「ううん、でもその……なんていうのかしら、あなたのメロディが持っている、独特の雰囲気や世界観、それに透明感。私も涼太も、あなたのメロディがある人のそれにとても似ていることに気づいたの。だからひょっとしたら、その人から教わっていたんじゃないかと思って尋ねたの」

すると涼太が遮るように言葉を挟む。

「麗、この子は関係あるはずがない。音楽を最近始めたばかりならありえないことだ」

麗も同じように解釈したようで、涼太に向かって小さくうなずいた。

「そうね、あなたの身勝手に他人を巻き込んでしまってはいけないわ。それにあなた、医学部を受験する予定なんでしょう? あのひとのことをいつまでも引きずっていてはいけないと思うわ」

麗は諭すように涼太に言った。

身勝手? あのひと?

はるかはこのふたりにはお互いを縛る深い事情があるんじゃないか、そしてそれは音楽と関係しているんじゃないか、と感じていた。手にしているメロンソーダのグラスをテーブルに置いて、それとなく質問する。

「あのー、おふたりは……幼馴染みなんですよね?」

「うん、そうよ」

「ああ、そうだよ」

「おふたりとも、昔から音楽をなさっていたんですか?」

「そうよ。ふたりとも同じピアノ教室でね、家も近かったし」

ピアノ教室? そこではるかは疑問に思うことを尋ねてみる。

「今は……ピアノはなさってないんですか? 昔からピアノをなさっていたのなら、どうしてアンサンブル部なのかなぁと思って」

するとその質問に対してふたりとも、すっと表情を曇らせ、目を見合わせた。

「……いいんじゃない、それくらい話しても」

「ああ、そうだな」

涼太は思い出すように思考を巡らせた後、おもむろに口を開いた。

「俺がフルート奏者になろうと決心したのは、とある先輩の演奏に感銘を受けたからだ」

麗はミルクティーを口にしてこくりと喉を通すと、その後に続いた。

「ほんとうはね、涼太は有名な私立の進学校に進む予定だったの。それなのに城西高等学校に入学したのは、中学三年生の時、この高校の学園祭を見に来て、アンサンブル部の演奏を聴いてしまったからなの。正確には当時、二年生だった部員の演奏をね」

「ああ、それでアンサンブル部に入ってその先輩と演奏しようと思っていた。親には相当、反対されたけどな。まぁ、必ず医学部に進学するという条件付きでこの高校への進学を認めてもらえた。だけど麗、お前だってどうしてこの高校にしたんだ。しかもお前まで管楽器に手を出すなんて」

麗はくすっと笑って答える。

「うーん、どうしてかしらね。涼太にはわからないかな?」

「またはぐらかすのか。何度聞いたか数え切れないぞ」

「そうね、じゃあ当たったら教えてあげてもいいかな、なんてね」

なんか不思議な関係ね。でも、お互いのことをすごく理解している気がする。

はるかはそう思いふたりの顔を交互に眺める。

涼太はコーヒーを一気に飲み干して立ち上がり、鞄と会計の伝票を手にした。はるかを見下ろして言う。

「花宮、わざわざ来てもらって悪かったな」

「涼太、もう行っちゃうの? ……ああ、今日はあの人のところに行くのね」

麗がそう言うと涼太は背中を向けたまま、黙って首を縦に振った。足早に店を立ち去る涼太の姿を、麗はずっと目で追っていた。

見えなくなったところで麗は小さなため息をつき、それから気を取り直すように笑顔を作る。

「あっ、そうだ。あなたにはお願いがあるの。厳しい要求かもしれないけれど、この曲、フルートで吹けるかしら。上手でなくても構わないんだけどね」

鞄の中からファイルケースを取り出し、テーブルの上で開く。そこには譜面が仕舞われていた。たくさんの音符が並ぶその五線譜が目に入ると、はるかはそれが自分の記憶の中にある旋律の楽譜だと気づく。

『想い出は銀の笛』

あたしの好きな曲。あたしが千賀先輩と会った時、一緒に演奏した曲だ。

「これを、あたしにですか……?」

はるかのレパートリーは少ないけれど、これなら対応できそうだと思った。けれどそれ以上にはるかは疑問に感じたことがあった。

「この譜面は四重奏の曲ですよね」

「ええ、そうよ。あなたは自分の好きなパートを演奏すればいいわ。だから今度の選考会までに仕上げてきてね」

「あっ、はい、努力してみます」

「じゃあ、私もそろそろ帰ろうかしら」

そうして麗も喫茶店を去っていった。

麗の言葉にどんな意味があったのか、はるかは理解できなかった。けれどハンガリー田園幻想曲より難易度が下がったようで安堵した。緊張の糸が切れたはるかは脱力し、テーブルの上にでろんと伸びた。

ああ、やっぱりいろんな意味であたしのハンガリー田園幻想曲はダメだったんだなぁ。でもまぁいっか、こっちの方が気に入っている曲だし。