伴帯刀の怒気が収まって内心胸を撫でおろしたのも事実だが、嫌味のひとつも言いたいところだ。懐から勘文を取り出しながら、右衛門少尉・鈴木尚季は公鷹へ顔を向けた。
「それにしても昨日は災難だったな。とはいえ名ばかりでも大志は検非違使の一員、別当殿のご機嫌がそれはもう悪くて大変だったぞ」
「えーと、ご迷惑を」
「そういうのいいから、何がわかったんだよ」
「食いつくな部外者。それでなくとも別当殿は別当殿で、権大納言さまから早期に解決するよう急かされ苦労されているんだ」
先を促す千央にしっしと手を振って、彼は本題に入った。公鷹の調査が襲撃犯たちにとって都合が悪かったのだろうことは、検非違使も見当がついていた。問題は何故公鷹だったかという点だ。
「あんだけ派手に名乗りながら聞き込みしてれば当然じゃねえ?」
「とはいえ、大志の調査は大志個人のものではない。普通は検非違使による調査と考えるものだろう」
「僕もそう思います」
公鷹は首肯した。検非違使に所属しているのでそれも一理ある。
昨夜逃げ回っている時は自分の調査が事実に迫ったからではないかと思ったし、弼である帯刀も同じ意見のようだが、落ち着いてみるとそれは少し自惚れ、ないし買い被りが過ぎる気がする。
「大志だけが個別に狙われる理由が思い当たらんし、左京大夫の件もあるからな。皆に警戒を申し付けた。でだ、大志が聞き込みをした相手ですぐ連絡がつく者を呼び出し、昨夜斬り死にした者らの面通しをしたところ、うち三人に見覚えがあると言った」
 つまり?
 つまり、怪しい動きをしていた武士団の手がかりとなる三人が死んだということだ。
 しかも見覚えがあるだけで三人なのだから、あるいは昨夜の全員がそうだったのかもしれない。
なんとなく、その場にいる者たちの視線が集中し、千央は目を瞬いた。横を見ると帯刀も相当渋い顔をしている。
「えっ。先刻(さっき)よくやったって褒めたよな?」
殺したのは俺だけじゃないよな、とか言ったところで無駄である。
「いやしかし、手がかりをなあ」
「嘘だろ?!」
まさかの掌返しに千央が声を裏返らせた。公鷹までが鎮痛な表情になっている中、そこそこ溜飲が下がった顔で鈴木が帯刀に向かって続ける。
「まあ待ってください、確かにそこの九条(なにがし)はだいぶ失策(しくじ)りましたが」
「この野郎」
「さすがに十人出して七人死ねば、二度目の襲撃を考えるほど無謀でもありますまい。大志の喫緊の危険は去ったと見るべきではないでしょうか」
それは尤もというべきだった。左京大夫の時は本人に斬りつけられ、随身も殺害されるという事態となったが、公鷹の近くにいる千央が手練れであることが明らかになった以上、同じ手段に訴えるのは悪手だ。群盗たちとて命は惜しいだろう。
少々ばつが悪い表情になった鈴木が帯刀に向き直って言った。
「それに正直申し上げて、検非違使(われわれ)も今は手が離せませぬ。ご存知のとおり昨今の治安の悪さから、公卿の皆さま方の出仕や外出の際は我々の護衛を求められます。早急な解決は見込めぬかと」
「然もありなん、としか言えんな。そちらに心配されずとも橘は弾正台の者だ。弾正で守る」
帯刀がなんの迷いもなくそう言い切り、公鷹は胸が暖かくなった。こう言ってはなんだが、刑部省では人間関係がうまく構築できず希薄で、上官ともほとんど話したことがなかったため、より余所者感が強いここで、こんなに親身な言葉が聞けると思わなかったのだ。
「去年弾正に来たばっかだけどな」
「おまえもだろうが!」
まぜっかえした千央に帯刀が一喝したが、例によって千央は堪える様子がない。満面の笑顔の千央に眉間を揉んだ帯刀は、ふと手を止めて顔を上げた。
「それにしても少忠、逃走したという三人を追跡できなかったのか?」
「簡単に言ってくれるぜ。堀川添いに五条大路の手前までは追ったが、あのあたりで突然、やたら腕のたつ奴に邪魔されたんだ」
昨夜のことを思い出した千央がむっとした表情になった。帯刀の言葉にではなく、邪魔されたことを思い出したための顔のようだ。
腕のたつ奴、と千央が言うからには相当な手練れだろう。
「どんな奴だった?」
「顔はわからん。暗色の直垂に袴、すばしっこい奴だったがそんなに背丈はねえな」
途端にその場の者たちがげんなりした表情になった。千央の丈は六尺近い。およそ特徴らしい特徴はわかっていないということだ。
「おまえに比べたら大抵の奴が背が低いだろうが」
「それを俺よりでかいあんたが言うと嫌味かなあ、とか思わねえの?」
「思わん」
帯刀の返答がにべもない。ちなみに帯刀の身の丈は六尺と一寸ほどあるらしい。公鷹や千央の知る限り、大内裏に出仕する京官で帯刀より背が高いものはいないこともあり、威圧感も只事ではなかった。
「夜闇に見失ったのでは致し方ないか……それはそうと、伴殿」
顎を撫でていた鈴木が膝を叩いた。意味ありげな笑顔を浮かべて帯刀に話しかける。
「左右の市司に、武士団の旅支度と思しき注文があれば知らせを届けるよう申し付けたそうですが。もちろんこのような調査は検非違使の領分ゆえ、まず使庁へ知らせるよう言い含めておきました」
「ほう」
また一瞬、微妙に帯刀の返答に力がこもったが、その点を争うつもりはないようだった。弾正台に知らせるなと言っていないだけましともいえる。
「これは失礼した」
「では私はこれにて。ああ、大志はもう心配はないと思うが、なんなら数日物忌みとするといい。ある意味厄がついたようなものだ」
立ち上がって帰りかけた鈴木が、言い忘れたとばかりに一歩戻って公鷹に真顔で言う。
実際、毎朝の占いの結果が悪いだけで物忌みとする貴族も珍しくない。そういう姿勢が好きではなかったが、鈴木の言葉には一応気遣いのようなものが感じられたので、公鷹は素直に礼を言うことにした。
「はい。ありがとうございます」
とはいえ、あまりゆっくり休む気にはならないところが問題だった。