クリスマスの日は朝からソワソワしてた。
 朝食にハムエッグを作れば手を火傷するし、髪を洗えばシャンプーを父親の物と間違う。その他にもやらかして最後は階段から落ちた。運よく怪我はしなかったが。
 若葉と過ごせるからと言ってここまで浮かれて馬鹿になってる自分に呆れてしまう。前々から悩んでいた若葉へのプレゼントはちゃんと用意できた。多分これなら受け取ってくれる。
 スマホで何度も確認して予定の時間十分前に部屋を出て玄関でブーツをはく。親は出かけてるから玄関のドアに鍵をかけて、隣の若葉の家のチャイムを鳴らす。玄関を開けて若葉が顔を出すとその横にはちょこんと紅葉の姿。サンタの帽子が似合ってる。

「よう、紅葉。手、出してみ?」

 紅葉が出した手にそっとクリスマスプレゼントを乗せる。

「えっ⁉ ちぃちゃん、いいの?」

  嬉しそうな紅葉に頷いて見せる。そのまま頭を撫でてやると嬉しそうに照れていた。

「いいんですか? 千景」

 なぜか不機嫌そうな若葉が気になったが、理由が分からないので見ない振りした。

「大したもんは用意出来てねえよ。女の子の欲しいもんなんかオレは分かんねえからな。まあ、紅葉はオレにとっても妹みたいなもんだから」
「そうだよぉー。ちぃちゃんは紅葉の二人目のお兄ちゃんなの!」

 紅葉がそのままオレの腕を取り自分の腕に組ませる。紅葉は中学生の女の子だからそうされると胸が少し当たって困る。どうしようかと迷っていると若葉から冷ややかな視線を浴びせられ急いで紅葉の体を離す。若葉は紅葉を溺愛しているからオレが敵と思われそうだ。オレは嫌だな、こんな兄貴。

「そろそろ行こうぜ」

 これ以上雰囲気が悪くならないうちに移動しよう。そう思い若葉に声を掛ける。

「あ、はい。ちょっと母さんに言ってきます」

 若葉はリビングへ入っていった。するともう一度紅葉が寄ってきて、

「もしかして若葉とデート? クリスマスなのにちぃちゃん、あんなのが相手でいいの?」

 と、聞いてきた。自分の兄貴をあんなのって……

「そうなんだけどさ、あんなのが…どうしてもいいの」

 ナイショ話をするように人差し指を立てて言った。その後紅葉の頭をポンポンと叩いて体を離しておいた。何度もあんな目で見られたらたまらねえからな。

「趣味悪いよねえ~。後二~三年待てば、紅葉がいるのにぃ」

 そう言って口を尖らせる紅葉を笑って見てた。きっと紅葉はいい女になるんだろうな。

「何を話しているんですか?」

 奥から出てきた若葉に二人して「別に?」と知らん顔をしておいた。不思議そうな顔をして靴を履く若葉の陰で二人でニンマリと笑っていた。
 並んで外に出ると十二月の風が二人の体を冷やす。あちこちの家で小さな電球がキラキラと光っている。冬の夜は冷たいのに無駄に綺麗で。

「晩飯食べた?」
「いいえ、まだです」

 そう言って腹を片手で押さえる若葉のしぐさが可愛らしい。オレに目に変なフィルターが付いてんのかってくらい、最近若葉が可愛く見える。

「予約しといたから行こうぜ、そんな高いトコじゃねえけど」

 オレはコートのポケットに両手を突っ込んで歩く。若葉はそんなことしない。手袋をはめた手でバッグの紐を持っている。

「高い店だったら断りますし……というか、そんな事くらい千景は分かってますよね」
「どうだろうな、オレは今の若葉の事どのくらい知ってんだろ?」

 若葉の中学での変化は分からないまま。眼鏡も敬語も。若葉のそれだけは教える気は無いようだから聞けない。

「僕のほとんどが千景の思っている、楠 若葉であっていると思いますよ」

 驚いて若葉の顔を見る。オレの思っている若葉?

「昔の若葉も、今の若葉も?」

 若葉は静かに頷く。

「好きな食べ物も、好きなスポーツも変わりません……好きな人も」

 若葉の告白に時間が凍ったのかと思った。オレは知らない、聞いてない。そんな前から若葉に好きな人がいるなんて。クリスマスに誘った俺に対する断りなのか若葉の考えは読めない。
 好きな食べ物はピザ。嫌いな食べ物はピーマン。好きなスポーツは水泳。嫌いなスポーツは無し。ちゃんと覚えてる。だけど若葉の好きな人なんてオレは聞いたこと無い。

「俺の知ってるヤツ?」

 なるべく不自然にならないように聞く。

「はい。千景も良く知っている人のはずです」

 強く殴られたような衝撃を感じたけど、相手が誰なのか分かったような気がする。

「相手いるじゃんか……」
「そう……みたいですね」

 俯いて答える若葉を見ていると口に苦いものが広がる。

「着いた、入るぞ」

 暗い雰囲気を振り払うように、若葉の手を握りしめ店のドアを開けた。

「いらっしゃいませー。あら、千景君。確か今日は二人よね? 奥のテーブル座ってくれる?」

 ちょっと太ったおばさんが案内してくれる。

「母の友人なんだ、あの人。座ろう、若葉」
「そうなんですか」

 メニューを若葉に渡してから、

「好きなの頼めよ、イタリアン好きだろ?」
「……あ、ありがとうございます。よく覚えてましたね千景」

 そう言いながらメニューを真剣に見ている。そうそう見た目のわりに昔は結構食ってたな。

「えーと、ああ……どうしましょうか?」

 いつの間にか作られていた壁が、最近薄くなってきたようで素の姿に近い若葉が見れて胸がポカポカする。やっぱりオレを見て欲しい……

「千景は何にしますか?」

 メニューを渡そうとする若葉を手で止める。何度も来ているからここのメニューは憶えてる。

「オレはエビとたっぷりトマトのパスタのAセット。若葉も決まったなら注文するか」
「あ、僕がやりますよ」

 若葉が呼び鈴を鳴らしてさっきのおばさんがやってくる。若葉が注文している間オレは窓の外をボーっと見ていた。チカチカと光るイルミネーションの前をちらつく雪。ああ、冷えると思ったんだ。
 注文をきちんと聞いてなかったので、食事がテーブルいっぱいに並んだのには驚かされた。オレの注文意外にパスタとグラタンが一皿ずつ。たっぷりとチーズの乗ったピザが一枚。サラダとセットのパンとスープまではいい。
 テーブルの真ん中に鎮座しているイチゴのホールケーキは何だろう? そもそも、誰が食べるんだろう?

「さ、千景。食べましょうか?」

 この光景を当然のようにして食事を始める若葉。昔だけじゃなく今もよく食べるんだな…その体型で。

「ホールのケーキなんて男二人でどうやって食うんだよ?」

 パスタを口に運びながら若葉に問いかける。

「え? 僕、全然食べれますよ。千景は甘いの嫌いでしたっけ?」
「嫌いじゃねえけど、流石にホールでは食わねえよ」
「そうですか……」

 シュンと落ち込む若葉の姿に焦るオレ。

「少しなら食うから」

 沢山食べるとは言わなかった。そんなに食える自信は無かったから。それでも若葉は納得してくれたようで口元でだけ微笑んでくれた。
 結局若葉はその身体のどこにそんな量が入るのだろうかという食事とホールケーキを食べてもケロリとしていた。店を出ると雪がチラついていて、時の流れがゆっくりに感じる。

「ホワイトクリスマスですね」

 分厚い眼鏡と口元まで巻いたマフラーで、ぱっと見は不審者みたいで。

「その格好はヤバいだろ?」

 そう言って若葉のマフラーの口元を緩めて、口だけでも見えるようにする。

「寒くないか?」
「大丈夫です」

 雪が降る程今日は寒いというのに若葉は顔を真っ赤にして答えた。

「若葉、時間大丈夫か? オレもう一つ行きたい場所があるんだけど」

 ここからが俺の本当の目的。昔みたいに、子供の時に戻ったみたいにあの場所で二人で過ごしたかった。

「……ここでいいのですか? いつも見ている公園ですよ」

 やって来たのは家のすぐそばにある小さな公園。小さい頃よく遊んだんだ。

「若葉、空見てみて?」
「ああ、凄い。今日は地上も空もキラキラですね」
「若葉、覚えてる? オレがガキの頃、夜中何度も家出して……若葉とアッちゃんが探してくれて三人で夜空いっぱいの星を見てた。綺麗だった」

 若葉は憶えてくれているだろうか? オレはあの時間が幸せでたまらなかった。

「ふふっ、本当にあの頃の千景はすぐに抜け出すから手を焼きました。探すのに僕と篤史も駆り出されて……それくらいあの時の君はとても危うかった。綺麗でしたね、あの星空。みんな夢中で見てて時間も寒さも何も感じませんでした」

 若葉はあの頃を思い出しているようで懐かしそうに夜空を見ていた。

「若葉、ベンチ座ろうぜ。少し話がしたい」

 ベンチの雪を退かして若葉を座らせる。さっき聞いた話が本当ならばオレはどうすればいいか迷っていた。

「ふっ、千景の頭にも雪が積もってますよ?」

 隣に座ったオレの頭から雪を払う若葉の手首をそっと掴んだ。不思議そうにオレを見る若葉に覚悟を決めて口を開く。

「どうしてアッちゃんなの?」
「……篤史がどうかしたんですか?」

 若葉がアッちゃんを好きな理由が知りたかった。でも若葉は何の話か分からないって顔をしている。

「今頃オレに言うんじゃなくてもっと前にアッちゃんに告白していたら、今頃は若葉がアッちゃんの隣にいられたかもしれないだろ?」

 アッちゃんが彼方センパイと付き合い始めたのは三年になってからだ。若葉にはもっと時間があったはずなのに。

「ちょ、ちょっと待ってください千景! どうして僕が、篤史なんかの隣にいなくてはならないのですか?」

 篤史なんかってそれはちょっと酷くないか、若葉。

「若葉がアッちゃんを好きだからだろ?」

 妙にかみ合わない会話が続いて、口に出したくもない事実をとうとう言ってしまった。本当なら若葉がアッちゃんの事をどう思っていてもオレが口を出すことなんて出来ない。それでも余計な世話を焼いてしまうのは、抑えきれない嫉妬心の所為だ。

「僕は篤史なんか好きじゃありませんよ!」

 酷い誤解だとでも言うように顔を真っ赤にして大声を出す若葉。若葉ってこんな大声出せたんだなと違う所に驚いてしまった。

「え? 違うのか?」

 オレは話を聞いた時からずっと相手はアッちゃんだと思い込んでいた。オレもよく知っている昔からの知り合いって他にいただろうか?

「篤史には彼方君がいますし、あんなゴツイ男は道場で見飽きてます。これっぽっちも好きじゃありません!」
「あ…そう……」

 一気に脱力して掴んでいた若葉の手首を外して撫でる。手首から手の甲を辿って若葉の指先へと移動する。静かに指を絡ませてお互いの体温を確認する。
 指先が冷たくてジンジンする。

「じゃあ、誰だよ?」

 絡めた指に力を入れて若葉をここから逃がさない。

「え?」

 戸惑う若葉は手とオレの顔を交互に見て返事に困っている。

「オレもよく知ってる若葉の好きな奴って誰?」

 どうしても嘘はついてほしくなくて、若葉の眼鏡のテンプルを引っ張り眼鏡を奪った。

「ちょっと、千景? 流石に怒りますよ?」

 眼鏡の無くなった若葉が大きな瞳でオレを睨みつけてくる。

「……答えて? 若葉」

 困った顔をする若葉の腰を抱き寄せて、2人の距離を詰めた。どうせ暗いから男二人でこのくらい近づいてても気付かれはしないだろう。

「い、言いたくありません。千景……お願いですから腕を放してください」

 オレの腕でじたばたと暴れる若葉を、込み上げてくる欲求に勝てずに思いきり抱き締めた。武術をやっているからか見た目ほど細くない身体からは若葉らしいミントの香りがした。しばらくして抵抗し疲れたのかクッタリとした若葉の身体を少し離して顎を掴む。

「千景? 何を……?」

 戸惑う若葉の唇を親指でなぞる。少し冷えた唇は思ったよりカサついてる。

「若葉が教えてくれないなら…キスするけど?」

 好きな人を言うか、オレのキスを受け入れるか。これなら選ばざるをえないだろ?

「言いたくありません……言えないっ!」

 ここまでしても好きな相手を答えようとしない若葉。

「そう? じゃあ覚悟決めなよ」

 そう言って唇を寄せる。ほら、早く答えろ若葉。

「千景は何で……こんなことを僕にするのですか?」
 
 いつもよりずっと弱気な若葉がオレに問いかける。

「分かんねえの? 若葉が好きだからに決まってるだろ?」

 今まで態度で示してきたじゃん。それに向き合わなかったのは若葉の方だろ? それだけ言って若葉の唇にギリギリまで近づく。
若葉俺の言葉を信じられないと言わんばかりの顔で受け止めたが、好きな相手を言う気は無いらしく諦めたように瞳を閉じた。
 何でそこまでして言いたくねえの? もしかして言えないような相手なの? こんなキス、したって何の意味も無い。すれば虚しさだけが残るだけ。
 オレはバッグを開けて手のひらサイズの袋を取り出す。瞳を閉じたままの若葉から顔を離して、オレの代わりに袋を若葉の唇に押し付けた。

「え…? 何です、千景?」

 瞳を開けた若葉の手のひらにさっきの袋を渡して、オレは若葉から距離を取った。

「クリスマスプレゼント。開けてみたら?」

 若葉はいそいそと袋を開けて中身を取り出す。ガキみてえだな。

「あれ? これって…」

若葉の手の上には誕生日にプレゼントしたキーホルダーと同じペンギンのぬいぐるみ。若葉の顔が一気に明るくなった。よかった、喜んでもらえたようだ。

「ソレ、盗聴器仕込んでるから部屋に他の誰かを連れ込むなよ?」

 冗談だけどまるで自分が若葉の特別でもあるかのように言ってしまう。

「そんなことしません!」

 若葉は右手を上げてオレを殴るふりをする。そーゆーところが可愛いんだよ。

「嘘に決まってんだろ?」

 怒る若葉が愛おしくて避けながら笑ってしまう。

「さっきの……」

 若葉が拳を下ろして何かを言いかける。

「何?」

 言いにくそうな若葉を不思議に思いながら聞き返す。

「さっきの……相手が千景でなければ目なんて閉じてませんから」

 赤い顔で小さく呟く若葉に少しだけイラつく。せっかくさっき止めてやったのに若葉は分かってねえの?

「何それ、オレを煽ってんの?」

 言葉に自分の欲を乗せて返す。オレだって若葉とキスしてえから何度も我慢するなんてそんなつもりはねえよ?

「違います! 僕は本当に誰に迫られてもこうなる訳じゃなくて、千景ならば良いと思っただけなんです」

 ……我慢できなくて若葉の唇に触れないギリギリの場所に何度も口付けた。

「じゃあオレと付き合ってくれる?」

 キスが許せるって事は付き合うことも可能なんじゃねえの? だけど若葉の返事は違ってた。

「…ごめんなさい。僕、千景とはお付き合いできません」

 申し訳なさそうに謝る若葉。なんでそうなんの?

「オレがだめなのか? 理由は?」
「千景は悪くないんです。本当に、千景の所為では……僕が決めたことなんです」

 きつく自分に言い聞かせるように喋る若葉は本当に何も教えてくれない。ねえ、若葉。それでもオレはオマエがいいよ? オマエだけに受け入れられたい。
 でも、オレを拒絶しているはずの若葉の方が、涙をポロポロと零してしまうからオレはもう何も言うことは出来なかった。持っていたハンカチでグイグイと若葉の涙を拭いて、取り上げていた眼鏡をかけてやる。

「……オレは、まだ諦める気はねえよ?」

 その一言には若葉は俯いて返事はくれなかった。どうしても笑った顔も怒った顔も泣いた顔も、やっぱり若葉が一番可愛い。この感情は簡単には捨てることは出来ない。

「千景は…この前女子生徒を家に連れ込んでいましたよね?」

 文化祭前に千亜樹が来た時の話だろうと思った。あれから一度もそのことについて触れなかった若葉が問いただしてきた。

「ただのクラスメートでシンデレラのドレスの為の採寸をしただけだ」
「そんな見え透いた言い訳を……あの人が千景の彼女なんでしょう?」

 疑い以外の何もないような瞳で若葉から見つめられる。オレが何を言っても信じてもらえそうにないな。

「いーよ。今度本人連れてきて話させてやる」
「えぇ? 僕は修羅場は嫌ですけど……」

 アホなことを言い出す若葉の頭を叩いてベンチから立たせた。

「馬鹿なこと言ってないで帰るぞ。身体が冷えてる」
「はい」

 オレは若葉の手を取り自宅までの短い距離を歩いた。ずっとこんな時間が続けば良いのにと思いながら……