若葉が他県に引っ越してから四か月以上が過ぎ、オレは高校最後の夏休みを勉強ばかりで過ごしていた。受験生になってから親は寮のある大学ばかりを進めるようになった。早くオレに出て行ってほしいらしい。
ここにいてももうオレが必要とされることは無いだろう。
勉強の合間に飲み物を飲んで、スマホを確認するとアッちゃんからラインが来ていた。電話をくれとの事だったのでリダイヤルでアッちゃんの番号を探し電話をかける。
「もしもし、チカか? しばらく会って無いけれど、お前どうしてる?」
大学生になってもアッちゃんは元気そうだ。彼方センパイとも上手くいってるのだろう。
「フツ―に元気してるよ。アッちゃんこそ彼方センパイと喧嘩でもしたの?」
「彼方は今頃、若葉の所に行ってるよ」
アッちゃんの言葉に驚いた。一緒にいるところを見かけた事はあったけれど、そんなに仲が良いとは思っていなかった。
「彼方センパイは若葉に会いに行ったの?」
「そうだよ。今日、彼方は若葉のアパートに泊まるんじゃないかな?」
そんなのは嫌だ! どれだけ彼方センパイが良い人でも、若葉と二人きりで夜を過ごしてほしくない。自分には関係のないことだと分かっていても、まだこうして嫉妬してしまう。
「チカ、お前は若葉に会いに行かなくていいの?」
アッちゃんはオレが若葉に二度フラれている事を知らない。若葉もわざわざアッちゃんに話したりはしないだろう。あんな風に……一言のサヨナラの挨拶さえなく去っていかれたら、会いになんていけねえよ。
「アッちゃん……オレさ、もう完全にフラれたんだよ」
遅くなったけれどきちんと報告した。アッちゃんにはいろいろ迷惑かけたから。
「チカ……若葉はチカの事がずっと好きなんだぞ? 言えない理由があるだけで」
何それ? 若葉はオレに対してそんな態度を一度でも取ったことがあっただろうか? オレが気付かなかっただけ?
「言えない理由って?」
「それは俺からは言えない。俺も若葉との約束があるから。チカが直接若葉に聞くんだ」
アッちゃんと若葉の間でオレの知らない約束が交わされている。アッちゃんはオレにヒントをくれているんだと思う。まだ頑張れって背中を押してくれているんだ。
「わかった。オレがちゃんと若葉から聞く」
「そうしろ。チカ、お前が若葉を素直にさせてやるんだ」
若葉を素直に……本音を見せてくれない若葉の心を素直にさせてやる。
「それと早くしないと、彼方が若葉のアパートの着くんじゃないかな?」
アッちゃんの言葉でまた焦り出す。冗談じゃない。
「アッちゃん、もう切るよ。またね!」
一方的に電話を切って、ラインを開いて文字を打つ。
『若葉、彼方センパイと寝ないで!』
急いで打った文だったから、それほど深くは考えていなかった。ただ彼方センパイのお泊りを阻止したかっただけだ。すぐに机の上でスマホの着信音が鳴り響く。
……若葉からだ。ラインにラインで返さずに電話をしてくるなんて珍しい。スマホの画面をタップしてドキドキしながら電話に出る。
「…もしもし」
「もしもし、若葉です。早速ですが千景のさっきのラインは何なんですか?」
心なしか若葉の声のトーンが低い。何かに怒っているようだ。
「さっきアッちゃんと電話してて、彼方センパイが若葉のアパートに泊まるって聞いたから……オレは嫌だ、若葉……彼方センパイを泊めないで、お願い……」
オレは必死だった。二人が泊まったところで何にも起きないことくらい分かってる。それでもオレの心はキリキリと音を立てる。誰かが若葉の触れられる距離にいて欲しくないんだ。
「落ち着いてください。千景は篤史に騙されているんです。確かに彼方君はこっちに来ていますが、ちゃんとホテルの予約を取っています」
若葉から丁寧に説明されて、オレはやっと落ち着いた。オレは若葉に会えないでいたから、すっかりアッちゃんに騙されてしまった。
ああ。そうだそうだ、アッちゃんはこういう奴だった。
「その……勘違いして悪かったな、若葉」
「全くですよ。千景はいつもいつも篤史に騙されて……大体僕と彼方君が一緒に寝てどうしろって言うんですか」
珍しく厳しい口調で話す若葉。ん? オレ一緒に寝るなとか打ったっけ?
「どうにかなったりするかもしれないだろ?」
九十九%何も無いと分かっていても、残りの一%がオレを不安にさせる。
「本当に馬鹿な事を。あんまり変な事を言うと、怒って僕も篤史と千景で変な想像をしますよ?」
うっわ! それはキツイ。それなら綺麗な彼方センパイの方が何倍もいい。
「……じゃあ、怒られてもいいから若葉に聞きたいことがある」
ここからはもっと大事な話。若葉、お前にはオレ達がここから進める可能性があるのかを教えて欲しい。
「何です? 怒りたくったって僕にはもう貴方を殴ってやることも出来ないんですよ? さっきみたいな誤解をされるくらいならば聞いてくれた方が楽です」
いいんだな、若葉。ちゃんとお前の本音を聞かせてくれよ?
「今日アッちゃんから聞いたんだ。だから正直に答えて欲しい。若葉はオレの事が好きなのか?」
ヒュッ、っと若葉が息を吸う音が聞こえた。
「篤史の言葉など真面目に受け取ってはいけないとさっき言ったばかりでしょう?」
やっぱり若葉は自分に気持ちをはっきりと言葉にしようとはしない。若葉は好きか嫌いかをオレに答えてくれたことは無かったのだと気付く。
「オレは若葉から気持ちをちゃんと聞きたいんだ。イエスかノーでいいから。オマエの本音を教えて欲しい」
真剣に若葉に頼んだ。これが最後かもしれないんだから一度くらい素直になって欲しかった。
「……言えない。言えないんですっ」
若葉の泣いているような声が電話口から聞こえてきて、戸惑ってしまう。こんなになる程若葉は何を隠してる?
「ねえ、若葉。前にオレは憶えていなくてもいいって言ってたアレだろう? もう教えてよ」
若葉を優しい声で説得する。きっと若葉だけじゃなくオレも覚えていなきゃいけない事だったんだ。
「……千景はあの夜の事を覚えていますか? 貴方が小学二年生だった、あの夏の日の夜」
……ああ、覚えてる。あの日オレは親を愛する事が出来なくなった。愛する気持ちも愛する価値も何もかもが分からなくなった。
「忘れたくても忘れられねえよ。父と母がそれぞれの不倫相手を家に連れ込んで、そりゃもう酷い修羅場を見せてくれたんだから」
子供心に一生懸命二人を止めようとするオレを『本当に邪魔な子だ』と家の外に放り出した。投げ出されてしばらく空をボーっと眺めていた。そう、あの夜見た月は満月だった……
裸足の足で若葉の部屋の窓ガラスに小石をぶつけた。若葉の靴を借りて2人であの小さな公園で月を見ながら話したんだ。
「そう、あの夜僕たちは約束をしました。あの時、君は泣いて泣いて目を真っ赤にして……」
そうだ。あの夜オレが若葉に言ったんだ。
「人も愛も何もかもが嘘をつき裏切るのならオレはそんなものはいらない……でも友達は、若葉は違った」
そう、だから―――
『お願い、若葉。ずっとオレの友達でいて―――』
思い出した言葉に若葉の声が重なる。そうだ。オレが若葉に無理矢理約束させたんだ。あの時若葉は静かにオレの手を取って頷いてくれた。
「僕はどんな形でも千景の力になりたかった。望みはかなえてあげたかった。千景は僕にとって大切な人だから」
「オレの……ガキの頃の約束をずっと守っていたのか?」
何年前だよ、十年前? オレは初めて若葉の想いの深さを知った。オレは自分が楽であるためにこんなにも長い間若葉を言葉一つで縛っていたんだ。
「僕は一生約束を近くで守っていくつもりでした。でも中学に上がる前くらいから僕は、君をもっと特別な目で見るようになってしまった。約束を守りたかったけど、君の傍に友達としているのは辛くて……苦しくて逃げ出してしまいました」
若葉は自分が悪いかのように話しているけれど、ただ俺との約束を守ろうとしてくれていただけだった。それでも若葉に聞いてみたいことがあった。
「ねえ、若葉。オレがガキの頃した約束を忘れないでずっと守ってくれていたのは嬉しいよ。でどうして昔のオレじゃなくて、今若葉を必要としているオレを選んではくれなかったんだ?」
こんなこと言ったってもう遅いのは分かってる。でも、もし今オレを選んでくれるのならばオレは若葉を待つ事だって出来るんだ。
「ごめんなさい、千景。僕にはもう答えなんて分からないっ!」
若葉の返事とともに電話は切れた。プープープーっとなる電子音をタップして消して、机の上にノートパソコンを開く。若葉の気持ちはちゃんと確認できた。
インターネットで若葉の大学の住所を確認してメモをする。財布からおっちゃんに貰った名刺を取り出して住所を見比べる。
オレは大きめの鞄に服と財布とスマホを入れて、メモを握って家を飛び出した。
ここにいてももうオレが必要とされることは無いだろう。
勉強の合間に飲み物を飲んで、スマホを確認するとアッちゃんからラインが来ていた。電話をくれとの事だったのでリダイヤルでアッちゃんの番号を探し電話をかける。
「もしもし、チカか? しばらく会って無いけれど、お前どうしてる?」
大学生になってもアッちゃんは元気そうだ。彼方センパイとも上手くいってるのだろう。
「フツ―に元気してるよ。アッちゃんこそ彼方センパイと喧嘩でもしたの?」
「彼方は今頃、若葉の所に行ってるよ」
アッちゃんの言葉に驚いた。一緒にいるところを見かけた事はあったけれど、そんなに仲が良いとは思っていなかった。
「彼方センパイは若葉に会いに行ったの?」
「そうだよ。今日、彼方は若葉のアパートに泊まるんじゃないかな?」
そんなのは嫌だ! どれだけ彼方センパイが良い人でも、若葉と二人きりで夜を過ごしてほしくない。自分には関係のないことだと分かっていても、まだこうして嫉妬してしまう。
「チカ、お前は若葉に会いに行かなくていいの?」
アッちゃんはオレが若葉に二度フラれている事を知らない。若葉もわざわざアッちゃんに話したりはしないだろう。あんな風に……一言のサヨナラの挨拶さえなく去っていかれたら、会いになんていけねえよ。
「アッちゃん……オレさ、もう完全にフラれたんだよ」
遅くなったけれどきちんと報告した。アッちゃんにはいろいろ迷惑かけたから。
「チカ……若葉はチカの事がずっと好きなんだぞ? 言えない理由があるだけで」
何それ? 若葉はオレに対してそんな態度を一度でも取ったことがあっただろうか? オレが気付かなかっただけ?
「言えない理由って?」
「それは俺からは言えない。俺も若葉との約束があるから。チカが直接若葉に聞くんだ」
アッちゃんと若葉の間でオレの知らない約束が交わされている。アッちゃんはオレにヒントをくれているんだと思う。まだ頑張れって背中を押してくれているんだ。
「わかった。オレがちゃんと若葉から聞く」
「そうしろ。チカ、お前が若葉を素直にさせてやるんだ」
若葉を素直に……本音を見せてくれない若葉の心を素直にさせてやる。
「それと早くしないと、彼方が若葉のアパートの着くんじゃないかな?」
アッちゃんの言葉でまた焦り出す。冗談じゃない。
「アッちゃん、もう切るよ。またね!」
一方的に電話を切って、ラインを開いて文字を打つ。
『若葉、彼方センパイと寝ないで!』
急いで打った文だったから、それほど深くは考えていなかった。ただ彼方センパイのお泊りを阻止したかっただけだ。すぐに机の上でスマホの着信音が鳴り響く。
……若葉からだ。ラインにラインで返さずに電話をしてくるなんて珍しい。スマホの画面をタップしてドキドキしながら電話に出る。
「…もしもし」
「もしもし、若葉です。早速ですが千景のさっきのラインは何なんですか?」
心なしか若葉の声のトーンが低い。何かに怒っているようだ。
「さっきアッちゃんと電話してて、彼方センパイが若葉のアパートに泊まるって聞いたから……オレは嫌だ、若葉……彼方センパイを泊めないで、お願い……」
オレは必死だった。二人が泊まったところで何にも起きないことくらい分かってる。それでもオレの心はキリキリと音を立てる。誰かが若葉の触れられる距離にいて欲しくないんだ。
「落ち着いてください。千景は篤史に騙されているんです。確かに彼方君はこっちに来ていますが、ちゃんとホテルの予約を取っています」
若葉から丁寧に説明されて、オレはやっと落ち着いた。オレは若葉に会えないでいたから、すっかりアッちゃんに騙されてしまった。
ああ。そうだそうだ、アッちゃんはこういう奴だった。
「その……勘違いして悪かったな、若葉」
「全くですよ。千景はいつもいつも篤史に騙されて……大体僕と彼方君が一緒に寝てどうしろって言うんですか」
珍しく厳しい口調で話す若葉。ん? オレ一緒に寝るなとか打ったっけ?
「どうにかなったりするかもしれないだろ?」
九十九%何も無いと分かっていても、残りの一%がオレを不安にさせる。
「本当に馬鹿な事を。あんまり変な事を言うと、怒って僕も篤史と千景で変な想像をしますよ?」
うっわ! それはキツイ。それなら綺麗な彼方センパイの方が何倍もいい。
「……じゃあ、怒られてもいいから若葉に聞きたいことがある」
ここからはもっと大事な話。若葉、お前にはオレ達がここから進める可能性があるのかを教えて欲しい。
「何です? 怒りたくったって僕にはもう貴方を殴ってやることも出来ないんですよ? さっきみたいな誤解をされるくらいならば聞いてくれた方が楽です」
いいんだな、若葉。ちゃんとお前の本音を聞かせてくれよ?
「今日アッちゃんから聞いたんだ。だから正直に答えて欲しい。若葉はオレの事が好きなのか?」
ヒュッ、っと若葉が息を吸う音が聞こえた。
「篤史の言葉など真面目に受け取ってはいけないとさっき言ったばかりでしょう?」
やっぱり若葉は自分に気持ちをはっきりと言葉にしようとはしない。若葉は好きか嫌いかをオレに答えてくれたことは無かったのだと気付く。
「オレは若葉から気持ちをちゃんと聞きたいんだ。イエスかノーでいいから。オマエの本音を教えて欲しい」
真剣に若葉に頼んだ。これが最後かもしれないんだから一度くらい素直になって欲しかった。
「……言えない。言えないんですっ」
若葉の泣いているような声が電話口から聞こえてきて、戸惑ってしまう。こんなになる程若葉は何を隠してる?
「ねえ、若葉。前にオレは憶えていなくてもいいって言ってたアレだろう? もう教えてよ」
若葉を優しい声で説得する。きっと若葉だけじゃなくオレも覚えていなきゃいけない事だったんだ。
「……千景はあの夜の事を覚えていますか? 貴方が小学二年生だった、あの夏の日の夜」
……ああ、覚えてる。あの日オレは親を愛する事が出来なくなった。愛する気持ちも愛する価値も何もかもが分からなくなった。
「忘れたくても忘れられねえよ。父と母がそれぞれの不倫相手を家に連れ込んで、そりゃもう酷い修羅場を見せてくれたんだから」
子供心に一生懸命二人を止めようとするオレを『本当に邪魔な子だ』と家の外に放り出した。投げ出されてしばらく空をボーっと眺めていた。そう、あの夜見た月は満月だった……
裸足の足で若葉の部屋の窓ガラスに小石をぶつけた。若葉の靴を借りて2人であの小さな公園で月を見ながら話したんだ。
「そう、あの夜僕たちは約束をしました。あの時、君は泣いて泣いて目を真っ赤にして……」
そうだ。あの夜オレが若葉に言ったんだ。
「人も愛も何もかもが嘘をつき裏切るのならオレはそんなものはいらない……でも友達は、若葉は違った」
そう、だから―――
『お願い、若葉。ずっとオレの友達でいて―――』
思い出した言葉に若葉の声が重なる。そうだ。オレが若葉に無理矢理約束させたんだ。あの時若葉は静かにオレの手を取って頷いてくれた。
「僕はどんな形でも千景の力になりたかった。望みはかなえてあげたかった。千景は僕にとって大切な人だから」
「オレの……ガキの頃の約束をずっと守っていたのか?」
何年前だよ、十年前? オレは初めて若葉の想いの深さを知った。オレは自分が楽であるためにこんなにも長い間若葉を言葉一つで縛っていたんだ。
「僕は一生約束を近くで守っていくつもりでした。でも中学に上がる前くらいから僕は、君をもっと特別な目で見るようになってしまった。約束を守りたかったけど、君の傍に友達としているのは辛くて……苦しくて逃げ出してしまいました」
若葉は自分が悪いかのように話しているけれど、ただ俺との約束を守ろうとしてくれていただけだった。それでも若葉に聞いてみたいことがあった。
「ねえ、若葉。オレがガキの頃した約束を忘れないでずっと守ってくれていたのは嬉しいよ。でどうして昔のオレじゃなくて、今若葉を必要としているオレを選んではくれなかったんだ?」
こんなこと言ったってもう遅いのは分かってる。でも、もし今オレを選んでくれるのならばオレは若葉を待つ事だって出来るんだ。
「ごめんなさい、千景。僕にはもう答えなんて分からないっ!」
若葉の返事とともに電話は切れた。プープープーっとなる電子音をタップして消して、机の上にノートパソコンを開く。若葉の気持ちはちゃんと確認できた。
インターネットで若葉の大学の住所を確認してメモをする。財布からおっちゃんに貰った名刺を取り出して住所を見比べる。
オレは大きめの鞄に服と財布とスマホを入れて、メモを握って家を飛び出した。