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涼太、麗、そしてはるかの三人がステージ上に並ぶ。涼太を中央にして左にはるか、右に麗が構える。眉目秀麗の涼太、容姿端麗の麗は佇まいだけで衆目を集める。その隣にちょこんと立っているボブカットの女子は誰の目にも最初は不釣り合いに見えた。
ところが、演奏の準備が整いあたりが静まり返ると、フルートを構えた三人は世界から隔絶されたような神秘的な雰囲気を醸しだす。皆、いったいどんな演奏をするのかと固唾を呑んで見守る。
『想い出は銀の笛』
厳かに演奏が始まった。最初に麗のパートが五線譜の道を拓く。鮮麗なビブラートが風のように舞い上がると、それから熱を帯びた涼太のパートが追いかけてきて麗の音色と併走する。
あっ、なんだかいい感じ。
涼太がはるかの忠告を受け入れたのか、ふたりの音色はごく自然に絡み合い、ステージは華やかに彩られてゆく。魅惑的な引力を宿して聴く者の心を惹きつけてゆく。
はるかもふたりを見守りながら、自分のパートをそつなく奏でる。透明な音符が宙に舞い散り、ふたりの旋律を讃えるように光彩を添える。聴衆は息をひそめ、恋物語のような旋律に酔いしれていた。
曲が佳境を迎えると、はるかは目を閉じ、大きく息継ぎをした。千賀と練習した日々を思い出しながら、したためてきた旋律を奏でる。
はるかのフルートから解き放たれる音符がさらに透明度を増し煌めきを放つ。
お願い、音符さんたち、どうか千賀先輩とあたしたちを繋げて――。
限りなく透き通った音符がステージの空に広がる。地平線からこぼれる残照が音符に映ると、音符はプリズムとなって光のグラデーション映し出した。
舞台の上空に幻想的な虹のアーチが架かる。はるかの奏でた音楽が舞台の上に別世界を描いたのだ。
部員たちはその風景を視覚で捉えることはできなかったが、舞台が聖域のような神秘的な空間だと感じ取っていた。
麗の奏でるフルートからはピュアブルーの音符が、そして涼太のフルートからは燃えるような紅色の音符が次々と生まれて舞い上がる。はるかだけでなく、涼太と麗の目にもまた、色鮮やかな音符が映っていた。
ふたりはフルートを奏でながら空を見上げ、驚きをあらわにした。
この光景はいったい……。
しばらくは音符に見惚れたまま演奏を続けていたが、その視線をふたたび舞台の上に戻したとき、涼太の心臓は激しく打ち鳴らされた。
目の前には、涼太のよく知る男子生徒の後ろ姿があったのだ。
いつの間にか舞台の上に現れていて、さも当然のことのようにフルートを奏でている。
そのメロディは四重奏の誰も演奏していなかった最後のパートだった。
そして涼太にはその人物が誰なのか、わからないはずはなかった。ともにメロディを奏でられる日を希求していた、まさにその人だったのだから。
貴音さん……?
気づいた麗も目を丸くする。そのタイミングではるかのフルートから生み出された音符が弾け飛ぶ。とたん、はるかのメッセージがふたりの脳裏に響き渡る。
『高円寺先輩、麗先輩、そのまま演奏を続けてください』
涼太ははっとしてはるかを振り向く。同時に涼太の生み出した紅色の音符も弾け散る。
『花宮……これは君の仕業なのか』
その問いにはるかの音符が砕けて答える。
『はい、そうです。高円寺先輩と千賀先輩に、一緒にメロディを奏でて欲しくて頑張っていました』
千賀はゆっくりと振り返り、涼太を正視した。はるかと同質の澄んだ音色を涼太に向けて放つ。その音符は硝子細工のようにたちまち砕け散る。
『涼太――待たせてすまなかった。僕がいまだ眠り続けていることで、君の未来を縛ってしまっていた。だけど僕はここに戻ってきた』
千賀は目を優しく細める。
『だから今はともに演奏できる喜びを存分に味わおう』
『はっ……はい!』
次に千賀は麗に視線を送る。ふたたび音符が弾け飛ぶ。
『清井、ほんとうにありがとう。僕のためにパートをひとつ、空けておいてくれたんだね。そして君にはすまないことをした。僕が眠りについてから、涼太は君のことをまるで気にかけなくなってしまった。君の気持ちを知っていながら、何もできなくて申し訳ない』
はるかはその想いを捉えて思う。
千賀先輩は麗先輩の気持ちに気づいていたんだ!
それから麗のピュアブルーの音符もまた、閉じ込められた想いを放つ。
『いいえ、千賀先輩、私、どこか勘違いをしていたと思うんです。涼太に見合う女性でいなくちゃって、無理をしていたんです。そして理想の女性を演じている自分が嫌になっていました。世界は不思議なくらい自由なのだから、みんなそれぞれの音色を持っていれば、それでよかったのに。たとえば花宮さんみたいにね』
麗ははるかに目を向けて顔を赤らめる。
『私、花宮さんみたいな素直な女の子になりたかったなぁ。そうしたら涼太に振り向いてもらえたのかもしれないのにね』
はじめて麗が明かした想いに涼太は驚き振り向いた。音符が心の中を映し出しているから、期せずして麗の想いは涼太に伝わってしまった。麗は涼太に目を合わせられなかったけれど、顔を伏せたまま心に宿した音色を解き放ち続ける。
『ずっと好きだった。涼太はひとりぼっちだった私の、唯一の心の支えだった。だからいつか恋人になれるんじゃないかって、夢を見続けてきた。馬鹿みたいよね、私って』
憂いを浮かべる麗に千賀は音符で優しく語りかける。
『清井、涼太というやつは、頭は良いが周りが見えない愚か者だ。だから君は自分の想いを我慢していたら、いつまでも伝わることはなかった。遠慮は要らなかったんだ』
千賀の奏でる音色が三人の心に響く。はるかは千賀の気遣いに胸がじんと熱くなる。
千賀先輩を呼んで、ほんとうによかった。千賀先輩が、みんなの想いを繋ぎあわせてくれたんだ!
千賀の音符は鷹揚な想いを放つ。
『この音符に彩られた空間は、僕たち四人のために生まれた世界だ。さあ、二年越しの想いを果たさせてもらおう』
呼応して涼太の音符も次々と砕ける。
『貴音さん、俺はあなたを待ち続けていました。それがあなたと出会ったこの舞台で叶うのだから、俺はなんの悔いもありません。そして、麗。今までありがとう、君は俺にとって最高のパートナーだった』
『なによ、涼太。私、ぜんぜん冷静じゃいられないの、わかっているでしょ!』
麗は恥じらいを隠すように怒り顔を作って見せる。
『そんなこと今さらどうでもいいわ、それより最高の演奏をしようよ!』
麗は少なからず動揺し得意のビブラートが乱れていた。けれど、それがかえって人間らしい情緒の深さを生み出していた。
「想い出は銀の笛・四重奏」は高らかに響き渡り、千賀、涼太、麗、そしてはるかの奏でるメロディが藍色を深くした夕間暮れの空に溶け込む。
皆が浸っていた音色の余韻は秋風が攫ってゆく。頭上に掲げられた虹のアーチは地平線に還り、いつの間にか千賀の姿も消えてなくなっていた。いまだ夢の中を彷徨っているような表情の涼太と麗は、千賀の立っていた場所を見つめている。
音色が消え去って静寂が訪れても、誰も空気を乱すことができなかった。
この素晴らしい音色の前では、どんな心を込めた拍手喝采もただの雑音でしかないと皆、思ったからだ。
「貴音さん……」
涼太はため息に乗せて千賀の名をつぶやいた。麗も頬を赤らめたまま深く息を吐く。ふたりは視線を合わせ、照れたような笑顔を浮かべた。
そのときだった。
どさっとと何かが崩れるような音がふたりの耳に届いた。観客は皆、その音が発せられた方に視線を向けている。涼太と麗もはっとしてその方向へと目をやった。
するとそこには、舞台の上に横たわるはるかの姿があった。急に会場がざわめく。とたん、涼太に直感が働いた。脳裏に浮かんだのは、背筋が凍るほど最悪な未来予想図だった。
世界を描くメロディを奏でた後、貴音さんは倒れたんだ。花宮の状況はそのときとまるで一緒だ。
「みんなっ、急いで来てくれないか! これはまずいっ!」
涼太はあわてて舞台下の部員たちに向かって声をあげる。そばにいた部員たちがステージに上がりはるかに駆け寄る。
はるかは皆に抱えられて舞台から降ろされ、舞台裏の芝生に寝かされる。涼太はすかさずはるかの頬を叩く。
「おい大丈夫か、目を覚ませ!」
しかし、はるかは何の反応を示さなかった。
まるで魂を持たない蝋人形にでもなってしまったかのように。
涼太、麗、そしてはるかの三人がステージ上に並ぶ。涼太を中央にして左にはるか、右に麗が構える。眉目秀麗の涼太、容姿端麗の麗は佇まいだけで衆目を集める。その隣にちょこんと立っているボブカットの女子は誰の目にも最初は不釣り合いに見えた。
ところが、演奏の準備が整いあたりが静まり返ると、フルートを構えた三人は世界から隔絶されたような神秘的な雰囲気を醸しだす。皆、いったいどんな演奏をするのかと固唾を呑んで見守る。
『想い出は銀の笛』
厳かに演奏が始まった。最初に麗のパートが五線譜の道を拓く。鮮麗なビブラートが風のように舞い上がると、それから熱を帯びた涼太のパートが追いかけてきて麗の音色と併走する。
あっ、なんだかいい感じ。
涼太がはるかの忠告を受け入れたのか、ふたりの音色はごく自然に絡み合い、ステージは華やかに彩られてゆく。魅惑的な引力を宿して聴く者の心を惹きつけてゆく。
はるかもふたりを見守りながら、自分のパートをそつなく奏でる。透明な音符が宙に舞い散り、ふたりの旋律を讃えるように光彩を添える。聴衆は息をひそめ、恋物語のような旋律に酔いしれていた。
曲が佳境を迎えると、はるかは目を閉じ、大きく息継ぎをした。千賀と練習した日々を思い出しながら、したためてきた旋律を奏でる。
はるかのフルートから解き放たれる音符がさらに透明度を増し煌めきを放つ。
お願い、音符さんたち、どうか千賀先輩とあたしたちを繋げて――。
限りなく透き通った音符がステージの空に広がる。地平線からこぼれる残照が音符に映ると、音符はプリズムとなって光のグラデーション映し出した。
舞台の上空に幻想的な虹のアーチが架かる。はるかの奏でた音楽が舞台の上に別世界を描いたのだ。
部員たちはその風景を視覚で捉えることはできなかったが、舞台が聖域のような神秘的な空間だと感じ取っていた。
麗の奏でるフルートからはピュアブルーの音符が、そして涼太のフルートからは燃えるような紅色の音符が次々と生まれて舞い上がる。はるかだけでなく、涼太と麗の目にもまた、色鮮やかな音符が映っていた。
ふたりはフルートを奏でながら空を見上げ、驚きをあらわにした。
この光景はいったい……。
しばらくは音符に見惚れたまま演奏を続けていたが、その視線をふたたび舞台の上に戻したとき、涼太の心臓は激しく打ち鳴らされた。
目の前には、涼太のよく知る男子生徒の後ろ姿があったのだ。
いつの間にか舞台の上に現れていて、さも当然のことのようにフルートを奏でている。
そのメロディは四重奏の誰も演奏していなかった最後のパートだった。
そして涼太にはその人物が誰なのか、わからないはずはなかった。ともにメロディを奏でられる日を希求していた、まさにその人だったのだから。
貴音さん……?
気づいた麗も目を丸くする。そのタイミングではるかのフルートから生み出された音符が弾け飛ぶ。とたん、はるかのメッセージがふたりの脳裏に響き渡る。
『高円寺先輩、麗先輩、そのまま演奏を続けてください』
涼太ははっとしてはるかを振り向く。同時に涼太の生み出した紅色の音符も弾け散る。
『花宮……これは君の仕業なのか』
その問いにはるかの音符が砕けて答える。
『はい、そうです。高円寺先輩と千賀先輩に、一緒にメロディを奏でて欲しくて頑張っていました』
千賀はゆっくりと振り返り、涼太を正視した。はるかと同質の澄んだ音色を涼太に向けて放つ。その音符は硝子細工のようにたちまち砕け散る。
『涼太――待たせてすまなかった。僕がいまだ眠り続けていることで、君の未来を縛ってしまっていた。だけど僕はここに戻ってきた』
千賀は目を優しく細める。
『だから今はともに演奏できる喜びを存分に味わおう』
『はっ……はい!』
次に千賀は麗に視線を送る。ふたたび音符が弾け飛ぶ。
『清井、ほんとうにありがとう。僕のためにパートをひとつ、空けておいてくれたんだね。そして君にはすまないことをした。僕が眠りについてから、涼太は君のことをまるで気にかけなくなってしまった。君の気持ちを知っていながら、何もできなくて申し訳ない』
はるかはその想いを捉えて思う。
千賀先輩は麗先輩の気持ちに気づいていたんだ!
それから麗のピュアブルーの音符もまた、閉じ込められた想いを放つ。
『いいえ、千賀先輩、私、どこか勘違いをしていたと思うんです。涼太に見合う女性でいなくちゃって、無理をしていたんです。そして理想の女性を演じている自分が嫌になっていました。世界は不思議なくらい自由なのだから、みんなそれぞれの音色を持っていれば、それでよかったのに。たとえば花宮さんみたいにね』
麗ははるかに目を向けて顔を赤らめる。
『私、花宮さんみたいな素直な女の子になりたかったなぁ。そうしたら涼太に振り向いてもらえたのかもしれないのにね』
はじめて麗が明かした想いに涼太は驚き振り向いた。音符が心の中を映し出しているから、期せずして麗の想いは涼太に伝わってしまった。麗は涼太に目を合わせられなかったけれど、顔を伏せたまま心に宿した音色を解き放ち続ける。
『ずっと好きだった。涼太はひとりぼっちだった私の、唯一の心の支えだった。だからいつか恋人になれるんじゃないかって、夢を見続けてきた。馬鹿みたいよね、私って』
憂いを浮かべる麗に千賀は音符で優しく語りかける。
『清井、涼太というやつは、頭は良いが周りが見えない愚か者だ。だから君は自分の想いを我慢していたら、いつまでも伝わることはなかった。遠慮は要らなかったんだ』
千賀の奏でる音色が三人の心に響く。はるかは千賀の気遣いに胸がじんと熱くなる。
千賀先輩を呼んで、ほんとうによかった。千賀先輩が、みんなの想いを繋ぎあわせてくれたんだ!
千賀の音符は鷹揚な想いを放つ。
『この音符に彩られた空間は、僕たち四人のために生まれた世界だ。さあ、二年越しの想いを果たさせてもらおう』
呼応して涼太の音符も次々と砕ける。
『貴音さん、俺はあなたを待ち続けていました。それがあなたと出会ったこの舞台で叶うのだから、俺はなんの悔いもありません。そして、麗。今までありがとう、君は俺にとって最高のパートナーだった』
『なによ、涼太。私、ぜんぜん冷静じゃいられないの、わかっているでしょ!』
麗は恥じらいを隠すように怒り顔を作って見せる。
『そんなこと今さらどうでもいいわ、それより最高の演奏をしようよ!』
麗は少なからず動揺し得意のビブラートが乱れていた。けれど、それがかえって人間らしい情緒の深さを生み出していた。
「想い出は銀の笛・四重奏」は高らかに響き渡り、千賀、涼太、麗、そしてはるかの奏でるメロディが藍色を深くした夕間暮れの空に溶け込む。
皆が浸っていた音色の余韻は秋風が攫ってゆく。頭上に掲げられた虹のアーチは地平線に還り、いつの間にか千賀の姿も消えてなくなっていた。いまだ夢の中を彷徨っているような表情の涼太と麗は、千賀の立っていた場所を見つめている。
音色が消え去って静寂が訪れても、誰も空気を乱すことができなかった。
この素晴らしい音色の前では、どんな心を込めた拍手喝采もただの雑音でしかないと皆、思ったからだ。
「貴音さん……」
涼太はため息に乗せて千賀の名をつぶやいた。麗も頬を赤らめたまま深く息を吐く。ふたりは視線を合わせ、照れたような笑顔を浮かべた。
そのときだった。
どさっとと何かが崩れるような音がふたりの耳に届いた。観客は皆、その音が発せられた方に視線を向けている。涼太と麗もはっとしてその方向へと目をやった。
するとそこには、舞台の上に横たわるはるかの姿があった。急に会場がざわめく。とたん、涼太に直感が働いた。脳裏に浮かんだのは、背筋が凍るほど最悪な未来予想図だった。
世界を描くメロディを奏でた後、貴音さんは倒れたんだ。花宮の状況はそのときとまるで一緒だ。
「みんなっ、急いで来てくれないか! これはまずいっ!」
涼太はあわてて舞台下の部員たちに向かって声をあげる。そばにいた部員たちがステージに上がりはるかに駆け寄る。
はるかは皆に抱えられて舞台から降ろされ、舞台裏の芝生に寝かされる。涼太はすかさずはるかの頬を叩く。
「おい大丈夫か、目を覚ませ!」
しかし、はるかは何の反応を示さなかった。
まるで魂を持たない蝋人形にでもなってしまったかのように。