それから、私たちは毎週土曜日の他にも平日の一日か二日くらいは、幻想珈琲館前で待ち合わせをして琉斗君のバイト先である〝coco〟へ行った。琉斗君はバイトして私はケーキを食べながら彼の帰りを待つという形だけど、それでも今までよりも会える時間が増えて、千鶴さんや笹森君たちには琉斗君の彼女認定されて嬉しかった。

 幻想珈琲館が開店しているのは、いつも土曜日の夕方に来る時だけだった。

「実莉ちゃん、いらっしゃい。琉斗君、もう来ているよ」

「ありがとう、マスター。私、ホットココアね」

 琉斗君がいつもの壁際の席で片手をあげた。私は持って来たバッグを空いている椅子に置いて、着ていたダッフルコートをその椅子の背もたれに掛けると琉斗君の隣に座った。

 付き合うようになってから、座る位置は彼の前から隣に変わった。はじめはそれが照れ臭くて何だかくすぐったかったけど、もう二ヶ月くらい経った今では自然になっていた。

「もうすぐクリスマスだな」

 店内には大きなクリスマスツリーが飾られていた。金色のオーナメントで統一されたシンプルな飾りつけのグリーンのファイバーツリーだった。

「私、ピカピカ点滅する優しい光の電球が好きだけど、ファイバーツリーも綺麗だね」

「俺はクリスマスツリーって昔は憧れだったなあ。ウチ、無かったから」

 陽気な調子で琉斗君が笑った。

「サンタさんは?」

「来るかよ。つか、親父がそんなことするわけねえじゃん」

 琉斗君がケラケラと笑って手を振った。同時に、私の方にも小さい頃の苦い記憶が思い出された。

「うちなんて、弟だけに来た年があったんだよ」

「マジか」

「私もまだ小学校に入ったばかりでね。サンタクロースを信じていたんだけど。その時にたまたまお母さんの機嫌が悪くて、なんか叱られたんだよね。で、『そんな悪い子にはサンタさんなんて来ません!』て言われて、本当に来なかったという」

 今でこそ笑い話にできるけど、当時は幼心にショックだった。二段ベッドの下で寝ていた遥介の枕元には例年通りプレゼントが届いたのだから。

 そして、その日のうちにお母さんからプレゼントが手渡されて、あっけなくサンタさんという存在も終了した。「遥介は信じているから、夢を壊さないでね」という何だか理不尽な約束までさせられて。

「昔の話だけどね」

「そういう時ってさ、自分に子どもが生まれたら、出来るだけ長い期間サンタを信じさせたいとか思わなかったか?」

「えっ? うん、思った」

「俺も。自分が親父になったら、マジで毎年サンタの格好してプレゼントを届けようとか考えてた」

 サンタの格好をした琉斗君が大きな袋を抱えて窓から入ってくる姿を想像すると、思わず笑ってしまうけれど、きっと父親を反面教師にして良いお父さんになるんだろうな、なんて思った。

「俺たちはきっと、自分たちの親とは全く正反対の、ちゃんと愛情を伝えられる親になるよな」

 細い目がなくなるくらいに琉斗君が微笑んだ。なんだか二人が結婚するような言い方にも聞こえて照れそうになってしまう。

 だけど、琉斗君を見ていると思う。虐待は連鎖するっていうけど、彼に限ってはそんなことは絶対にない。だって琉斗君は言葉は悪いこともあるけど、怒りの感情を感じたことがない。私でもイラっとするようなマナーの悪い人にも寛大だ。

 そういう人がキレたら手をあげるとか、無いとは言えないかもしれないけど、だけど怒ること自体が少ないのだから、怒りを抑えられないタイプとは思えなかった。

「おまえは邪険にされてもさ、弟とは仲良くしていたんだろ?」

 唐突にそんなことを言われて、私は自分の思考から離れて琉斗君の顔を見た。

「うん、小さい頃から弟は可愛かったから。年子だから年齢差も感じないし、今でも仲がいいよ」

「そういうの、偉いなって思うんだよな。普通だったら、弟に嫉妬して八つ当たりするんじゃねえの?」

「だって弟は関係ないから……」

 確かに嫉妬をしなかったわけじゃないけど、それでも弟にその怒りが向くことはなかった。それは多分、弟を可愛がることで親に認めて欲しい部分もあったのかもしれない……。

「別に凄いことじゃないよ。ただ弟をダシに両親に誉めてもらいたかったのかもしれない。まあ、両親にとって弟は可愛がられて当然の存在だから、誉められたことなんてないけどね。でも、弟をイジメていたら、それこそどんな目に遭ったか分からないな」

 笑いながらそんなことを言ったけど、笑いごとではなくて本当にどうなっていたか分からないかもしれない。そう考えると、幼いながらも嫉妬に駆られてイジメたりせずに賢明な選択をしていたな、なんて思った。

「琉斗君こそ、お母さんを赦してお父さんと二人で暮らしてきて……凄いなって心底思うよ」

「ハハッ。大袈裟だって。おまえこそ、幼いガキが嫉妬を出さないなんてすげえって思うけどな」

「何これ? 褒め合い?」

 思わず二人で笑ってしまった。だけど、お互いにいいところを気づき合って認め合えるって大事かもしれない。

 そんなことを思ってほっこりした時、綺麗な鈴の音が響いて細身の金髪の女の子が入って来たのが見えた。

「えっ? ルナ!?」

 驚いて、思わず声に出していた。

 そう、入って来たのは確かに安城月だった。

 月は私には気が付かずに、マスターに「何時まで営業していますか?」と聞いている。

「今入ってきた子、知り合いなの?」

「うん、同じ高校で仲良くしてる友達……」

 琉斗君に説明していると、マスターが私たちの隣の席へ月を案内した。私の隣に座っても気が付かず、メニューを見ている月の手を軽くつついた。

「えっ? 実莉? なんで!?」

 かなり驚いたようで、月は持っていたメニューを下に落としてしまい、慌てて拾っていた。

「ルナこそ、どうしてここにいるの?」

「どうしてって。ちょっと親と喧嘩して家を出てきていたのよ。そしたら、近所に知らない道があって見たこと無い可愛いカフェがあったから入ってみたんだけど……」

 近所? 月と私は同じ世界の離れた場所に住んでいるけど、それでも月の家からも近所からここに来られるということなのかな……?

「あっ、もしかしてここが幻想珈琲館?」

「うん、そうなの」

「あっ、噂の琉斗君!?」

 ようやく隣の琉斗君に気が付いたのか、月の顔がパッと輝いた。
 それを見た琉斗君が苦笑いして私の耳元で囁いた。

「噂の? どんな噂だよ」

「えっ、素敵な彼氏だって言っているに決まってるじゃん」

 私はくすくすと笑って囁き返した。

 月がニヤニヤしながら私を肘で突いた。

「なあに? 仲がいいの見せつけてんの? ちょっと紹介してよ」

「あ、ごめん。噂の長久保琉斗君。で、同級生の安城月さん」

 本当に簡単に紹介すると、二人から「その紹介の仕方なに?」と突っ込まれた。

「けど、幻想珈琲館って実莉の家の近所じゃなかった? 私の家ってここから十分もかからない所にあるけど、実莉の家とウチって最寄り駅もそんなに近くないよね?」

 月が首をかしげながら不思議そうに言った。

「それより、ここに来た理由の彼がもうすぐ来るよ。その前にご注文は?」

 また謎の言葉を言いながら、マスターが現れた。

「えっ? ああ、じゃあオムライス」

 マスターが行ってしまうと、琉斗君が「誰かと待ち合わせなの?」と聞いた。

「まさか。たまたま来たお店だから」

 月が苦笑いして首を横に振った時、また鈴の音が響いて見たことがある赤髪の男の子が入って来た。

「あっ! 剛志《つよし》!?」

 月が立ち上がったから、剛志君がこちらを見て驚いた顔をした。

「えっ? ルナ?」

 二人が呆然として離れた距離で動きが止まったまま見つめ合っている横で、琉斗君が私に「誰?」と囁いた。

「ルナの元カレ……」

 そう、彼は少し前まで月と付き合っていた柿崎剛志(かきざきつよし)君だった。恐らくマスターの言っていた〝ここに来た理由の彼〟は剛志君なんだろう。

「お嬢さんとご一緒の席でいいかな?」

 冷水のグラスとおしぼりが月のテーブルに置かれたから、剛志君がダウンジャケットを脱いで私たちに軽く会釈をしながら椅子に腰かけた。そして、急に笑顔になって月を見ながら明るい声を出した。

「元気そうだな」

「……まあね」

「なんだよ、全然LINEの返事もくれねえじゃん。既読スルーばっかで」

 少し立てている短髪の赤髪に片耳だけのルーズリーフみたいなリングピアス。眉は細くカットされている彼はいかにもバンドマンという風貌で、確か中学の頃からバンドを組んでいるギタリストだった。

 だけど、その見た目とはギャップがある可愛らしい笑顔が、フワフワのぬいぐるみのような小型犬を連想させる。前に二回ほど会ったことがある彼は私の中では人懐こい仔犬のような印象だったけど、今でもそれは変わっていなかった。

「そっちこそ、フラれた元カノに対して、よく飽きもせずに四ケ月も毎日のようにメッセージ送れるよね? 返信も無いのに」

「だって、既読つくじゃん。読んでくれているなあって思うと、そのうち返信来ないかな? ってな。俺、諦め悪いって言ってるじゃん」

 月が困った顔をしながらそっぽを向いた。

 嫌だったら受信拒否だって出来るはずだから、やっぱり月は返信さえできなくても、ずっと剛志君を好きだったと見える。

「おい、ガン見しすぎだろ。遠慮しろよ」

 琉斗君に小声で言われて、自分が隣の二人をジロジロ見ていたことに気が付いた。

「じゃ、宿題教えてもらおっかな」

 苦笑いしながら、いつものように鞄の中から勉強道具を出して、とりあえず月たちから意識を外すことにした。

「なに? ここで勉強しているの? いつもそうなの?」

 せっかく二人だけで話をしてもらおうと思っているのに、月の方がこちらの会話に加わってきた。

「うん、琉斗君も去年同じ教科書使っていたから。ていうか、私たちは勉強するからね!」

「えっ? なに、そのお邪魔みたいな言い方」

 月はケラケラと笑っているけど、剛志君が困った顔をしているのが分かる。私たちが邪魔したくないだけなんだけど……。

「こら、ルナ。逃げねえでこっち向けよ」

 随分とストレートに言われたから、気の強い月がカチンとするのが分かった。

「別に逃げてないけど」

「じゃあ、ダチの邪魔してんなよ。俺と向き合えって」

 相変らず人懐こい笑顔でも言うことは男らしいな、なんて思いながら、琉斗君に頭を小突かれて仕方がなく勉強に集中することにした。大体、大学受験が無い付属校なのに週末の宿題が多すぎる。

 宿題が一段落した頃には、隣のテーブルも食事が終わっていて、いつの間にか和やかに話し込んでいた。こうやって見ていると普通に付き合っているようにしか見えないけど、どうなったんだろう?

「あのさ、俺、考えているんだけど」

 ふいに頭の後ろから琉斗君の声がして、私はまた月たちの方を見ていることに気が付いて慌てて振り向いた。

「なに?」

「だから、これからのこと」

「これから?」

 思わず壁時計に目をやると、十一時を回っていた。月たちは終電までには帰るのかな? いや、彼らにとってもここが近所なら電車は関係ないか。

「聞いてる?」

「あ、ごめん。これからって? 今日は朝までここに居られないの?」

「……じゃなくて」

 琉斗君が言い澱んで少しだけ目をそらしたけど、またすぐに私の目を見た。

「俺たちの、未来っつーか」

「あっ、うん。未来ね」

 そうだった。ここにいると麻痺してしまうけど、私たちは同じ世界に存在しているわけじゃない。これから付き合い続けていくことにあたって、ということだよね。

「まだ二人とも高校生だからさ、別に一生どうこうって決める必要もねえし、とりあえずはこのままでもいいんかなってのは思っているんだけど……」

「あははっ、一生って言われると確かにね」

「けど、別れがあるのかと思うと、やっぱ今は考えられないじゃん。おまえだって、嫌だって言ってたろ」

「それは、そうだよ。そんなの考えたくない」

 交わらない世界に住んでいても、こうやって何故か重なっている場所で会うことが出来ている。そして、二人で一緒にいれば、お互いの世界への行き来も出来ている。

「とりあえず、考え方は二つあると思うんだよな」

「二つ?」

「うん。一つ目は、ずっとこのままの形で一緒にいる。つまり、ここを拠点にして会うんだよな。けど、高校卒業して……お互いに早く家を出たいわけじゃん。だから、例えば一緒に暮らしたいとか思うとするじゃん?」

 そこまで具体的に考えたことはなかったけど、確かに高校を出たら大学に通うにしても家からは出たいとは思っている。そっか、一緒に暮らすとかそんな選択肢もあるのか。

 私は嬉しいような恥ずかしいような気持ちになって俯いた。

「あからさまに照れんな。俺だって言っていて恥ずかしいんだからな」

「ご、ごめん。続けて」

「けどさ、実際に一緒に暮らすとしても、お互いの大学とかは違う世界にあるわけで。勿論、戸籍や住民票もな」

 それは、そうだよね。物理的にも手続き的にも弊害があり過ぎる……。ただ、一緒にいたいだけなのに。

「だけど、身体ひとつあれば別に一緒に暮らすことが不可能なわけじゃないじゃん。だから、結局はお互いの世界でお互いに住むとこを借りて、その家を行き来するって方法だよな。ここを拠点にしながら」

「ああ、そっか。本当だ、それなら可能だね」

 なんだか心の中に光が見えたような気がして、自分の声が明るくなったのが分かった。

「ハハッ。すげえ嬉しそうな顔になった。分かりやすいな、実莉は」

 声だけじゃなくて、表情にも出てしまったようだ。笑われると恥ずかしいけど、それだけ嬉しかったってことだもん。

「ただ、大学行くにしても、こっちで友達と会うとかバイトに行くとか、そうやって世界を変える度に一緒にここまで来ないといけないけどな」

「まあ、そういうのはきっと計画性と慣れでどうにかなるんじゃない? 毎日一緒の家に帰らなくてもいいだろうし」

 つまり、朝は私の家から出て、帰りは待ち合わせして琉斗君の家に帰る日もあれば、琉斗君は友達と約束があるからとか、私はバイトがあるからとかで別々の家に帰る日もある……という感じかな? 

「なんか、想像すると楽しいね!」

「マジで単純だな、実莉は」

「それで、二つ目は?」

 私が琉斗君の顔を覗き込むと、また少し言い澱んで目をそらされた。

「ん? どうしたの?」

「いや、まあ……。とりあえずはその方法だよな、って思って」

「二つあるって言わなかった?」

「けど、今の方法で希望見えたと思わねえ?」

 そう言われると肯定しかない。だって、この二ヶ月間はずっと心の奥の方で、いつか別れなきゃいけないんだって警笛のようなものが常に鳴り響いていたから。

「希望っていうか、気持ちが落ち着いた。安心したのかな」

「だよな。俺もなんだ」

 このニカッと大きな白い歯を見せる笑顔が好きだなって思った。

「なんかもう、二人の世界って感じだね」

 いきなり隣から月の声が聞こえて、今度はすっかり二人の存在を忘れていたんだと気が付いた。

「ラブラブなもんで」

 調子に乗った口調で琉斗君が私の肩を抱き寄せた。

「そうなの、ラブラブなの」

 私も調子を合わせて笑うと、月に呆れた顔をされた。

「学校の優等生の実莉はどこへ行ったのやら」

「ふふっ。月たちもまた付き合うことになったの?」

「なんでよ、そんな話一切してないし」

「へっ?」

 思わず甲高い声をあげてしまい、驚いて剛志君の顔を見た。

「ハハハッ。情けねえよな、俺って」

 言葉とは裏腹に、どことなく嬉しそうな笑顔だった。多分、この二人も何か未来に希望が見える会話をしていたに違いない。決してここで終わりという雰囲気ではなかった。

「あんたたちは朝までここにいるんだっけ? 私たちはさすがにもう帰るね。さっきからずっと、親から着信とメッセージがガンガン入っているし」

 二人で立ち上がったから、これは確実に送って行くのだろうと思った。その後の親とのゴタゴタも覚悟の上なのかな……? 

「また月曜日にね、ルナ」

「んじゃ、その時に報告しなさいねぇ」

 ニヤニヤと笑いながら、月が手を振って背中を向けた。手さえ繋いでいなかったけど、二人は肩がぶつかる距離で歩いて帰って行った。

 送って行ったとしても、同じ世界に住んでいるから、剛志君もまだ終電が間に合うんだろうな……。そう考えると羨ましくなったけど、とりあえず窓から見える二人の姿にエールを送った。



「あの子、ルナちゃん? 実莉には大切な友達なんだな。すげえ気にしているのが分かる」

「うん、そうだね。ほら、ずっと優等生っぽく振るまってきたからね。今まではその自分で人付き合いをしてきたんだけど、ルナは違うから。はじめて本当の友達って感じ」

「ああ、そうなんだな」

 なぜか包み込むような笑顔で頭を撫でられた。これは…………子ども扱い?