『人気漫画家ゆりんこ、顔に悩むソメコイ読者に暴言を吐いていた』
 葉山邸に到着する頃には、ネットニュースにもなっていた。冗談じゃない。こんなの営業妨害だ。
 タクシーを降りるなり私は葉山邸の玄関へ走った。開けっぱなしの扉を開け、リビングへ急ぐ。
 そこには馨と川島洋子がいた。馨は、かつてリア先生が使っていた机について、何やら原稿を読んでいる。……川島のネームだろうか。
「馨くん……あれはどういうこと」
 返事はなかった。
「あんな漫画投稿されたらっ、困るんだけどっ! あの漫画のせいでフォロワーが三千人も減ったっ! どうしてくれんのよっ!」
「自業自得じゃない」
 川島洋子が笑った。
「調子に乗んなブスっ!」
「気をつけたほうがいいわよ。ここ、盗聴器仕掛けられてるから」
「えっ」
「そんなものはありません」
 驚く私に、馨は言った。
「あの漫画が事実と違うなら、謝罪し、訂正のコメントを出します。金森さん、あれは事実と違いますか?」
「えっ」
 咄嗟に「違う」と言えば良かった。黙り込む私に、「事実なんですね」と馨は裁判官のように静かに言った。
「ち、違うっ!」
「今更遅いわよ。あんた、学校でもいじめっ子グループに所属してたんでしょ。コンビニバイトを見下したり……自分の名前で検索してみなさい。あんたの素行、じゃんじゃん出てくるから」
 鳥肌が立った。慌ててSNSを開く。
みぃ『ゆりんこ、半グレみたいな不良と付き合ってたよね。ブスとかゴミとか平気で言う女だよ』
桜『ゆりんこ、同じ団地に住んでた。親子揃って性格悪くてみんなに嫌われてた』
 私の隠したい問題行動が次々と出てきて、くらりと眩暈がした。
「遅かれ早かれ、あんたは炎上してたのよ」
「黙れバ……」
 目に飛び込んできた投稿に、私は言葉を失った。
タク『オレゆりんこと付き合ってた。大豪邸に住んでると思ったら、後から事件で葉山リアって漫画家の家だって知ってめちゃくちゃ驚いた。いろんな男にあの家が自分の家って嘘ついてたと思う。ブランドバッグばっかり持ってたけど、あれって葉山リアのものだったのかな』
 ゾクっと体が震えた。だめ……ダメダメダメダメっ……それは絶対言っちゃダメだってばっ!
天心『多分先輩が付き合ってたのゆりんこだ。何も理由聞かされずに先輩にあの家連れられていったことある。窓の数数えて、何枚か写真撮って帰った。絶対やばいことするつもりだってわかったから、俺は連絡先消して逃げたけど』
天心『その後あの事件が起こったから、ずっと先輩が犯人だと思ってた。ゆりんこが協力してたのかも』
 私はブンブンとかぶりを振った。全身から冷や汗が噴き出した。
「違う……違うのおっ! 私はっ……私はっ……」
 私の後ろめたい秘密。
 私はガラの悪い男と付き合っていた。今にして思えば、ソメコイの影響だったと思う。金髪に脱色した男なんて普通の高校生にはいるはずないし、どうせなら運転免許を持ってる男がよかった。
 私の実家は集合団地で、そこに彼氏を送らせたくなかった。どうせなら綺麗な家がいい。頻繁に出入りしているリア先生の家を、私は自分の家と言った。
 え、ここが百合ちゃんの家っ?
 驚きの反応は、それまでの私の人生にはなかった潤いをもたらした。思えば私は小さい頃からつまらない見栄を張ってきた。一泊二日の家族旅行を二泊三日と言ったり、セールで買った服の値段を定価で答えたり……本当に些細なこと。
 何度もリア先生の家に送ってもらうと、「家に上がりたい」と言われる。私はその度に男を変えた。家に上げられないという理由もあるけど、一番は「ここが百合ちゃんの家?」という驚きが欲しかったからだ。
 リア先生の私物を勝手に借りるようにもなった。でも、ちゃんと返した。だからこそ、返却せずに持ち帰る人間に腹が立った。
 リア先生は私が借りていることを、薄々気づいていたのかもしれない。だからって、窃盗犯呼ばわりされたのは悔しかった。
 出会いカフェでサダコと会った日以降、リア先生の私物が盗まれることは無くなった。サダコが警戒して、寄り付かなくなったのだ。
 このままでは本当に私が犯人にされる。私は、誰でもいいからあの家に忍び込んでくれればいいのにと思った。
 ロレックスの腕時計、欲しいって言ってたよね? ……私が取ってきてもいいけど、どうせならたくさん欲しいでしょ? だったらいっそ、盗みに入っちゃえば? 
「私はただっ……盗みに入ればって……言っただけっ……殺してなんて頼んでないっ……」
 リア先生が殺されたと聞いた時、真っ先に頭に浮かんだのは金髪の、顔つきの悪いあの男だった。
 その時スマホが鳴った。担当編集だった。無言で取る。
『あ……もしもし? ゆりんこ先生? もしもーし』
「なに」
『あっ、お疲れ様です。あの……Xの漫画の件で……お聞きしたいことが……あれはその……ゆりんこ先生が描いたもので……』
「そんなわけないでしょ。あんた、アホみたいな顔だと思ってたけど、見た目通りのアホなんだね」
 やや胸がスッとする。私は元来こういう人間だ。母は学歴も職歴もなかったけれど顔だけは良かった。何もない母は他人の容姿を侮辱することでしか他人の優位に立つことができず、「あのブスは」「ブスのくせに」としょっちゅう毒を吐いていた。そんな母の姿を見て育った私は当然その性格を引き継いだ。
『……あの、申し上げ難いのですが、先ほど、原作者の七原先生から……その、連絡がありまして……」
「私に漫画を描いて欲しくないって?」
 冴えない中年女を思い浮かべながら言った。私が描いている異世界恋愛漫画は、前世で不美人だった女が転生して絶世の美女になる話だ。
「……はい」
 私は鼻で笑った。小説家の分際で偉そうに。コミカライズの恩恵を多分に受けておきながら。
「あっそう。りょーかいりょーかい。私、そもそもあの漫画大っ嫌いなの。君との婚約を破棄するって何? むかしむかしあるところにって意味でオッケー? くっだらなっ! 私は確かに人を見た目で判断するクズですよ。性悪ですよ。でも別に私みたいな人間ってゴロゴロいない? 私って断罪されるほどの悪人なの? ナーロッパの基準を現実に持ち込まないで欲しいんですけどっ!」
 担当編集は『あ……えっと……』と口ごもる。 
 確か原作者には中学生の娘がいたはずだ。私の存在は悪影響とでも思ったか。なんだか笑いが込み上げてきた。過去の女子高校生の言葉に過敏に反応して、バッカじゃないの?
「あのオバサンに言っといて。あんたの娘が顔に悩んでいるなら、私は現実的な解決策として整形を勧めてあげるって」
『ゆりんこ先生……それは……』
 嫌悪感たっぷりの声音に、私はますます愉快になる。整形を勧めることを、この女は悪としか考えられないのだ。ほとんどの漫画の中で整形は、幸せになるための手段として描かれるのに。
「それでオバサン、あんたは自殺を勧めているようなもんだからねって。現実で幸せになる手段は、あんたの小説には出てこないんだから」
 そう言って私は通話を切った。SNSに戻る。私への批判に、片っ端からいいねをつけていく。
モモンガ『七原先生の優しい世界が好きでした。コミカライズ担当がさもしい人間で残念です。ローズとフランシスが可哀想』
「は、うっざ」
 指先が勝手に動いた。『そんなに異世界が好きなら死んでそっちに行けば?』思ったことを書き込んでいく。
ゆりんこ『本当は中年オバサンの書いた現実逃避恋愛漫画なんて描きたくなかった』
ゆりんこ『転生してブスの感情持ったまま美人になるって、それ整形と何が違うんですかぁ〜?』
ゆりんこ『私に批判してる人間は、じゃあブスに差別しないんですか? 美人だからって贔屓しないんですか? 自分がそういう態度を取ってることにも気づかないから、私を批判できるんじゃないの? そういう無自覚な人間が実は一番人を傷つけてると思いまーす』
ゆりんこ『私はブスを差別しまーす。美人には愛想良く振る舞いまーす。不細工な子供を見たらかわいそーって思いまーす』
 投稿した側からものすごい速さで拡散されていく。私は肩を揺らしてケタケタと笑った。思いのまま指を動かし、書き込む。ずっと心に留めていた悪意。本心。今、一番強く激しく込み上げてくる感情を。
ゆりんこ『ソメコイ、だーいすきっ!』
 ジワリと目の奥が熱くなった。
ゆりんこ『またソメコイ描きたいな』
 私はソメコイが好きだった。物語に登場する店や駅は実在し、そこへ行けば登場人物に会えるかもしれないという期待をソメコイは抱かせてくれた。もしかしたら……そんなのありえないとわかっているのに、そこへ行くと心が弾んだ。
 あの世界は、現実的に見せかけただけのファンタジーかもしれない。でも私にとっては、私が嫌われている理由を教えてくれた教科書だった。あの物語に露骨な悪者は出てこない。なんとなく嫌な人、根は優しいのに口が悪いせいで誤解されてしまう人、悪いことをしていても善人に見える人。
 身近な人間は、あの中の登場人物の誰かしらに当て嵌めることができた。母を恐れるのではなく、哀れむようになったのも、ソメコイの影響だ。
ゆりんこ『リア先生に会いたい。謝りたい』
ゆりんこ『私はリア先生の自宅を自分の家だって言いふらしてた。ボロい団地を彼氏に見せたくなかった。キレーな家に住むお嬢様だって思われたかった』
ゆりんこ『リア先生ごめんなさい。勝手にバッグとかアクセサリー使ってました。ちゃんと元の場所に戻してました。気づかれなければ良いと思ってました』
ゆりんこ『盗まれたって思われて、ムカついて彼氏に盗みに入っちゃえば? って焚き付けるようなことを言いました。平易でカツアゲするようなチンピラです』
ゆりんこ『リア先生を殺したのは私です』
 取り憑かれたように高速で書き込むと、私はスマホをしまった。涙を拭う。
「で、次はそれをやればいい?」
 馨の手にある原稿を見て言う。なんでも良いから今は手を動かしたい。
「はい。川島さんが描いてくれました」
「ふうん。馨くんと彰くんのボーイズラブ?」
 嫌味を込めて私が言うと、
「ああおそろしい。人の息子をそんな風に見るなんて」
 しっかり意趣返しされた。
「何が息子よ。彰くんに母親だって認められてないくせに」
「子供のいない女は成長しないわね。高校生と話してるみたい」
 不思議と怒りは湧かなかった。川島洋子の性格が終わっていることは知っている。変わらない女にむしろ今は救われた。
「まあいいわ。やりましょ」
 私は机についた。川島も定位置に座る。
 懐かしい場所で、懐かしい人間と。
 早く佐々木舞子も来ないかな。SNSは大変な騒ぎになっているだろうに、私はのんきに、アシスタント仲間が揃うのを待ち焦がれた。