漫画が読めるハッシュタグ
 Xに投稿された四ページ漫画がバズっていると、刑事部屋で話題になった。
 私は漫画に興味がない。十八歳で警察官を拝命し、もう七年になる。昔はそれなりに楽しめた漫画も、身勝手な犯罪者や自業自得としか思えない被害者と接するうちに、「くだらない」としか思えなくなった。
 夜の世界や刑事物を描いた漫画は特に嫌いだ。ちょっと取材しただけで知った気になって、無責任に発信し、読者に偏った知識を植え付ける。未熟な読者がアウトローな世界に憧れ、軽い気持ちで犯罪に手を染めてしまうことを、私はよく知っていた。
「伊藤さんも読みました? 葉山リアの息子が投稿した漫画」
 早見という二十三歳の最年少刑事が私に言った。
 葉山リア。その名前に胸がドッと跳ねた。私が高校時代に流行った「恋に落ちたら黒く染まる手」という大ヒット漫画の作者だ。
 私も「ソメコイ」と略されたその漫画を読んでいた。熱心な読者といっても良かった。
 きっかけは「みんなが読んでいるから」という単純なものだったけれど、読み始めたら夢中になった。
 ソメコイは異色の少女漫画だった。主人公に甘くない世界なのだ。
 女子高生の主人公はイケメンカフェ店員に一目惚れする。けれどイケメンには美人の彼女がいた。主人公はイケメンに振り向いてもらうため、整形を決意する。そのために援交や盗みを働く。やがて不登校となり、妊娠し……とまあ、簡単に言うとケータイ小説の漫画版だ。
 それが当時、社会現象となるほど流行した。
「読んでない。なんて検索すれば出るの?」
 私は興味を惹かれ、聞いた。早見は「葉山リアの息子で出ますよ」と答えた。
 検索窓に「葉山リアの息子」と打ち込むと、すぐに出た。
「伊藤さん、あの事件の担当だったりします?」
「馬鹿。まだ高校生よ」
 早見の問いに答えながら、私はその漫画に目を通していく。
「てか、あの事件の犯人って、捕まってなかったんすね。てっきり捕まったと思ってました。居空きなら、別件で逮捕されてないんすかね」
「あんた、これを読んでも居空きが犯人だと思ってるの?」
 私は呆れた口調で言った。
「いや……すんません。俺、その事件よく知らなくて、テキトーに言いました」
「伊藤、お前はアシスタントの中に犯人がいると思ってるのか?」
 私の所属する五班の班長、梶浦に問われ、私はたじろいでしまった。
「アシスタントの中にいると決めつけるわけではないですが……空き巣犯が住人と鉢合わせしたからと言って、殺害するかな……とは、疑問に思います」
 私が答えると、梶浦は満足げに頷いた。
「俺も同じ意見だ。詐欺師と窃盗犯はコロシを嫌う。手練れなら殺した時のリスクと天秤にかけ、捕まる方を選択する。窃盗と殺人じゃ罪の重さが全然違うからな。ヤっちまうのは素人だ。だが葉山リアの家に出入りしていた空き巣犯は……空き巣犯だとしたら、人の気配を察して寝室に逃げ込んだり、トイレの窓から逃げたりと、冷静な判断がプロのそれだ。住人と鉢合わせして、パニクってヤっちまうような人間とは思えない」
「え……じゃあ」と早見。
 梶浦は早見をギロリと睨むと、「それともう一つ」と続けた。
「葉山リアの死因は失血死。体には二種類の創痕があった。かけられた力の違いから、犯人は二人いるものと推測された」
 私は息をのんだ。
「空き巣犯が二人いたという可能性もあるが、アシスタントが協力して、葉山リアを殺したとも考えられるな。アシスタントと編集、アシスタントと葉山リアの元夫……なんて組み合わせも考えられる」
 早見がスマホを見て、「わっ」と声を上げた。
「葉山リアの元夫って、アシスタントと再婚してるじゃないすかっ! 絶対こいつらが犯人すよっ! 二人でくっつくために、邪魔者を殺したんだっ」
 まるで二時間サスペンスの視聴者のような彼の反応に私は苦笑する。
「犯人が二人いたって、公表されてないですよね?」
 私は梶浦に聞いた。
「ああ。余計な推測が広がることを恐れた出版社が、広報に掛け合ってきたらしい。通常ならそんな要求突っぱねるところだが、なんせ被害者は年収億越えの大先生だ。……金でも積まれたんじゃないかって話だ」
「居空きの仕業ってことにした方が、都合が良いってことっすね」
「でなきゃお前みたいな奴が『元夫とアシスタントが共謀して殺した』なんて勝手に推理しちまうからな。出版社はアシスタントにコンソメの続きを描かせるためなら、いくらでも出しただろうさ。コンソメで持っているような小さな出版社だからな」
「梶浦さん、コンソメではなく、ソメコイです」
 私が訂正すると、梶浦は露骨に嫌そうな顔をした。
「なんでも良いだろ。俺はあの漫画が大嫌いなんだ。何が社会派少女漫画だ。社会の闇にスポットを当てた少女漫画として評価されてるがな、俺は自分の娘があんなもん読んでたらと思うとゾッとするね。あれは少女漫画の皮を被った犯罪指南書だ。一巻には援助交際の仕方が事細かに描かれてる。それを百万人が読んでんだ。主人公が辛い痛いって悲しんだってな、何回も繰り返してりゃあ『自分もやってみようかな』って思うだろ。はじめ、主人公はイチゴ……一万五千円で体を売るが、ある時『安すぎる、ウチらの単価を下げるな』って不良少女に絡まれんだ。『女子高生ブランドがあるんだから、ウチらには五万の価値がある』ってな。このキャラクターがまた魅力的で……」
「梶浦さん……ソメコイめっちゃ好きじゃないっすか」
「嫌いだよ、あんなもん」
「ブー子ですよね。私もめっちゃ好きでした」
 私が言うと、梶浦は「ブー子には幸せになってほしかったよな……」と遠い目をした。
「ですね……」
 私もしんみりと言う。
「え、ブー子がヒロインすか? 名前渋いっすね。死ぬんすか?」
 早見が情緒のないことを言い、私と梶浦は同時に彼を睨んだ。
 けれどソメコイを知らないまっさらな人間が新鮮で、私と梶浦はブー子がどういうキャラクターかを熱く語って早見に聞かせた。