「いつもならカラオケボックスで一度は寝るから、すげえ眠いんだけど」

「あはは、本当に眠そう」

 何度もあくびをする琉斗君に思わず笑ってしまった。

「なに? 実莉は寝なくて平気なの? やっぱ帰って速攻寝るとか?」

「ううん、いつもは朝の九時過ぎたら健康センターに行ってお風呂入って仮眠室で仮眠を取るの。で、あとはショッピングモール行ったり映画観たり図書館に行ったりして、夕方まで適当に一人で過ごして帰るの」

「ああ、一晩だけじゃなくて、一泊二日みたいなもんなんだな。俺の方は親父が日曜も仕事だから、八時過ぎには帰って速攻寝る」

 マスターが持って来たモーニングのメニューを開きながら、琉斗君はもう一度大きなあくびをした。

「ご注文、あるかな?」

 琉斗君とは対照的に眠そうな気配もないマスターが穏やかに微笑んだ。

「他のお客さんいなくなっちゃったけど、本当に朝まで営業する予定だったんですか?」

 気を遣ってくれたのかな? と思って聞いてみると、表情を変えずにマスターがゆっくり頷いた。

「そうだね、ここはそういう場所だからね。キミたちは好きな時間まで過ごしてくれていいんだよ。お腹が空いたら、何か食べて。眠くなったら、横にはなれなくてもウトウトくらいはしていけばいい」

 そういう場所……? つまり、お客さんのニーズに応えたいってことなのかな?
 大袈裟かもしれないけれど、私にはマスターが神様のように見えた。


 私がトイレで席を立つと、戻った時に琉斗君の姿がなくなっていた。トイレは一つだったし、荷物も無いけれどどこへ行ってしまったんだろう?

 私が席についてキョロキョロとしていると、マスターが琉斗君の食べた食器を片付けに来た。

「ここにいた男の子なら、さっき帰ったよ」

「えっ? 帰ったの?」

 私は驚きのあまり、声が裏返ってしまった。

「そうだね、お金だけ払って急いで飛び出して行った」

 私はスマホを出して登録したばかりの電話番号を見た。
 いや、いきなり電話は難易度が高いな……。

 そう思い直して、メールを打つことにした。

『トイレ行っている間に帰っちゃった? 何か急ぎの用事だったの?』

 すると、すぐに電話がかかって来た。

「なんだよ、トイレかよ。そっちが先に帰ったのかと思って慌てて追いかけたんだよ。店の前の並木道をかなり歩いてきてる」

「ええっ、トイレだって言ったじゃん」

「ごめん、寝ぼけてた。戻るよ」

 相当眠いのだろう。電話越しでもあくびをしたのが分かった。

「いいよ、帰って寝なよ。また会おう」

「おう、じゃあ、また来週会おうぜ」

 そう言うと、琉斗君はこちらの返事も聞かないままプツンと通話を切ってしまった。
 だけど、また来週会えるのか。そう思うと、なんだか楽しみで嬉しくなった。




「なーんか、いいことあった? 週末に」

 月曜日の朝、窓際の私の席に来て、唯一の親友と呼べる安城月(あんじょうるな)が含み笑いを浮かべて顔を覗き込んできた。

 普段は優等生を演じているから、中学までは優等生の女子と一緒にいることが多かった。
 だけど、やっぱり本物の優等生とは興味も考え方も話す内容もなかなか合わず、高校に入ってからは気の合う子と一緒にいようと思っていた。

 この月は私とは対照的に、親の過度な愛情や関りがウザくて堂々と反抗期の少女状態の子だった。

 校則が緩い方だとは言え、無いわけではない私立校で髪を金髪に染めてスカートの丈は極端に短い。派手なメイクも施して目立つピアスもしているし、余程じゃないと服装では注意を受けないけれど、さすがに月は何度か指導が入っている。

 それでも、今朝の月も派手なラメ入りシャドーで目の周りを飾っていた。

「相変わらず、夜遊びしているんでしょ? いいなあ、実莉は自由に出来て」

「夜遊びなんて人聞きが悪いよ。夜に外で宿題をしているだけ」

 そう言うと、スクールバッグの中から土曜日に終わらせた宿題のノートを出して月に見せた。

「遊べばいいのに、勿体ない。私なら遊ぶけどなあ」

 月が小さなため息をついて大人っぽく笑った。
 
 女子高生というものをブランドとか特権のように思っているような今どきの可愛いタイプの子とは違って、派手に見せて親には反抗心を露わにしていても、月はかなり大人っぽくて内面も落ち着いている。

 私もそつがない優等生を演じているから周囲には大人っぽく思われがちだけど、月は本当に年齢をサバ読んでいるんじゃないかと思うくらい、冷静でしっかりしていると思うことがある。

「実莉のとこは一晩帰らなくても、親は何も言わないんでしょう? 私の家に泊まるってことで口裏合わせるつもりでいたけど、こっちに電話なんて来たこと一度もないよ」

「だろうね。だって、ルナの連絡先なんて伝えてないもん」

「えっ? 泊めてもらう相手の家の連絡先も知らずにOK出すの? 実莉の親」

 驚いて月のメイクで大きく見せている目がより大きく見開かれた。

 まあ、普通の反応だろうな、と思うと何だかおかしくなって笑ってしまった。

「うちの親、それだけ私に興味がないからね。友達の名前すら聞かれない。ルナのところは真逆だよね」

「真逆だね。泊まるなんて言ったら、相手先の親に電話しかねない。嘘ついてどこかに泊るなんて不可能だよ」

 親の話になると、月は嫌悪感を露にする。そんなところが弟の遥介とダブるところがあるけれど、月の方が親をかなり嫌っているように見える。

「うちの親ってどうしてあんな溺愛タイプなのかな? 過干渉もいいところだよね。大体、名前から気に入らない。月と書いてルナと読むとか。キラキラネームじゃないの? これ」

 月は大きなため息をつくと、窓の枠に腰を掛けて私の机を軽く蹴った。

「綺麗な名前だと思うけどね。神秘的でルナによく合っているよ」

「ありがと。それはそうと、週末いいことあったの? なんか、いつもより機嫌よく見える」

 そう言われると、琉斗君の顔が頭を過った。それから、不思議な幻想珈琲館も頭に浮かんだ。確かに昨日の新しい出会いというのは、悪いものでは無かった気がする。

「そう見えるの?」

「まあね。いつもはね、学校で優等生演じてます! ってオーラがビシバシ伝わるけど、今日の実莉は自然に楽しそう」

「あはは、気を抜いているだけじゃない? けど……」

 私はふと、日曜の朝にあの店を出た時のことを思い出した。
 
 幻想珈琲館を見つけた時は、駅からの大通りを真っ直ぐ歩いていたはずなのに、いつの間にかポプラ並木の細い道に辿り着いていた。そして帰りも、並木道を抜けるといつの間にか大通りに辿り着いていた。振り向いても、ポプラ並木はどこにも見えなかった。

 次、行く時にには道を覚えているかな……?

「あのね、ルナ。いい感じのカフェを見つけたの。放課後に付き合ってくれない?」




「〝幻想珈琲館〟ね。聞いたこと無いけど、本当にこの辺なの?」

 放課後、もう何度も大通りを往復している。絶対にあの大型家電量販店よりは手前だったはず。だけど、どこまで歩いても、大通りからあの細いポプラ並木に曲がる道は無かった。

「ちょっと、検索してみようよ」

 立ち止まって月がスマホを出した。幻想珈琲館で検索したけど、〝幻想〟と〝珈琲館〟で分かれた検索結果しか出て来ない。

「ないなあ。住所も入れてみようか」

 月が地名も入れて検索したけど、名前の違うカフェが数件出てきただけだった。

「本当にこの道だったの? 違う大通りじゃないの?」

「おかしいなあ。だって、いつもはそこのファミレスに行くんだけど、あの時は入るのやめて大通りに戻ったから……」

 だけど迷ったのは確かだから、ボーっとしているうちに違う道を歩いていたのかも?

「ごめん。迷って辿り着いたのかも。ココアが美味しかったから、また行きたかったんだ」

「私はいいけどね。また土曜日の夜にでも探しなよ。じゃあさ、シュークリームの美味しいお店に行かない?」

 散々歩かせたのに不機嫌になることもなく、ガッカリしている私を励ましてくれる月はやっぱり精神的に大人の出来た友達だと思った。私なら文句のひとつも言ったかもしれない。


 月のお薦めシュークリームはとっても美味しかったけど、私は土曜日にまたあの幻想珈琲館に辿り着けるのか心配だった。琉斗君と約束していたのに……。

 ああ、そうだ。そのためのアドレス交換じゃない。

 夜、ベッドの上でスマホをいじっていたら、アドレス帳に琉斗君の名前を見つけてメールを開いた。

『今日、友達と昨日のお店に行こうとしたの。幻想珈琲館。でも、あの日は道に迷って辿り着いたから、ちゃんと道を覚えていなかったのかもしれない。もしも辿り着けなかったら連絡するね』

 送信しようとして、少し考えた。
 月曜の夜から土曜日に会うことを物凄く楽しみにしているって感じの文章に読み取れる。

 そう思うと、なんだか恥ずかしくなって削除した。
 とりあえず、何気ないメールを送ってみようか……。

『今夜は星がよく見えるよ』

 そんな文字を打ってみて、だからなに? って自分で突っ込んでしまった。
 
 バカバカしい。こんなことで時間を割くのはやめた。金曜日になっても幻想珈琲館を見つけられていなかったら、またメールしてみようか。いや、土曜日になってからでも遅くないような気がした。

 スマホをベッドの上に置くと、ずっと土曜日にあのお店で琉斗君と会うことばかり考えている自分に気が付いて、思わず苦笑いしてしまった。


 結局、土曜日になってもメールは出来ないままだった。
 だけど琉斗君からもメールは来ていないから、それはそれで忘れているんじゃないかと気になった。

 もしも忘れられていたなら、土曜の夜をいつも通り過ごせばいいだけだよね。

 そう考えても、どこか落ち着かずにソワソワしている自分を感じていた。

 いつも通り、早めに夕食を済ませてから「友達の家で宿題やってくるね」とキッチンにいるお母さんに声を掛けて玄関へ向かった。背中で「行ってらっしゃい」という声がしただけで、キッチンから出てくる気配もないまま玄関ドアを閉めた。
 
 いつものファミレスの前を通ると、今日はいつもと変わらず落ち着いた雰囲気で変な客は見当たらなかった。もしも幻想珈琲館に辿り着けなかったら、いつも通りここに来ればいい。

 そう思いながらファミレスを通り過ぎて、大通りを真っ直ぐ進んで行った。
 前方に見える大きな家電量販店はどんどん近づいてくる。

 あの家電量販店よりは手前だったはず……。

 ふいに、か細くミャーミャーと鳴く子猫の声が足元で聞こえた。

 下を見ると、そこにはオレンジ色のレンガ造りの地面が見え、白いフワッとした毛並みの子猫が私の足にじゃれついていた。子猫を抱き上げて顔を上げると、あのポプラ並木の細い道がぼんやり明るく浮かび上がっている〝幻想珈琲館〟まで続いていた。

 やっぱりどうやって来たのかはよく分からない。だけど、なんとか辿り着けたようだった。

 お店に近づくと、子猫は私の腕からすり抜けてどこかへ行ってしまった。まるで、あの子猫が道案内をしてくれたようだ。

 そんなことを思いながら、なんとなく浮ついている心を抑えて金色のドアノブに手を掛けた。

「いらっしゃい。待っていたよ」

 先週と同じようにマスターが柔らかく微笑んだ。店内は窓側の席に老夫婦とカウンター席に女性客が二人座っているだけだった。

 私は先週と同じ壁際の席に座った。
 そのとき、扉が開いて琉斗君の姿が見えた。

 琉斗君は私を見ると笑顔で片手をあげた。

「マスター、俺ホットのカフェラテね」

 琉斗君がカウンターにいるマスターに声を掛けながらこちらへやって来たから、私も慌てて「ホットココアお願いします」とマスターに伝えた。

「なんだよ、全然メールもくれないじゃん」

 笑いながら私の頭をくしゃっと乱暴に撫でた。

「やめてよ、髪が乱れる。自分だってメールなんてして来なかったでしょ?」

「あれ? 届いてないの?」

 琉斗君がそう言った時、メールの着信音が鳴ったからスマホを出した。
 すると、琉斗君から三件ほどまとめてメールが届いた。

「なんか、今届いたみたい。三通きた」

「マジか。ま、大した内容じゃないから気にすんな」

 頭を掻きながら私のスマホ画面を手で覆ったから、今は読んで欲しくないのだろう。

「いらっしゃい」

 マスターがお冷とおしぼりを持って来た。

「ねえ、マスター。ここはウェブサイトとかないの? 何度か昼間に来ようとしたけど、検索しても出て来ないの」

「ああ、昼間は営業していないんだよ。あまり需要がなくてね」

 答えになっていないような気がしたけど、それよりも需要が無いはずはないと思った。だって、大通りにあるチェーン店のコーヒーショップは平日だっていつも満席だった。

 カウンターへ戻って行くマスターの後ろ姿を見ながら私は首をかしげた。

「実莉も昼間に来ようとしたんだ?」

「てことは、琉斗君も?」

「おう。けど、やっぱり辿り着けなかったんだよな。考えてみたら、ここまでの道っていい加減でさ。ボーっとしているうちにいつの間にか着くんだよ。笑えるよな」

 琉斗君の言葉を聞いて驚いた。こんな奇妙な辿り着き方をしているのは私だけじゃないんだ。

「私も同じなの。だから、昼間に友達と来ようとしても無理だった。なんか、不思議なお店だよね」

「世の中には不思議なことが沢山あるからね」

 意味深な言い方をしながら、マスターがカフェラテとココアをテーブルに置いた。

「やっぱり、このお店って不思議な何かがあるの?」

 思わずそんな質問をすると、マスターは笑って首を横に振った。

「私にそんな力は無いよ。ただ、この世界の中には色んな不思議なことがあるって話さ」

 確かに不思議な話はいくらでもあるけれど。その真偽も不明なものが多い。

「ネッシーとか雪男とか妖精とか、偽物の写真も色々あるもんね。でも、ミステリーサークルとか謎の大きいものもあるし」

 カウンターへ戻るマスターの背中を見送りながら、私は頬杖をついて呟いた。
 マスターは神秘的な雰囲気はあるし、このカフェも知らないうちにお客さんが入っていたり帰っていたりするし、この場所もなかなか把握できないし、色々と不思議ではあるけれど、恐らく全てが気のせいであろうことは分かっていた。

「しかし、実莉のそのココア。甘そうだな。太るぞ」

 たしかにココアの上にはボリュームのある生クリームにチョコレートソースがたっぷりかかっていて、星型のチョコレートまで添えてある。確かに甘い。

 そう言っている横から琉斗君も山盛りの砂糖をコーヒーカップへ落としている。

「そっちの方こそ甘そうだけど」

「おう、甘いの好きなんだって。ケーキとか甘い菓子も好きだしな」

 意外にスイーツ男子だったなんて! 見た目と似合わずに思わず笑ってしまった。

「笑うなよ。男は甘いもの食わないなんて決めつけるな!」

「あはは、そんなんじゃないけど。私もスイーツって好きだもん」

「そうなのか。じゃ、平日はケーキ屋でバイトしているから、今度食べに来たら? 狭いけどカフェスペースもあるから」

「本当? 行く行く!」

 月もスイーツは好きだから一緒に行こう。と思いながら、どんな関係だとかしつこく聞かれること必至だな、なんて心の中で苦笑いした。

「これ、店の所在地。平日なら夕方からラストまで居るから、来たら声かけろよな」

 差し出されたお店のカードには、知らない駅名が入っていた。

「これ、この駅ってどこ? 山咲(やまざき)駅?」

「ん? 知らねえの? こっから二駅だぜ」

「高校入学と同時に親が家を買ったから、この辺りって疎いんだよね」

 あとで調べてみよう、と思いながらカードをカバンの中にしまった。
 琉斗君と平日も会えるのか、なんて思うと少し嬉しい気持ちが沸いた。会うと言っても、バイト先でお茶するだけだけど……それでも楽しみだった。