水曜日の放課後。最後の選考会を二日後に控えた、追い込みの練習日。

はるかが音楽室に足を踏み入れると、麗が三人の女子部員に囲まれていた。

「今年こそ、全国大会に一緒に出場しましょうよ、麗先輩!」

「麗先輩、今回のコンテストは麗先輩のグループと高円寺先輩のグループの二組ですよね。あたし、麗先輩と同じグループになれたら嬉しいなぁ」

「麗先輩となら、上手く演奏できちゃいそうですから! だって麗先輩、リズムが良くてビブラートが綺麗なんですもの」

やけにテンションが高く、その声量は楽器の音量に負けていない。皆の視線はお構いなしに、三人は麗を大げさに囃し立てる。

南野、北川、西山の女子三人組は、はるかと菜摘のひとつ年上、高校二年生の「ハイカラトリオ」。皆、演奏は経験者で、コンクールのメンバーの有力候補である。けれどけっして当確というわけではない。

「こんにちわぁ~」

はるかはそそくさとその横を通り過ぎ、はにかんだ笑顔で挨拶をする。先日、喫茶店で見せた麗の優しい笑みを思い出す。

麗先輩ってほんとうは物腰やわらかい人なのかな。そうだといいなぁ。

そんな期待を込めて挨拶をしたつもりだった。けれど麗は冷淡な表情で突き放すような返事をする。

「こんにちは花宮さん、少し遅いわよ」

さっとはるかの血の気が引く。

昨日の麗先輩とは別人みたい。どっちがほんとうの顔なんだろう?

はるかはハイカラトリオの視線が自分に向けられていることに気づく。三人とも、むっとした表情で雰囲気は最悪だった。

ひええ、あたし気に障るようなことしちゃったのかなぁ。

三人は頭を下げて麗から離れ、すぐさまはるかを囲い込んだ。西山が耳元でささやく。

「花宮さあ、用があるんだけど、ちょっとこっち来てくれない」

「えっ、なんですか、用って」

「まあいいから、ほら早く!」

そして強引に音楽室から連れ出された。はるかは逮捕された犯人のように左右から固められ逃れる術はない。部員たちの目の届かない、離れた廊下に連れられたところで、壁にずいっと押しやられ、三人に詰め寄られる。

ひゃあ、あたしが何したっていうの?

南野が脅すような低い声でこう言う。

「あんたさぁ、どういうつもりなのよ。ひとりだけ抜けがけしたでしょ」

「……抜けがけって、なんのことですか?」

まるで心当たりのないことを言われて困惑するはるかに向かって、南野が突然、手を上げた。

バンッ!

南野の手のひらがはるかの右頬をかすめて通過し、背後の壁が鈍い音を立てた。

「ひゃっ!」

「なにとぼけているのよ!」

南野の声がさらに荒くなる。すると間髪入れず第二波が到来した。

ドンッ!

「ひいっ!」

今度は北川の手のひらが左頬をかすめ壁を揺らした。はるかの顔は伸びた二本の腕に挟まれて身動きできず震えあがる。西山が腕を組み凄んで言う。

「しらばっくれるんじゃないわよ! あんた、この前ちょっと上手く演奏できたからって、欲が出て麗先輩に取り入ったでしょ。演奏技術じゃあたしたちに敵わないからってせこいんだよ!」

うわっ、あたし、この先輩たち目をつけられたみたい。怖い、どうしよう。

はるかの心臓はまるで鉄の手で握りつぶされるように縮み上がった。まるで世界が自分を取り囲むように狭まり、逃げ場がなくなっていくようだった。足ががくがくと震えだす。

誰かが気づいてくれればいいけれど、音楽室の喧騒は壁ドンの振動をかき消している。

「コンクールに出るのはあたしたちだからね! あんたは最初っから圏外なんだよ!」

そう言われて、はるかは必死に言い返す。

「あたし……コンクールに出られるほど上手いなんて思っていません。先輩たちの方がぜんぜん上手です」

「じゃあ、なんであんたなんかが昨日、麗先輩と一緒にいたのよ。情報だだ漏れなんだからねっ!」

ああっ、やっぱり誰か見ていたんだ。はるかはすぐさま誤解を解きにかかる。

「あれは、その……あたしが麗先輩に呼び出されたわけで……」

顔を上げると冷たい六つの瞳が突き刺さっている。まるで串刺しにされたように硬直し怯える。

「じゃあ、麗先輩の用件って何だったのよ。あんたに用があるとは思えないけど」

ほんとうは涼太が呼び出していたのだけど、それを言うと嫉妬心が上乗せされて話がややこしくなる。

答えあぐねていると、はるかの脳裏に麗の言葉が蘇った。すぐさまその通りに説明する。

「あっ、あの……あたし最近ちゃんと部活に出ていなかったので……叱られていたんです。それも超厳しく……」

喫茶店で聞いた、麗の用意した答えはてきめんだった。三人は急にぷっと吹き出し、腹を抱えて笑いだした。

「あははははは、そうだよね。それなら納得がいくわー」

「だいたい、麗先輩があんたなんか相手にするわけないよね」

「さーて、謎が解けたところで練習の続き頑張ろうっと」

三人はご機嫌の表情になり、足早に音楽室へ舞い戻っていった。