夏休みが終わって学校が始まり毎日一緒の登校が始まる。
 はじめの数日こそは「そのうち好きな女性が……」とか「すべての人が千景の両親とは同じではないのですよ?」とか鬱陶しいこと言ってたけれど、完全にその話題だけシカトしていたら若葉も諦めたのか黙って歩くようになった。
 話してんの見られたら困るのは若葉の方だろ? これでいいよ。それにしても気になっている相手から、別の相手が見つかるなんて言われると不愉快でしょうがねえ。
 オレに『誰か』を好きになって欲しいのなら、オマエがその『誰か』になれよ。

「もうすぐ文化祭ですね」

 珍しくオレ以外の話題を口にした若葉。そういや、もうそんな時期なのか。

「若葉のトコはもう決まってんの?」
「三年は受験がありますから早めに決めましたよ」

 ……へえ、オレのクラスはまだ決まってねえよな。もしかしてオレがサボっている間に決まってたりして?

「ふうん、若葉は何すんの?」
「執事喫茶だそうですよ、女子が喜んでましたが人気なんですか?」

 ああ、若葉はこういうことは興味ないんだな。勉強と武術しか普段してねえからこんなことも知らねえの。しかし、文化祭に執事とか女子の願望しか感じねえけどお約束ではあるな。オレのクラスは何になるだろう?


「執事か……彼方センパイとか似合いそう」

 アッちゃんの美形の恋人に着せたらとんでもなく似合いそうで、見に行く価値はあるなと思う。後はアッちゃんを揶揄って……なんてな。

「彼方君、裏方が良いって言って女子からブーイング食らってましたよ」
「そりゃ、そうだろ」

 彼方センパイだったら女子に人気だから、売上だって上がるだろうし。そりゃあ見た目が良い執事の方が誰だっていいだろう。好みはあるだろうけれど。

「千景たちは何をするんでしょうね」
「なんだろな? 若葉も執事服着んの?」

 お互いに自分の事より相手の方が気になる。彼方センパイの執事もいいけれど、若葉のそういう格好だって見てみたい。
 ……できれば他の誰にも見せなくても、オレにだけ見せて欲しい。

「僕も着ますが、指名は来ないでしょうね」

 珍しく微笑みながら眼鏡を指さす。眼鏡を外せば女子生徒も近寄るだろうが若葉は外さないだろう。まあ、その方がオレは安心なんだけど。

「オレが指名してやる」

 そう言うと、若葉は口に手をあててクスクスと笑う。

「千景はしてくれそうですね」

 当たり前だろ、若葉がそうやって微笑んでくれるなら何度だってやってやる。そんな風に話をしながら、学校が近くなりケンが突撃してくる場所の手前で若葉とは別れた。

――――

「……う……っ」

 真っ暗なオレの部屋でオレ以外の誰かの声が聞こえる。

「重……」

 ベッドで寝ているオレの腹の上に何か乗っているようだ。グスッ……部屋に響く泣き声、つい出てしまう溜息を止められない。

「またダメだったの?」

 部屋に香るアルコールの匂い、だいぶ飲んできたようだ。

「アンタがそれを言うの?」

 嗚咽交じりの声でオレを責めながら、空いた左手でオレを殴る。酔っぱらっていて手加減が無い。

「……また、四年も待てないって言われたの?」

 酔っ払いに聞いたって無駄だと分かってても、聞かないとこの人はここから退かないだろう。

「だって、今すぐが良いって言うんだもの」
「アンタ達の言う愛とやらはそんなもんなんだ?」

 こんな嫌味、今言ったって意味がない。どうせ明日の朝には覚えてなんかいないだろ。

「アンタだって親も愛せない子供のくせに……」

 悔しまぎれに言われた言葉だとしても、こんな親でも気付いていたのかと驚いた。

「酔いすぎ…ほら、部屋戻ろ? 母さん」

 腹に母を乗せたまま起き上がりベッドから出ると、母の腕を取り起こして肩を貸す。母の部屋のベッドに寝かせて、コップに水を注ぎ置いておく。
 部屋の戻り時計を見ると午前二時。学校の時間まで十分眠れるけれど、今日はもう眠れそうにない。母の零したビールを片付け、少しだけ微笑んでくれた若葉を思い出しながら朝までの時間を過ごした。


 そうやって、寝不足で迎えた次の日の朝。

「ふぁ……」
「寝不足ですか? 千景」

 大きな欠伸を何度もするオレが、気になり始めたようで若葉が聞いてきた。

「……ん、別に。それでアッちゃんがどうしたって?」

 オレの両親の事を若葉は知っているけれど、ここ何年相談なんてしていないから話したくない。オレの中だけで消化していけばいい問題なんだと思っている。

「そう、彼方君の衣装の採寸を女子にさせたがらないんですよ。独占欲が強すぎて呆れます。まあ、結局彼方君に殴られて怒られてましたけど」

 今日は何故か朝からハイテンションな若葉。幼馴染のアッちゃんの行動が余程恥ずかしかったのだろうな。知ってる人いないと思うけど。

「そりゃ、アッちゃんが悪いな。しかしそんなに嫉妬深いんだ……意外」

 オレだけ学年が違うから、残念ながらそういうアッちゃんは見る事が出来ない。見れるのなら後で思いきり揶揄うんだけどな。

「そうですね、僕も篤史がこんな風になるなんて思ってもみなかったです。昔は何処か冷めたところのある男でしたから」

 恋愛で変わったアッちゃん。若葉も誰かに恋して変わったりするのだろうか? オレを想って変わってくれないかと思うのは贅沢だろうか?
 そんな願望を若葉に隠して、今日もいつもの場所で別れた。

 昨日あまり眠れなかったから、今日は眠くて……眠くて。若葉と別れて、ケンと合流して教室に着いたら教科書も出さずに机に突っ伏して眠ってしまった。
 文化祭の出し物を決める時間だったらしくて、時々ケンが起こしては簡単な質問をしてきた。

「チカ―、白雪姫とシンデレラどっちがいい?」
「……白雪姫」

 オレは黒髪が好みなんだよ。

「男と女どっちがいい?」

 何だそれ、やる役の話か?

「男……」

 そう言った後、なぜか女子の喜んだ声が聞こえたような気がしたけど気にせず寝直した。二時間ほど眠ると頭もだいぶスッキリしていて、体勢を立て直し髪を軽く整えた。

「チカ! ちょうどいい所で起きたな、喜べ! お前が一位だったぞ」

 ケンがオレを呼んで嬉しそうに黒板を指さすが意味が分からない。

「一位って、いったい何が?」
「投票の結果、チカがダントツの一位で『シンデレラ』だ!」
「はあ?」

 もう一度黒板を見てみると文化祭とシンデレラの文字の横に、乾千景と正の字が四つ。まさか、文化祭でシンデレラの役をオレにやれってのか?
 いやいや、オマエ等……正気か?
 言っておくがオレの顔は十人並みだと認識している。間違っても彼方センパイのような中性的な美形ではない。大体、身長百七十八センチもあるオレに女装をしろと?
 ……オレはクラスの連中にいったい何を望まれているのだろう?

「チカ、頑張ろうな」

 そう言ってオレの横に来たのはショウ。少し長い黒髪から覗く瞳がオレを憐れんでいるようにも感じる。

「ショウ、他人事だと思って……」

 そう言うとショウもケンの様に黒板を指さす。シンデレラの隣にある王子の所にあった名前には馴染みがあった。

「あ、あれ?」
「そう、僕は王子。チカがシンデレラに選ばれたりするから、悪ノリされて僕が選ばれたじゃないか」

 確かにこのクラスで俺より背が高いのはショウくらいだ。ショウは性格も顔も良いから女子から人気あるしな。ショウが王子なのは納得がいくんだが、やっぱ俺がシンデレラなのはおかしくねえか?

「女子もいるだろうが、このクラスは」

 普通科であるこのクラスの半分は女子だ。半数も女子がいて姫役が男なのは変じゃねえ?

「女子はほとんどが裏方だよ。チカがシンデレラは男でもいいとか言ったんじゃないか」

 ショウは呆れたように言うが身に覚えがない。眠っていた時に何言われてたかなんて分かるわけないだろ。

「俺、ちゃんとチカに聞いたからね。恨まないでよ?」

 ショウの反対側に立っていたケンからも言われて、もう諦めるしかないんだろうか。

「二人とも、頑張れよ!」

 明るくカズから励まされて、既に当日休みたい気分でいっぱいになった。

 朝が来るのが憂鬱だった。昨日の役の事を若葉に聞かれると思うと、頭がガンガンする……
 文化祭の出し物が何に決まったか、毎日毎日聞くほど楽しみにしている若葉に話さないわけにはいかなくて。

「千景がシンデレラ? 千景が?」

 予想どおりひどく驚いた顔で、何度も若葉に聞き直された。
 オレだってどうしてこんな男の女装姿を、みんな見たいのか分かんねえと思っているよ。女子がだめなら可愛い系の男子がいるってのにさ。

「若葉は見に来なくていい。アッちゃんには絶対来るなって言っといて」

 若葉にこんなオレの女装姿なんて見られたくない。アッちゃんなんかに知られたらたまらないからしっかりと言っておく。
知られてしまったら、一年くらいは揶揄われるんじゃねえかと思う。

「絶対見に行きます。千景がシンデレラなら、きっととても綺麗でしょうね!」

 ……おい、何でそうなるんだ? どうやったらオレが綺麗になるのか若葉の頭の中の想像図がよく分からない。
それともオレが分からないだけの嫌味か何かなんかだろうか。

「来るなって言ってんだろ。若葉、怒るぞ?」

 意味は無いと思いながらも若葉を睨むが、当然若葉は怯まない。腕っぷしでは若葉の方が強いのだから、これはもうどうしようもねえ。

「千景に怒られても、絶対に行きます!」

 両手で拳を作って気合を入れる若葉。どうしてそうなるんだ?

「勘弁してくれ……」

 とてつもなく頭が痛い。若葉はこうなったら絶対来るだろう。オレは気になっている相手にそんな恰好を見せる趣味は無いのに。

「千景、すみません。僕どうしても見たくて……」

 若葉がすまなそうに謝る。お前に謝って欲しい訳でもねえよ。

「好きにしろよ。とりあえず、アッちゃんはだけは勘弁な」

 もう諦めた。若葉からこんなに言われたら、オレはダメだなんて言えねえし。気持ち悪いって思われない程度には頑張るしかないってことだ。

「ありがとうございます。千景の衣装はどんなのですか? きっとスレンダーな千景に似合う綺麗なドレスが用意されるんでしょうね」

 どんなシンデレラを目に浮べているのか若葉はうっとりと呟く。オレはそんなに細くねえよ、筋肉だってそれなりについてるし。

「想像するだけでキツイ…」

 若葉はオレに対して綺麗という言葉を何度も使うが、何度鏡を見てもオレの姿はヤンキーで綺麗な訳がない。オレはちょっと若葉の審美眼が心配になってきた。
 ドレスを着た自分を想像すると吐き気がしそうなんだけど……若葉もクラスメイトも本当にオレに何を求めているんだろう?
 いつもの場所まで来ると若葉はいつもの無表情に戻る。

「では千景、ここで別れましょう。文化祭、とても楽しみです」

 そう言って片手をサッと上げた後、若葉はさっさと行ってしまった。

 さわがしいHR前の時間、でも何となく俺の好きな時間でもある。今日も朝から元気に突撃してきたケンが寄ってくる。

「チカ、今日は衣装のサイズの……えっと、採寸? あるって」

 女子から伝言されたであろうセリフを一生懸命思い出しているケンの姿は面白い。

「そういや、お前の役は何だ?」

 オレとショウの役は知っているけれど、ケンとカズの役は聞いていない。

「えっ? チカ、見てくれなかったの? オレはチカの継母だよ」

 ……オレの、ではないだろ。

「ガキのような継母だな」

 ついケンの頭をポンポンと叩いてしまった。

「うっわ、ムカつく。見てろ、本番ではめっちゃいびってやるよ」

 腹を立てたらしいケンは腕を組みイジメる気満々になったらしい。

「見てみて! 俺は魔法使い、それっぽくなあい?」

 後ろからほうきを持って笑って見せるカズ。うん、似合うと思う。王子のショウと魔法使いのカズに継母のケン、それぞれが適役だと思うのにオレがなあ……笑いでも取りに行けばいいのかもしれないけど、オレはそんなタイプでもねえし。

「ねえ、男子は昼休み採寸するからね。終わらなかったら自宅まで行ってやるからちゃんと被服室に来てよ?」

 衣装係であろう女子から声を掛けられる。はあ、昼つぶれるのか。ちょっと寝たかったんだけどな。そんなことを考えながらケン達との話を続けた。

「じゃあケン君が一番で次がカズ君。その後に主役のショウ君、チカ君ね」

 そう言われてオレ達は採寸するために区切られたカーテンの外に並ぶ。カーテンの向こうに行ったケンが女子と話し込んでてなかなか進まない。

「次、カズ君入ってー」

 カズが呼ばれショウと二人、横に並べてあった椅子に座る。昨日もよく眠れなかったから目を瞑ったら予鈴の音で起こされた。

「チカ、昼休み終わったよ。僕までしか出来なかったけれど、チカはどうする?」

 そう言って目の前に立っているショウ。あれ、オレ寝てたのか?

「――えっ? 何、チカが残ったの? じゃあアタシやるわ」

 そう言ってカーテンを勢いよく開けてきたのは千亜樹(ちあき)

「げえっ!」
「げっ! て何よ、ちょっと失礼じゃない?」

 ああ、まーた面倒なのが出てきたな。

「お前が出てきてよかったことは今まで一度だって無かったからな」

 この女、千亜樹はオレの容姿だけに異様に執着する女。なんでもオレが好きな女にそっくりなんだと。そこは男じゃないのか? とツッコミたくもなるが。

「チカ君だけ放課後、教室でやろうかと……」

 気の弱そうな係の女子が千亜樹にそう言うと

「待って、チカはシンデレラよ? 主役なんだから、特別にアタシが測ってあげるわ。放課後、自宅に連れて行きなさい」
「嫌だ」

 千亜樹の事だ、どうせオレの部屋でも荒そうと考えているんだろう。そこまで身代わりしてやるつもりはねえ。

「駄目よ、アタシがこうと決めたらこうなの。チカも分かってるでしょ」

 そう言い切る千亜樹、コイツはいつもそうなんだ。女子には優しいが男子には強気で強引。椅子に座ったままのオレの前に仁王立ちして動かない千亜樹に、諦めて首を縦に振った。


「……へえ、チカの家は壁がグリーンなのね。悪くないわ」

 半ば強制的に千亜樹を押し付けられて、偉そうに人の家を品定めしているコイツをどうすればいいのか。オレにはもう分からない。

「いいから腕を放せ」

 何のためなのか、好きな相手の代役なのか当然の様に絡ませられた腕を強引に外す。

「ああ、ごめんね。つい……」

 自分の行動に気付いてもいなかったようで、千亜樹自身が驚いた顔をしていた。

「いいから早く入って終わらせろ」

 あちこち弄ろうとする千亜樹を早く帰らせようと家の門を開けドアのカギを開く。すると同時に隣の家の玄関のドアが開いて、中から若葉が出てきた。
 嘘だろ? 何でこのタイミングで…どうして道場に行ってないんだ?
 オレは若葉とは会わない自信があった。だから千亜樹がごねたらあっさりOKを出したんだ。ウロウロする千亜樹の存在に気付いて、若葉がこっちを向いて立ち止まる。
 オレと千亜樹の存在を確認すると、若葉はそのままドサッと持っていた四角の袋を足元に落としてしまう。オレの方を向いたまま動かない若葉に声をかけようとすると、千亜樹がオレの手を取り玄関のドアを開ける。
 いや、これは不味いのか? 俯いた若葉からは何の表情も読めなくて、そのまま千亜樹の存在によって隠される。

「早く入りましょ? 中も見てみたいわ」

 そう言ってオレを引っ張り無理矢理家に入る。いや、そんな場合じゃない事は分かる。どうしたらいい? 言い訳した方が良いのだろうか?
 でも俺と若葉は付き合っている訳でもない。頭の中がグルグルして訳が分からない。
 千亜樹から離れて深呼吸して窓から隣の玄関を見たけれど、そこにはもう若葉の姿は無かった。ただ若葉が持ってたであろう四角の袋がそのまま置いたままになっていた。

「ねえ、チカ。もう採寸してしまいましょうか? そろそろ飽きてきたわ。ああそういえば、さっきの人……アンタの想い人なのね」

 気にするのが遅すぎる千亜樹は見てない様でちゃんと見ている。そして恐ろしいほど勘が良い。

「早くやって、お前は帰れよ」

 そう言ってオレの部屋で採寸していると、

「やっぱりチカは男なのよね……」

 と好きな相手とは違うということを再確認しているようだった。採寸が終わると千亜樹は来た時とは別人のように大人しかった。

「誤解、させてしまっていたらゴメンね」

 そう言って謝って帰って行った。
 しかしオレみたいな女の子ってどんな子なんだろうな。こうしてほかの事でも思ってないと、若葉の事が気になってしょうがなかった。
 このままでは若葉はオレから簡単に離れてしまいそうで……オレも何か若葉との間に形が欲しくて焦っていた。

 次に日の朝、想像はしていたけれど……どっかにもしかしたらって気持ちがあって玄関から出たけれど、やっぱりそこに若葉の姿は無かった。

 五分待っても十分待っても出てくることはない若葉にため息をついて学校に向かった。
 やっぱり昨日のがいけなかったんだ。一時期『他の女性が』が口癖のようだったが、実際に見てしまうと若葉も複雑だったのかもしれない。
 これが若葉のヤキモチとかならオレは嬉しいけれど。どうせ千亜樹の存在に気を使って時間をずらしたりしているんだろう。
 最初は軽く考えていたが何日経っても若葉と会うことは無くって、アッちゃんに若葉との連絡を頼んでも「無理だった」と言われた。
 頼みの綱の紅葉のラインには【様子がおかしいから、しばらくそっとして欲しい】と若葉の様子を少しだけ教えてくれた。
 あの日から若葉がおかしいまま? あれから何日経った?
 ……どうして?
 若葉に直接理由を聞きたかった。オレが千亜樹といるのを見て傷付いたの? そんな風に勝手に期待してしまいそうな心を抑える。
 だけどどうすることも出来なくて、若葉と会えないまま文化祭はやって来た。