気の毒だわ。ブスに付き纏われて』
葉山リアはせせら笑った。
私は、秀司さんがゲイであることを既に聞き出していた。『良いんです。悪いのは僕なので』と繰り返す彼を問い詰めたら、白状したのだ。
あの美人妻を追い出して、私がそこに収まったら、この女はどんな反応をするだろう。
考えるまでもない。どうしてこんなブスが、と驚愕するだけだ。
分かりきったことだが、その顔を見たいと思った。私にも女としての魅力があることを、思い知らしめてやりたかった。それに何より、人のものになれば、これ以上辛く当たられることもないと思った。
秀司さんは「夫婦」という形さえ維持できれば、相手は誰でも良かった。
外に彼氏がいることを黙認し、セックスも求めない……今の妻と別れる理由はなかった。夫婦間は冷め切っていたが、二人は互いに外に恋人を作っており、仮面夫婦としてのバランスは安定していた。
どうしたらそこに入れるだろう。……私は、秀司さんの恋人と接触した。相手は二十代後半の独身だった。秀司さんとの関係は良好だが、絶対に一緒になれないという寂しさを常に抱えていた。自分はいつでも捨てられる。今だって、本当は弄ばれているだけかもしれない……そう弱音を吐いた彼に、私は提案をした。
『子供ができたって言ってみるの。今の奥さんと別れて、自分の子供を妊娠した女と結婚してくれって。本当にあなたのことが好きなら、あなたの子供を孕った女と結婚するはず。あなたは結婚できなくても、あなたの子供は彼に育ててもらえる。それって結婚と同じくらい強い繋がりだと思わない?』
同じ時期に、新堂が葉山翔平と性交した。私はそれを、隠しカメラで見た。
驚いた。気でも狂ったかと思った。……これを利用しない手はないと思った。
私は葉山翔平を煽った。
『翔平くん……違ったら、良いの。私の勘違いかもしれない……気を悪くしたらごめんね。その……新堂さんと……そういうこと、してる? ご、ごめんねっ! そんなわけないよねっ……え、もしかして、本当、なの? え、え、え、え……じゃあ、妊娠したって……翔平くん、の……あれ、本当だったんだ。新堂さん、二十も離れた相手と結婚するって。最初は上かなって思ったんだけど……話聞いてると年下っぽいし……もしかしたらって、思って。……うん。できちゃったみたい。ああ、なんてこと。翔平くん、もう死ぬまで逃げられないね』
葉山翔平は哀れなほど単純だった。
『……たしか来週の日曜、お母さん取材で家にいないよね? その日に新堂さんにハッキリ伝えた方がいいよ。馨くんは彰くんの家に行かせて……だって、聞かれたら困るでしょ? 私、新堂さんが家に行くように、協力するから』
そして東京を離れていた葉山リアを、『今なら浮気現場を押さえられます』と言って呼び戻した。
うまくいった。
あの家には至る所に隠しカメラが設置されていた。私は葉山家の住人の生活の全てが見たかった。何をするわけでもない。彼らの生活を隅々まで観察し、一人愉悦に浸りたかった。
だから一部始終を見ていた。葉山翔平が母親の腹をナイフで突き刺すのも、侵入者が現れたのも。
私はパソコンを起動し、あの場面を再生した。『ひっ』という短い悲鳴の後、『だ、大丈夫ですかっ!』と切羽詰まった声が流れる。
シャッとカーテンが開く。街灯を取り込んだリビングが明るくなり、侵入者の顔がハッキリと映った。今の伊藤彩とは似ても似つかない、気の毒になるほどのブスだった。
『早く……救急車を……』
葉山リアは自ら体を起こし、ソファの背にもたれかかった。腹を押さえ、苦しげに喘いではいるが、生死を彷徨っているような緊迫感はない。
『は、はいっ!』
サダコがスマホを操作する。
『なに、それ』
葉山リアが視線を向けたのは、サダコが驚きのあまり床に落とした大きな紙袋。高級バッグが飛び出している。
『それ……私の』
『ち、違うんですっ……私、返そうと思って……』
『あなただったの』
『私はっ』
『いいのよ。……いいから、早く……救急車と警察を呼んで』
サダコは素直にスマホを操作したが、ふいにその手が止まった。
サダコは思ったはずだ。この状況を作り上げたのは誰か。直前まで通話していた、葉山翔平なんじゃないか。葉山リアは、息子に刺されたと正直に警察に伝えるだろうか。
このままでは、自分は、翔平の罪を擦りつけられるんじゃないか。
『私、ソメコイのファンなんです』
尊敬する作家に優しい言葉を一言でも掛けてもらえたなら、好きな男の罪くらい、被る気になったかもしれない。
『毎週欠かさず読んで……単行本も、全部持ってますっ……』
なんなら被りたかったのかもしれない。サダコの切羽詰まった声音に、私は思った。
腹を刺されたのだ。この状況でファンと言われて喜ぶ人間はいないだろう。それでも、葉山リアは礼を言うべきだった。ファンのために、無理にでも微笑むべきだった。
葉山リアの目尻が、残虐に吊り上がった。
苦しげに歪んでいた唇が、卑屈な笑みを浮かべる。
『悪いけど……あなたは……ソメコイのターゲットじゃないの』
その瞬間、サダコの顔から表情が抜け落ちた。キッチンへ行き、包丁を手に葉山リアの元へ向かう。サダコの殺意に気づいた葉山リアはギョッと目を見開き、立ちあがろうとするが無理だった。這うようにして逃げる。その背中を、サダコは二度突いた。
気づけば私は前のめりに画面を凝視していた。何度見ても、このシーンは息が詰まる。
画面の中でサダコは泣いている。憧れの作家に否定された悲しみからか、犯してしまった罪の重さを嘆いてか……
大丈夫、と私は胸の内で言う。
大丈夫、あなたは悪くない。あなたの罪は私が手を尽くして軽くする。
支援者の多くが、綺麗なあなたのファンだとしても、私だけは昔のあなたの味方。
『伊藤彩容疑者を支援しよう』
冤罪でもないのに、美人というだけで支援団体が立ち上げられた。伊藤の過去の写真が流出したらどうなるのだろう。増えていく支援者と支援金の数字を眺めながら、私は無意味な想像をしてほくそ笑む。
『月城恋の漫画は読みません』
ハッシュタグを付けて誰かが投稿したその言葉は、瞬く間にトレンドに上がった。
シロ『月城恋、伊藤彩の支援団体に入ってる。ありえない。この人の漫画二度と買わないわ。持ってるのも全部捨てる』
私のフォロワーは右肩下がりだ。同じ雑誌の執筆陣が、私を載せるなら寄稿しないと編集部に抗議しているらしい。無期限休載するか、支援団体を脱退するかと迫られ、私は休載を選んだ。
葉山リアが憎かった。顔に悩みのある主人公を描いているくせに、あの女は人を容姿で差別した。見目の良い佐々木舞子と金森百合を可愛がり、ブスと喋ると損とばかりに、私との会話を露骨に避けた。
にもかかわらず、私の行動には口を出した。
『あんた、昨日、南條さんを待ち伏せしていたでしょう。見苦しい真似はやめなさい。あんたみたいな陰気なブスが相手にされるわけがないんだから』
私は秀司さんに妻の不倫と誹謗中傷を伝えただけで、下心なんて一切なかった。決めつけられて、腹が立った。
『……そうやって、すぐにブスって言うの、やめた方が良いと思います。……ソメコイの読者には、顔に悩んでいる子もたくさんいます。ブー子の産みの親である先生は、そういう子たちに寄り添う大人であるべきだと思います』
葉山リアはスッと目を細めて笑った。
『でもね、私のサイン会に来るのは、可愛い子たちばかりなの。……ほら、ファン層ってあるじゃない。ターゲットね。私の漫画は、確かに容姿に悩む女の子が出てくるけど、だからってターゲットはブスじゃないの。自分に自身のない、美意識の高い女の子がターゲットなの』
『でも』
『でも、いるのよね。ぜんっぜん可愛くない、醜い読者が。別に誰が読んだって良いのよ。でも、サイン会に来るのは遠慮して欲しいわよね』
『……それだけ、リア先生に憧れているということでしょう。そんな言い方はないと思います』
『私はあんたに忠告してるのよ。あんた、コンサートとかサイン会とか、よくイベントに行くでしょう。やめた方がいいって言ってるの。誰もブスのファンに来て欲しいなんて思ってないんだから。ファンならね、ちょっとは演者の気持ちを考えなさい』
なんで。
怒りよりも、ひたすらなんでという疑問が頭の中を巡った。
なんで、そんなこと言われなくちゃいけないの。私が何をしたっていうの。
『南條さんも気の毒だわ。ブスに付き纏われて』
葉山リアはせせら笑った。
私は、秀司さんがゲイであることを既に聞き出していた。『良いんです。悪いのは僕なので』と繰り返す彼を問い詰めたら、白状したのだ。
あの美人妻を追い出して、私がそこに収まったら、この女はどんな反応をするだろう。
考えるまでもない。どうしてこんなブスが、と驚愕するだけだ。
分かりきったことだが、その顔を見たいと思った。私にも女としての魅力があることを、思い知らしめてやりたかった。それに何より、人のものになれば、これ以上辛く当たられることもないと思った。
秀司さんは「夫婦」という形さえ維持できれば、相手は誰でも良かった。
外に彼氏がいることを黙認し、セックスも求めない……今の妻と別れる理由はなかった。夫婦間は冷め切っていたが、二人は互いに外に恋人を作っており、仮面夫婦としてのバランスは安定していた。
どうしたらそこに入れるだろう。……私は、秀司さんの恋人と接触した。相手は二十代後半の独身だった。秀司さんとの関係は良好だが、絶対に一緒になれないという寂しさを常に抱えていた。自分はいつでも捨てられる。今だって、本当は弄ばれているだけかもしれない……そう弱音を吐いた彼に、私は提案をした。
『子供ができたって言ってみるの。今の奥さんと別れて、自分の子供を妊娠した女と結婚してくれって。本当にあなたのことが好きなら、あなたの子供を孕った女と結婚するはず。あなたは結婚できなくても、あなたの子供は彼に育ててもらえる。それって結婚と同じくらい強い繋がりだと思わない?』
同じ時期に、新堂が葉山翔平と性交した。私はそれを、隠しカメラで見た。
驚いた。気でも狂ったかと思った。……これを利用しない手はないと思った。
私は葉山翔平を煽った。
『翔平くん……違ったら、良いの。私の勘違いかもしれない……気を悪くしたらごめんね。その……新堂さんと……そういうこと、してる? ご、ごめんねっ! そんなわけないよねっ……え、もしかして、本当、なの? え、え、え、え……じゃあ、妊娠したって……翔平くん、の……あれ、本当だったんだ。新堂さん、二十も離れた相手と結婚するって。最初は上かなって思ったんだけど……話聞いてると年下っぽいし……もしかしたらって、思って。……うん。できちゃったみたい。ああ、なんてこと。翔平くん、もう死ぬまで逃げられないね』
葉山翔平は哀れなほど単純だった。
『……たしか来週の日曜、お母さん取材で家にいないよね? その日に新堂さんにハッキリ伝えた方がいいよ。馨くんは彰くんの家に行かせて……だって、聞かれたら困るでしょ? 私、新堂さんが家に行くように、協力するから』
そして東京を離れていた葉山リアを、『今なら浮気現場を押さえられます』と言って呼び戻した。
うまくいった。
あの家には至る所に隠しカメラが設置されていた。私は葉山家の住人の生活の全てが見たかった。何をするわけでもない。彼らの生活を隅々まで観察し、一人愉悦に浸りたかった。
だから一部始終を見ていた。葉山翔平が母親の腹をナイフで突き刺すのも、侵入者が現れたのも。
私はパソコンを起動し、あの場面を再生した。『ひっ』という短い悲鳴の後、『だ、大丈夫ですかっ!』と切羽詰まった声が流れる。
シャッとカーテンが開く。街灯を取り込んだリビングが明るくなり、侵入者の顔がハッキリと映った。今の伊藤彩とは似ても似つかない、気の毒になるほどのブスだった。
『早く……救急車を……』
葉山リアは自ら体を起こし、ソファの背にもたれかかった。腹を押さえ、苦しげに喘いではいるが、生死を彷徨っているような緊迫感はない。
『は、はいっ!』
サダコがスマホを操作する。
『なに、それ』
葉山リアが視線を向けたのは、サダコが驚きのあまり床に落とした大きな紙袋。高級バッグが飛び出している。
『それ……私の』
『ち、違うんですっ……私、返そうと思って……』
『あなただったの』
『私はっ』
『いいのよ。……いいから、早く……救急車と警察を呼んで』
サダコは素直にスマホを操作したが、ふいにその手が止まった。
サダコは思ったはずだ。この状況を作り上げたのは誰か。直前まで通話していた、葉山翔平なんじゃないか。葉山リアは、息子に刺されたと正直に警察に伝えるだろうか。
このままでは、自分は、翔平の罪を擦りつけられるんじゃないか。
『私、ソメコイのファンなんです』
尊敬する作家に優しい言葉を一言でも掛けてもらえたなら、好きな男の罪くらい、被る気になったかもしれない。
『毎週欠かさず読んで……単行本も、全部持ってますっ……』
なんなら被りたかったのかもしれない。サダコの切羽詰まった声音に、私は思った。
腹を刺されたのだ。この状況でファンと言われて喜ぶ人間はいないだろう。それでも、葉山リアは礼を言うべきだった。ファンのために、無理にでも微笑むべきだった。
葉山リアの目尻が、残虐に吊り上がった。
苦しげに歪んでいた唇が、卑屈な笑みを浮かべる。
『悪いけど……あなたは……ソメコイのターゲットじゃないの』
その瞬間、サダコの顔から表情が抜け落ちた。キッチンへ行き、包丁を手に葉山リアの元へ向かう。サダコの殺意に気づいた葉山リアはギョッと目を見開き、立ちあがろうとするが無理だった。這うようにして逃げる。その背中を、サダコは二度突いた。
気づけば私は前のめりに画面を凝視していた。何度見ても、このシーンは息が詰まる。
画面の中でサダコは泣いている。憧れの作家に否定された悲しみからか、犯してしまった罪の重さを嘆いてか……
大丈夫、と私は胸の内で言う。
大丈夫、あなたは悪くない。あなたの罪は私が手を尽くして軽くする。
支援者の多くが、綺麗なあなたのファンだとしても、私だけは昔のあなたの味方。