麗の両親は父が外交官、母が秘書で、タッグとして海外を飛び回っていた。だから幼少時からずっと、ひとりで育ってきた。

麗には「服部」という執事がついていた。一言で執事といっても、自宅の管理人であり、料理人であり、麗の教育係でもあった。親代わりとして十分すぎるほどの熱意と愛情で麗を支え続けたが、それでも麗の心を癒すことはできなかった。

麗は人形のように端整な外見と無口なことが裏目となって、女友達はほとんどいなかった。けれどたったひとりだけ、麗の心の支えとなる友人ができた。

麗の住宅街のすぐそばに、木々に囲まれ落ち着いた雰囲気の公園がある。遊具や砂場だけでなく、四季折々の花が咲く花壇、それに憩いの場となる東屋があり、休日は家族連れが多く訪れる。

とある日曜日、服部がその公園に麗を連れだした。そのとき、麗に話しかけてきたのが近所に住む同級生の男子、高円寺涼太だった。

「こんにちは、ひとりなの?」

「晴天の霹靂(へきれき)」という故事があるが、そのときはどうやら「晴天に霹靂」だった。麗が目にした涼太の表情は嫌味なほど晴れやかだったせいで、麗の胸中にはくっきりと自身の陰鬱な影が映った。

「……だれ、あなた」

壁を張るように不貞腐れて答える麗。

「リョータ。小学校、となりのクラスだけど俺のこと知らない?」

「……しらないわ。気安く話しかけてこないでよ」

最初はつっけんどんに返したけれど、涼太はまるで気にも留めていない。にっと笑って公園の砂場を指差した。

「ねぇ、ここにはサメの歯が埋まっているんだ」

「海じゃないし、あるわけないじゃん。そういうの、モーソーっていうんだよ」

「ほんとだよ。このへん、大昔は海だったんだって。だから、一緒に探さない?」

涼太はポケットに手を突っ込んで探り、灰色をした小さな石のようなものを取り出した。三角錐の形で、小指の先ほどの大きさがある。

「ほら、こういうやつだよ。いっぱいあるんだ」

「……ほんと?」

まじまじと眺めると、鈍く光ってサメの歯のように見えなくもない。麗は物珍しさに興味が湧いて、黙ってひとり、砂場を掘り始めた。古代の遺物を探すという、浮世離れした感覚が魅力的に思えたのだ。

そうしてふたりで砂遊びをし始めたのは、小学校に入学して間もない、春うららな日だったと麗は記憶している。

当初の目的はサメの歯探索だったはずなのに、砂の山を作ってトンネルを掘って、そのトンネル越しに手を繋いだり、ブランコに乗ってどこまで高く漕げるか競争して……と、いつの間にか涼太のペースにはまってしまう。つい、誰にも見せたことのない笑顔を涼太にお披露目してしまった。

それから毎週日曜日、約束したわけでもないのにふたりは公園を訪れるようになっていた。

「ねぇ、麗ちゃんは将来何になるの? 僕はたぶん、お医者さんになるんだ、パパがお医者さんだから」

「私はね、好きなお仕事を選んでいいって言われているの。パパとママは外交官っていうお仕事だから、リョータくんと違って跡継ぎとか気にしなくていいんだって」

「ふーん、いいなぁ、好きなことができて」

幼い涼太は羨ましそうに麗の顔を覗き込む。そのとき、麗の心中にはある想いが生まれていた。それはほんとうにあどけない、ぽろりとこぼれた花の種のようなものだった。

私、リョータくんのお嫁さんになりたい。この人はきっとステキな家のご子息様だから、ちゃんとリョータくんに見合う、立派な女性になろっと。

可愛らしい子供の夢だけど、結局のところ麗はその想いをずっと胸の中に抱えたまま、恋焦がれる日々を過ごしてきた。

だから涼太が城西高等学校に進学するんだと麗に告げたとき、麗は迷うことなく同じ高校を受験すると決心した。

そして麗は今、後悔の念に身悶えていた。

もしも城西高等学校の学園祭を訪れていなかったら。もしも千賀先輩のメロディを耳にしていなかったら。もしも有紗ちゃんの誘いを断っていたら……。

千賀に出会ってから、涼太は憑りつかれたようにフルートの練習をし始めた。まるでそれが人生を賭ける価値があることのように。そして麗のことをまったく気にかけなくなっていた。

今の涼太は、千賀先輩の奏でる旋律を追い続けている。だから花宮さんの音色に惹かれるのも理解できる。悔しいけれど、花宮さんは私の手では届くことのない、音楽の真髄のようなものと深くつながっているように思える。

麗はどうしても敵わない、生まれ持った才覚――天性――のようなものをはるかに感じずにはいられなかった。