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はるかはひとりでガトーショコラを頬張り至福の時間に酔いしれる。麗の笑顔と糖分の魅力で緊張の糸はすっかり緩んでいた。一方の涼太と麗は飲み物を口にしつつ会話を交わしている。さほど遠くない思い出話のようだ。
「あのときは面白かったな。俺のグループは賑やかなやつらが集まったからさ。俺以外の奴、最後は派手にやろうとかいって、踊りながらフルート吹くんだもんな。知らなかった俺だけが浮いちまったじゃん。とんでもない演奏だったよ」
どうやら春のコンクールのことらしい。新三年生は全員出場のコンクールであり、多くの部員はこれを引退記念としている。受験勉強に専心するためだ。
「ふふっ、三年生の男子、全員集まるとあんなふうになっちゃうのね。でも、県大会四位っていう順位は歴代最高よね。そんな型破りなパフォーマンスをしてその順位はすごいんじゃない?」
「いや、それがよかったのかもしれないよ。予選ではおとなしかったくせに」
そう言って顔を見合わせてくすっと笑う。
部活で目にするふたりとは違った和やかな雰囲気。部活ではあえて毅然とした態度をとっているのかな、とはるかは察した。
まるで恋人同士みたいに見えるけれど、実際はそうでないことをはるかはよく知っている。涼太が麗ではない誰かに熱い想いを抱いているのだから。
「麗の方も皆、緊張していたって割にはいい演奏だったよな。今年はグループ、どういうふうに分けようか」
「うん、そうね。でももし涼太がよければ、私のわがまま、聞いてもらえるかしら。だって部活でのコンクール、今回が最後でしょ」
麗は意味ありげに、にこやかな表情になる。
「わがまま? 麗は誰か組みたい人がいるのか」
怪訝そうな顔をする涼太。まるで想像がついていないらしい。
「うん、その話は後で。だってここで話したら情報漏れちゃうでしょ?」
「確かにそうだよなぁ」
涼太ははるかを一瞥する。はるかは「聞いていないですよ」という意味を込めて目の前で両手のひらを振った。
そのとき、はるかはふと思いついたことがあった。それはアンサンブル部に所属していた三年生の男子のことだ。
「あっ、あのー。ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど」
「なんだい、花宮」
「引退した三年生の男子生徒って、誰がいましたか?」
「えっ、俺以外の七人だよな。春季大会で引退したから、君は知らないと思うけど――」
そして涼太は次々と同級生の名前を口にしたが、その中に『千賀貴音』という名前はなかった。
「えっと、他に途中で退部した人とかいますか?」
「いや、脱落者はいなかった。皆、仲良かったからな」
答えを聞いたはるかは落胆した。
千賀先輩の名前は出てこなかった。アンサンブル部じゃないのかなぁ。
はるかは喉元まで「千賀」という名前が出かかったけれど、すぐさま飲み込んだ。千賀から秘密にするように言われているので、うかつに尋ねることはできない。
しかたなく、千賀と涼太の関係を探るのは諦めることにした。
「そうですか。じゃあ今日あたしが呼ばれた理由って何なんでしょうか。てっきり怒られると思っていたんですけど……」
麗はちらとはるかの目の前の皿を見た。ガトーショコラが平らげられているのを確認すると涼太に目を向ける。涼太は静かにうなずいてから口を開いた。
「君に訊きたいんだ。どこでフルートを覚えたのかを」
視線が刺さるように鋭い。はるかはその言葉が未熟な腕前に対する非難的な意味だと解釈した。
「あっ、あの、独学ですけど……。あとは菜摘に教えてもらったこともありますし、他の人にも……。ははっ、駄目ですよね、ちゃんと上手な人に習わないと」
頭を指先でかきながら愛想笑いを浮かべると、涼太の眉間がぎゅっと険しくなった。
「その他の人って、いったい誰だ?」
わざわざ濁した返事に対し、涼太は過敏に反応した。厳しい口調だったので、はるかはあわてて誤魔化す。
「あっ、ごめんなさい。知り合いとか……他の友達とか先輩とか……」
しどろもどろの答えに、ますます眉間の皺が深くなる涼太。容赦なくはるかを詰問する。
「具体的には、いつ頃からフルートを練習しているんだ?」
はるかはおどおどしながらも正直に答える。
「あの、高校に入ってからです。それまではぜんぜん音楽に触れてなくて……」
すると涼太は一瞬、驚きを浮かべる。それから視線が困惑したように宙を漂い、落ち着くと今度は深い落胆のため息をついた。はるかはその反応に申し訳なさを覚え、ぺこりと頭を下げる。
「ごめんなさい、これからは上手な先輩たちに教えていただきたいと思います。だからご指導のほど、よろしくお願いいたします」
麗は涼太がそう尋ねた事情をわかっているようで、すぐさまはるかの解釈を否定する。
「こちらこそごめんなさいね、変な質問をしてしまって。あなたが下手だっていっているわけではないの。荒削りで、まだ音楽としての体をなしていないところも多分に見受けられるんだけどね」
「あっ、やっぱり下手くそってことですね」
はるかはおどけでそう言うが、さっきまでとはうって変わって麗の顔つきも真剣だった。麗は続ける。
はるかはひとりでガトーショコラを頬張り至福の時間に酔いしれる。麗の笑顔と糖分の魅力で緊張の糸はすっかり緩んでいた。一方の涼太と麗は飲み物を口にしつつ会話を交わしている。さほど遠くない思い出話のようだ。
「あのときは面白かったな。俺のグループは賑やかなやつらが集まったからさ。俺以外の奴、最後は派手にやろうとかいって、踊りながらフルート吹くんだもんな。知らなかった俺だけが浮いちまったじゃん。とんでもない演奏だったよ」
どうやら春のコンクールのことらしい。新三年生は全員出場のコンクールであり、多くの部員はこれを引退記念としている。受験勉強に専心するためだ。
「ふふっ、三年生の男子、全員集まるとあんなふうになっちゃうのね。でも、県大会四位っていう順位は歴代最高よね。そんな型破りなパフォーマンスをしてその順位はすごいんじゃない?」
「いや、それがよかったのかもしれないよ。予選ではおとなしかったくせに」
そう言って顔を見合わせてくすっと笑う。
部活で目にするふたりとは違った和やかな雰囲気。部活ではあえて毅然とした態度をとっているのかな、とはるかは察した。
まるで恋人同士みたいに見えるけれど、実際はそうでないことをはるかはよく知っている。涼太が麗ではない誰かに熱い想いを抱いているのだから。
「麗の方も皆、緊張していたって割にはいい演奏だったよな。今年はグループ、どういうふうに分けようか」
「うん、そうね。でももし涼太がよければ、私のわがまま、聞いてもらえるかしら。だって部活でのコンクール、今回が最後でしょ」
麗は意味ありげに、にこやかな表情になる。
「わがまま? 麗は誰か組みたい人がいるのか」
怪訝そうな顔をする涼太。まるで想像がついていないらしい。
「うん、その話は後で。だってここで話したら情報漏れちゃうでしょ?」
「確かにそうだよなぁ」
涼太ははるかを一瞥する。はるかは「聞いていないですよ」という意味を込めて目の前で両手のひらを振った。
そのとき、はるかはふと思いついたことがあった。それはアンサンブル部に所属していた三年生の男子のことだ。
「あっ、あのー。ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど」
「なんだい、花宮」
「引退した三年生の男子生徒って、誰がいましたか?」
「えっ、俺以外の七人だよな。春季大会で引退したから、君は知らないと思うけど――」
そして涼太は次々と同級生の名前を口にしたが、その中に『千賀貴音』という名前はなかった。
「えっと、他に途中で退部した人とかいますか?」
「いや、脱落者はいなかった。皆、仲良かったからな」
答えを聞いたはるかは落胆した。
千賀先輩の名前は出てこなかった。アンサンブル部じゃないのかなぁ。
はるかは喉元まで「千賀」という名前が出かかったけれど、すぐさま飲み込んだ。千賀から秘密にするように言われているので、うかつに尋ねることはできない。
しかたなく、千賀と涼太の関係を探るのは諦めることにした。
「そうですか。じゃあ今日あたしが呼ばれた理由って何なんでしょうか。てっきり怒られると思っていたんですけど……」
麗はちらとはるかの目の前の皿を見た。ガトーショコラが平らげられているのを確認すると涼太に目を向ける。涼太は静かにうなずいてから口を開いた。
「君に訊きたいんだ。どこでフルートを覚えたのかを」
視線が刺さるように鋭い。はるかはその言葉が未熟な腕前に対する非難的な意味だと解釈した。
「あっ、あの、独学ですけど……。あとは菜摘に教えてもらったこともありますし、他の人にも……。ははっ、駄目ですよね、ちゃんと上手な人に習わないと」
頭を指先でかきながら愛想笑いを浮かべると、涼太の眉間がぎゅっと険しくなった。
「その他の人って、いったい誰だ?」
わざわざ濁した返事に対し、涼太は過敏に反応した。厳しい口調だったので、はるかはあわてて誤魔化す。
「あっ、ごめんなさい。知り合いとか……他の友達とか先輩とか……」
しどろもどろの答えに、ますます眉間の皺が深くなる涼太。容赦なくはるかを詰問する。
「具体的には、いつ頃からフルートを練習しているんだ?」
はるかはおどおどしながらも正直に答える。
「あの、高校に入ってからです。それまではぜんぜん音楽に触れてなくて……」
すると涼太は一瞬、驚きを浮かべる。それから視線が困惑したように宙を漂い、落ち着くと今度は深い落胆のため息をついた。はるかはその反応に申し訳なさを覚え、ぺこりと頭を下げる。
「ごめんなさい、これからは上手な先輩たちに教えていただきたいと思います。だからご指導のほど、よろしくお願いいたします」
麗は涼太がそう尋ねた事情をわかっているようで、すぐさまはるかの解釈を否定する。
「こちらこそごめんなさいね、変な質問をしてしまって。あなたが下手だっていっているわけではないの。荒削りで、まだ音楽としての体をなしていないところも多分に見受けられるんだけどね」
「あっ、やっぱり下手くそってことですね」
はるかはおどけでそう言うが、さっきまでとはうって変わって麗の顔つきも真剣だった。麗は続ける。