「いつ気づいたんだい? ついこの前まではそんな雰囲気はなかったはずだけど」
不思議そうな顔をして尋ねる千賀。はるかは申し訳なさそうに答える。
「ごめんなさい。あたしが千賀先輩のことを知っているって、高円寺先輩に気づかれてしまいました。それから高円寺先輩は、千賀先輩がほんとうは二年前から意識不明だって事を教えてくれました。だからあたしにフルートを教えてくれていた千賀先輩はどんな存在なのか、ついさっき気づいたんです。――でもほんとうは、千賀先輩の音色はこの世界のものとはちょっと違うなあって、思っていたんです。だって、とっても澄んでいるんですもの。素敵でしたよ」
はるかは照れた表情を浮かべ、恥ずかしそうに目を伏せる。千賀はそんなはるかの表情を見てやわらかく微笑んだ。
「高円寺先輩は千賀先輩が目覚めるのを待っているんです。どうしてこんなことになってしまったのかわからないですけど、千賀先輩はもう元には戻れないんですか」
はるかが尋ねると、千賀は雨の降りしきる空を見上げた。
「ああ、それは難しいことだ。一度音符となった者は、魂を繋ぎ止めることができないらしいんだ」
その千賀の言葉にはるかは黙り込む。千賀の抱えた運命が悲しくて、別れの未来しかないことが悔しくて。けれど心の中に抱いた想いはどうしても伝えたい。
はるかは決心を固め、顔をぱっと上げた。頬が熱っぽくなっている。
「千賀先輩、聞いてほしいんです。あたし、フルートぜんぜん上手く吹けなかったのに、高円寺先輩と麗先輩と同じグループになっちゃったんです。このままじゃ、迷惑をかけちゃいます。だから……今後もあたしにフルートの指導をしてほしいんです」
千賀は一瞬、たじろぐがすぐに真顔に戻り、それから誘導するように提案した。
「だったら高円寺に教えてもらえばいいじゃないか。あいつは面倒見、悪くないんだぞ」
そうかもしれないとは思ったけれど、もう、退くつもりはなかった。はるかは息を整え、思いきって言い返す。
「いっ、いえ、あたしは……あたしは千賀先輩に教えて欲しいんです。だってあたし、千賀先輩のこと、とっても好きになっちゃったんですから!」
はるかの心臓はまるで小さな太鼓のように激しく鼓動し、顔は湯沸かし器のように熱を帯びる。手のひらには汗がにじみ、言葉を紡ぐ唇は乾いていた。告白の瞬間、時間が止まったかのように感じた。周囲の雨音が遠のき、千賀の返事が聞こえるまでの数秒間が永遠のように感じられた。
聞いた千賀は驚いたものの、しだいに顔が綻んできて、しまいにはけたけたと笑いだした。
「ははっ、音符に告白するなんてすごい勇気だね。ひょっとしたら一緒に連れて行かれちゃうかもしれないよ? まったく、フルートでへんちくりんな音を出して震え上がっていた臆病な君が嘘みたいだ」
「あっ、あれ聴いていたんですかっ!」
首から上が茹で上がったように、容赦なく熱を発する。恥ずかしさのあまり両手で顔を覆い隠した。しばらくの間、屋上には千賀の笑い声が響いていた。
「もうっ、あたしの黒歴史をからかわないでくださいっ!」
「そうしたら毎日忙しくなりそうだな。君も僕も」
「えっ、それって……」
はるかはぱっと手を顔から離し、紅潮したままの顔で目を丸くする。
「そっ、それって、まだあたしと一緒にいてくれるってことですかっ?」
「もちろんだよ。だって、君はまだ本物の『世界を描くメロディ』を奏でられていないのだから」
はるかは満面の笑みを浮かべ、うんうんと首を大きく縦に振った。
「はい、ちゃんとここに来ます! 部活のある日もない日も、先輩に会いに来ます!」
「じゃあ、今日は遅いからもう帰りなよ。制服がびしょびしょじゃないか。風邪ひくよ、病は生きる者の特権だけどさ」
「あっ、ホントですね。そしたらジャージに着替えて帰ります。それじゃ、来週からよろしくお願いしますね!」
はるかは小躍りしながら何度も振り向いては頭を下げ、屋上を後にした。最後に扉を閉める前に一度、顔をひょっこりと出して微笑み、小さく手を振った。千賀もゆったりと手を振り返す。
それからはるかが顔を引っ込めると、鋼鉄の扉はゆっくりと閉じ、廊下から洩れる灯りを閉ざしてゆく。
冷たい鋼鉄の音がふたりを隔絶した。
それから千賀はひとり、深くため息をつき、遠くの空に目を向けてつぶやく。
「どうやら僕は、この世界につなぎ止めてもらえそうだ。けれどその代償は――」
そして雨空を仰ぐ。その千賀の表情は懺悔する罪人のようで、えもいわれぬ呵責の念を湛えていた。
不思議そうな顔をして尋ねる千賀。はるかは申し訳なさそうに答える。
「ごめんなさい。あたしが千賀先輩のことを知っているって、高円寺先輩に気づかれてしまいました。それから高円寺先輩は、千賀先輩がほんとうは二年前から意識不明だって事を教えてくれました。だからあたしにフルートを教えてくれていた千賀先輩はどんな存在なのか、ついさっき気づいたんです。――でもほんとうは、千賀先輩の音色はこの世界のものとはちょっと違うなあって、思っていたんです。だって、とっても澄んでいるんですもの。素敵でしたよ」
はるかは照れた表情を浮かべ、恥ずかしそうに目を伏せる。千賀はそんなはるかの表情を見てやわらかく微笑んだ。
「高円寺先輩は千賀先輩が目覚めるのを待っているんです。どうしてこんなことになってしまったのかわからないですけど、千賀先輩はもう元には戻れないんですか」
はるかが尋ねると、千賀は雨の降りしきる空を見上げた。
「ああ、それは難しいことだ。一度音符となった者は、魂を繋ぎ止めることができないらしいんだ」
その千賀の言葉にはるかは黙り込む。千賀の抱えた運命が悲しくて、別れの未来しかないことが悔しくて。けれど心の中に抱いた想いはどうしても伝えたい。
はるかは決心を固め、顔をぱっと上げた。頬が熱っぽくなっている。
「千賀先輩、聞いてほしいんです。あたし、フルートぜんぜん上手く吹けなかったのに、高円寺先輩と麗先輩と同じグループになっちゃったんです。このままじゃ、迷惑をかけちゃいます。だから……今後もあたしにフルートの指導をしてほしいんです」
千賀は一瞬、たじろぐがすぐに真顔に戻り、それから誘導するように提案した。
「だったら高円寺に教えてもらえばいいじゃないか。あいつは面倒見、悪くないんだぞ」
そうかもしれないとは思ったけれど、もう、退くつもりはなかった。はるかは息を整え、思いきって言い返す。
「いっ、いえ、あたしは……あたしは千賀先輩に教えて欲しいんです。だってあたし、千賀先輩のこと、とっても好きになっちゃったんですから!」
はるかの心臓はまるで小さな太鼓のように激しく鼓動し、顔は湯沸かし器のように熱を帯びる。手のひらには汗がにじみ、言葉を紡ぐ唇は乾いていた。告白の瞬間、時間が止まったかのように感じた。周囲の雨音が遠のき、千賀の返事が聞こえるまでの数秒間が永遠のように感じられた。
聞いた千賀は驚いたものの、しだいに顔が綻んできて、しまいにはけたけたと笑いだした。
「ははっ、音符に告白するなんてすごい勇気だね。ひょっとしたら一緒に連れて行かれちゃうかもしれないよ? まったく、フルートでへんちくりんな音を出して震え上がっていた臆病な君が嘘みたいだ」
「あっ、あれ聴いていたんですかっ!」
首から上が茹で上がったように、容赦なく熱を発する。恥ずかしさのあまり両手で顔を覆い隠した。しばらくの間、屋上には千賀の笑い声が響いていた。
「もうっ、あたしの黒歴史をからかわないでくださいっ!」
「そうしたら毎日忙しくなりそうだな。君も僕も」
「えっ、それって……」
はるかはぱっと手を顔から離し、紅潮したままの顔で目を丸くする。
「そっ、それって、まだあたしと一緒にいてくれるってことですかっ?」
「もちろんだよ。だって、君はまだ本物の『世界を描くメロディ』を奏でられていないのだから」
はるかは満面の笑みを浮かべ、うんうんと首を大きく縦に振った。
「はい、ちゃんとここに来ます! 部活のある日もない日も、先輩に会いに来ます!」
「じゃあ、今日は遅いからもう帰りなよ。制服がびしょびしょじゃないか。風邪ひくよ、病は生きる者の特権だけどさ」
「あっ、ホントですね。そしたらジャージに着替えて帰ります。それじゃ、来週からよろしくお願いしますね!」
はるかは小躍りしながら何度も振り向いては頭を下げ、屋上を後にした。最後に扉を閉める前に一度、顔をひょっこりと出して微笑み、小さく手を振った。千賀もゆったりと手を振り返す。
それからはるかが顔を引っ込めると、鋼鉄の扉はゆっくりと閉じ、廊下から洩れる灯りを閉ざしてゆく。
冷たい鋼鉄の音がふたりを隔絶した。
それから千賀はひとり、深くため息をつき、遠くの空に目を向けてつぶやく。
「どうやら僕は、この世界につなぎ止めてもらえそうだ。けれどその代償は――」
そして雨空を仰ぐ。その千賀の表情は懺悔する罪人のようで、えもいわれぬ呵責の念を湛えていた。