刑事部屋は漫画の話題で持ちきりだ。
「やっぱり空き巣が殺したんじゃないんすかー?」
 最年少刑事の早見が楽しげに言う。いくら注意しても彼は極細に眉を整えてくる。清潔感があるのはいいことだが、これでは刑事というよりチンピラだ。
「サダコって女、しょっぴいた記録ないんすか? てか出会いカフェに出入りしてたんなら、セイアンの人が把握してるかも」
 うーむ、と班長の梶浦が唸った。
「サダコかあ……」
 梶浦は椅子に深くもたれ、記憶を辿るように天井を見上げた。ギイっと椅子が鳴る。
「派手に稼いでたり、裏に半グレがついているような女ならマークしたかもしれんが……ただ入り浸ってただけじゃなあ……」
「梶浦さんまで……ネット漫画に踊らされてどうするんですか」
 私は呆れたふうに言って、コーヒーを啜った。
「でも、当時の葉山リアのアシスタントが協力してるんすよ? まじで真犯人わかっちゃったりするんじゃないすか?」
「サダコって侵入者がいたことは気になるな」
「ですが、そのような空き巣犯がいた記録はないんですよね?」
 私が問うと、梶浦は難しい顔で「ない」と答えた。
「サダコはソメコイの読者だったんですよね? 葉山リアの家にだけ、狙って侵入してたんじゃないすか? それだったら葉山リアさえ通報しなければ捕まらないし」
「同じ家に何度も侵入して、どうして葉山リアにバレないのよ」
「侵入を手引きしていた人間がいた……とか?」
 梶浦は目を閉じた。いったい何を考えているのか……私は落ち着かない気持ちで梶浦が口を開くのを待った。
「伊藤、お前はどう思う?」
「えっ……」
 余計なことを口走らないよう、黙っているつもりだったのに。
「この漫画から、何か思うことがあれば言ってみろ」
「やはり……出会いカフェは一斉摘発するべきかと」
「他には」
「一万円で体を売る方も買う方もどうかしています」
「サダコは実在すると思うか」
「…………自分の容姿に悩み、売春で整形費用を稼ごうとする未成年は、存在すると思います」
 梶浦はふん、と鼻から息を吐いた。
「あっ! サダコの情報ありますよっ! 出会いカフェでよく見かけたって……」
「見せて」
 私は早見のスマホを見た。
ちほ『サダコ、池袋の出会いカフェでよく見かけた。あいつが安売りするせいでおっさんたち値切ってきて最悪だった。相場下げんなブス!』
 早見は『サダコ』で検索したようで、スクロールすると他にもサダコに関する投稿が表示された。
KANA『サダコ、いつもソメコイ読んでた。ブー子と自分を重ねてたんだと思う。ブー子の私物真似してたもん。なんであんな高いの買えるんだろうって不思議だったけど、盗んでたんなら納得』
ター坊『警察何やってんだよ。サダコって窃盗犯逮捕してたら葉山リアは殺されなかったんじゃねえの?』
ゴーゴー田中『ゆりんこに暴言吐かれてムカついて、サダコはリア先生を殺したのかも』
 憶測が飛び交っているが、真実に迫るものはない。所詮、素人の推理だ。警察すら辿り着けなかった真実に、部外者が到達できるはずがない。
「なんか可哀想っすねー。サダコ、今どうしてるのかなあ」
「整形して、新しい人生を歩んでいると思うわよ」
「だと良いんすけど」
 早見のゆるい回答に思わず笑ってしまった。
「え、なんか俺おかしなこと言いました?」
「サダコは窃盗犯でしょ。葉山リアを殺した殺人犯かもしれない。その返しは刑事失格だなって思っただけ」
 早見はムッと唇を突き出した。
「別に良いじゃないっすか。あの事件、警察はもう捜査する気ないんでしょう? サダコが殺人犯でも、俺はサダコに逃げ切ってほしいな。幸せになってほしい」
「ありがとう」
「なんで伊藤さんが礼言うんすか」
「サダコは私だから」
 早見は涼しげな切長の目をまんまるにした。「え?」と私の顔をまじまじと見る。私に「整形疑惑」があることを、彼は知っているのだろう。私は一部の警察官から、陰で「ガイジン」と揶揄されている。
「冗談よ」
 私はにこりと微笑んだ。
「え、あ……び、びっくりしたあ……伊藤さん、冗談とか言うんすね」
 早見は頬を朱に染め、ぎこちなく笑った。
「もう、本気にしないでよ」
「だ、だってぇ……」
 整形顔だものね? そんな意地悪を、コーヒーと一緒に胃に流し込む。
 マグカップが空になった。私は席を立った。刑事部屋の片隅にある給湯スペースへと向かい、空のマグカップを洗うと、そのまま部屋を出た。廊下を進み、女子トイレ向かう。
 女子トイレには誰もいなかった。鏡を見る。そこには黒髪を一つにまとめた、日本人離れした派手な顔の女が立っていた。
 私はサダコ。整形でブスな自分を捨てた。
 二日前、葉山邸に行くと、金森百合が描いたネームを元にした漫画が出来上がっていた。
 家にいたのは、馨と川島洋子だけだった。私はその場で「これは違う」と指摘した。
 自分の正体を明かすことになっても、私は金森百合の暴言を公にしたかった。
 私は金森百合に言われた言葉を、いつでもメモが取れるようポケットに入れてある手帳に書き殴った。
『金森さんは待機部屋に戻ってきたの。これは彼女が私に言った言葉』
『ってことはつまり……あんたはサダコってこと?』
 川島洋子が唇を戦慄かせた。まるで幽霊にでも出会したように後退る。
『あんた……あんたが…………』
『馨くん、金森さんの漫画に、このシーンを追加してくれる?』
『わかりました』
 馨は早速作業机へ向かった。椅子に座るなり、卓上ライトを点ける。
『川島さんも手伝ってください。金森さんの手は借りられないでしょうから、できるだけ二人で形にしましょう』
『それは……手伝うけど、その前にあの女から話を聞いた方が良いんじゃないの?』
 川島が青い顔で私を見つめる。
 私は踵を返し、玄関へ向かった。『ちょっと!』と川島が追いかけてきたが、外まで来ることはなかった。
 芸能人やインフルエンサーを『やりすぎ』とか『センスがない』と言う人がいるけれど、綺麗になるための手段は限られている。提示された方法に「今度こそ」と藁にもすがる気持ちで望んだ結果かもしれない。画面の中で笑っていても、本人だって満足しているわけではないかもしれない。コンプレックスを克服しようと勇気を出して整形に踏み切っても、多くの部外者は欲望を整形の動機として考える。自分がコンプレックスを植え付けた可能性は微塵も考えずに。
 コンプレックスを助長する発言が、私は憎くて仕方がなかった。ブスという呪いの言葉に、どれだけ傷つけられたことか。きっとブスにはまともな感情すら備わっていないと舐められていたのだ。
 けれど、鏡に映る整形顔を好きになったことはない。
 目も鼻も輪郭も自分のものじゃない。戻したい、と鼻のプロテーゼを抜いたこともある。でも昔の鼻には戻らなかった。結局豚鼻のように上向いた鼻を整えるために、また違うプロテーゼを挿入した。
 スマホを開き、SNSで『サダコ』と検索する。『サダコ、私も見たことあるけどどちゃくそブスだった』という投稿が目に入り、自然と口角が上がった。
 私は整形したことを後悔していた。整形したことによって、露骨に舐められることは無くなったし、異性からアプローチされるようにもなった。でも心の中には常に、「整形を疑ってるんじゃないの?」と疑うような感情が纏わり付いていた。性格は余計に卑屈に、攻撃的になったかもしれない。
KANA『でもサダコの隣に座るとすぐに指名されるから助かった。ブスは引き立て役として使えるんだよね』
 ジワリと眼球が熱くなった。もっと救いの言葉が欲しくて、『サダコ』『ブス』と検索する。ずらりと表示された『サダコはブス』という情報に私はうんうんと頷いた。
 そうだ。私はブスだった。ちゃんとブスで、この地獄から抜け出すには整形しかないと思って、切実な気持ちで顔を変えた。
 私は間違ってなかった。だってこんなに多くの人が私をブスだと言っている。ブス。憎くて仕方がなかったその言葉は、私の整形を正当化してくれる唯一の救いだった。