二人の関係を悟られないよう、念のために長澤さんとはタイミングをずらして学校を後にした。
夕日を背にして歩いていると、惨めさと悔しさが順番に湧き上がってくる。彼氏の愚痴で盛り上がる女子高生二人組とすれ違ったが、彼女達の太ももを見たいとも思えない。
どうして俺は、こうなんだろう。
産まれつきという名の呪いは、どうやったら改善できるんだ。
「ああぁ……裂きたい」
自分の異常さを嫌悪しているのに、むしゃくしゃしているときに口からこぼれる言葉がこれ。裂きたいなんて思いたくないけど、どうしても裂きたい。裂かないでいい方法を知りたい。やっぱり裂きたい裂きたい裂きたい!
欲求が抑えられず、近くにあったコンビニに入る。店内にいる客は、三十代前半くらいのジャージ姿の男が一人だけ。雑誌コーナーに『男に好かれるモテファッション特集』と書かれた女性誌が置かれていたので、その女性誌もついでに裂きたくなった。
俺はただ生きてるだけなのに、世の中が俺の異常性を事あるごとに突きつけてくる。少子化対策、デート代奢り奢られ論争、マッチングアプリのCM、アイドルの恋愛禁止ルール等、社会問題から些細なことにまで、人間が性的対象であるという前提が潜んでいて、俺みたいな異常者は苦しまなければいけない。ふざけんな!
と、世間に対する恨みを心の中で吐き出していると。
「はぁ? いやいや、明らかに大人でしょ? 見たらわかるだろ普通によぉ!」
レジの方から不快な声が聞こえてきた。
店内にいたジャージ男が、若い女性の店員を睨みつけている。
「す、すみませんが、年齢確認のタッチを」
怯えながらも、女性店員が言葉を返す。
どうやらお酒を買う際の年齢確認で揉めているらしい。
「いや、お前には俺が高校生に見えんの?」
「そういうわけではなくて、その、二十歳以上のところをタッチしていただかないと」
「だからさぁ! どう見たって俺は二十歳以上だろ! 年齢確認する意味ないだろ! どんくさいなぁ! こっちは急いでんだから時間取らせんなよ!」
「あ、あの……で、ですから画面の……」
非常に不愉快だ。
ってか、店員に怒鳴るやつってどうしていなくならないのだろう。
そういうやつってダサいよね、格好悪いよね、人間としてクズだよね、ってもはや常識だと思うのだが。
「あのな、お前はバカか? なんで俺が年齢確認しなきゃいけないんだよ! トロいなぁ」
画面をタッチするのなんて一秒かかんないだろ。
今そうやって言い返してる方が時間かかってるだろ。
「俺は歯医者だぞ! コンビニでしか働けないような無能が俺に指図してんじゃねぇよ!」
そうやって店員を怒鳴れる人間は、歯医者じゃなくて敗者では?
歯医者ってコンビニ以上にどこにでもある気がするけど、そんなに威張れる肩書きか?
「で、ですから、申しわけないのですが……あ、えっと、画面の」
「お前は同じことしか言えないのかよ!」
言わせてんのはお前だけどな。
「ほんっとお前融通利かねぇなぁ。そんなんじゃどこにいっても俺みたいに成功できないぞ」
融通を利かせるのは店員のご厚意であって、客側が求めていいもんじゃないんだよ。
店員がダメだって言ったらダメなんだよ。
それがわからないようじゃ、人間として成功できないぞ。
「あ、えっと、で、ですから」
女性の店員は今にも泣きだしそうだ。見るに堪えなくなって助け舟を出すべくレジへ向かおうとしたそのとき、俺は見てしまった。
クソ男の左手の薬指に指輪がついていることを。
つまり彼は、結婚しているのだ。
その瞬間、店員を助けなければという正義感が、自分に対する惨めさに置き換わった。
あんなやつでも、結婚できている。
その事実が俺の心を苦しめる。店員に怒鳴るという異常性より、俺の異常性の方が粗悪だと突きつけられている気がして。
あんなやつでも、結婚できている。
誰かに愛され、受け入れられている。
正常であることの証明を、あんなクソみたいなやつでも手に入れられている。
――ああ、全部裂きたい。
まだ十何年しか生きていないのに、『あんなやつでも結婚できている』に出会うことが多すぎて嫌になる。
店員に横柄な態度を取るクレーマー、子供を盾にわがままを押し通す毒親、歩きたばこをした挙句に吸い殻をポイ捨てする喫煙者、ミニマムな生活や菜食主義を押しつける自称インフルエンサー、SNSで誹謗中傷をする正義厨、ただのモラハラやパワハラを女という立場を利用して正当化するフェミニスト等、挙げればきりがない。
「あのなぁ、俺は怒ってるんじゃないんだよ。お前のために言ってんの。俺は優しいからな、バカでもわかるように指導してやってんだよ」
今挙げたやつらは自分の異常性を正義だと思い込んでいるから、躊躇いなく自分を解放できる。店員を怒鳴るときにどこか自慢げ、私は母親だからどんなときでも配慮されるべきだと秒速で被害者面できる、モラルを破ってる俺ってアウトローで格好いい、私の生き方だけが正しいんだからお前らも黙ってそれに従え、俺のは中傷じゃなくて真っ当な批評だ、私は女という弱い存在だからなにを言っても許される。
全員、ただダサいだけなのに。
俺はそいつらのバカさ加減を心底嫌悪し、心底羨ましいと思う。
――ああ、裂きたい。
俺はどれだけ真っ当に生きようとも、心の核が異常なせいで結婚できない。普通の証明を手に入れられない。どれだけ別の正しさで自分を武装しようとも、根っこの異常のせいで自分を正しいと思えない。
普通に生きるって、正常って、異常って、なんなんだ。
今なら、人を裂きたいと言ったあの殺人犯の気持ちがわかる。
悪い意味での無敵の人間になって、俺の異常性を拒絶する世界に復讐してやりたい。ってか店員に怒鳴るようなやつを裂き殺したとして、それは悪いことなのか。社会のゴミを処分しているんだから、むしろ感謝されるべきではないのか。
気がつけば、クソ歯医者クレーマーはどこかへ消えていた。
コンビニ内には涙を流す女性店員と、涙を流せないまま奥歯を噛みしめる俺だけが取り残されていた。
夕日を背にして歩いていると、惨めさと悔しさが順番に湧き上がってくる。彼氏の愚痴で盛り上がる女子高生二人組とすれ違ったが、彼女達の太ももを見たいとも思えない。
どうして俺は、こうなんだろう。
産まれつきという名の呪いは、どうやったら改善できるんだ。
「ああぁ……裂きたい」
自分の異常さを嫌悪しているのに、むしゃくしゃしているときに口からこぼれる言葉がこれ。裂きたいなんて思いたくないけど、どうしても裂きたい。裂かないでいい方法を知りたい。やっぱり裂きたい裂きたい裂きたい!
欲求が抑えられず、近くにあったコンビニに入る。店内にいる客は、三十代前半くらいのジャージ姿の男が一人だけ。雑誌コーナーに『男に好かれるモテファッション特集』と書かれた女性誌が置かれていたので、その女性誌もついでに裂きたくなった。
俺はただ生きてるだけなのに、世の中が俺の異常性を事あるごとに突きつけてくる。少子化対策、デート代奢り奢られ論争、マッチングアプリのCM、アイドルの恋愛禁止ルール等、社会問題から些細なことにまで、人間が性的対象であるという前提が潜んでいて、俺みたいな異常者は苦しまなければいけない。ふざけんな!
と、世間に対する恨みを心の中で吐き出していると。
「はぁ? いやいや、明らかに大人でしょ? 見たらわかるだろ普通によぉ!」
レジの方から不快な声が聞こえてきた。
店内にいたジャージ男が、若い女性の店員を睨みつけている。
「す、すみませんが、年齢確認のタッチを」
怯えながらも、女性店員が言葉を返す。
どうやらお酒を買う際の年齢確認で揉めているらしい。
「いや、お前には俺が高校生に見えんの?」
「そういうわけではなくて、その、二十歳以上のところをタッチしていただかないと」
「だからさぁ! どう見たって俺は二十歳以上だろ! 年齢確認する意味ないだろ! どんくさいなぁ! こっちは急いでんだから時間取らせんなよ!」
「あ、あの……で、ですから画面の……」
非常に不愉快だ。
ってか、店員に怒鳴るやつってどうしていなくならないのだろう。
そういうやつってダサいよね、格好悪いよね、人間としてクズだよね、ってもはや常識だと思うのだが。
「あのな、お前はバカか? なんで俺が年齢確認しなきゃいけないんだよ! トロいなぁ」
画面をタッチするのなんて一秒かかんないだろ。
今そうやって言い返してる方が時間かかってるだろ。
「俺は歯医者だぞ! コンビニでしか働けないような無能が俺に指図してんじゃねぇよ!」
そうやって店員を怒鳴れる人間は、歯医者じゃなくて敗者では?
歯医者ってコンビニ以上にどこにでもある気がするけど、そんなに威張れる肩書きか?
「で、ですから、申しわけないのですが……あ、えっと、画面の」
「お前は同じことしか言えないのかよ!」
言わせてんのはお前だけどな。
「ほんっとお前融通利かねぇなぁ。そんなんじゃどこにいっても俺みたいに成功できないぞ」
融通を利かせるのは店員のご厚意であって、客側が求めていいもんじゃないんだよ。
店員がダメだって言ったらダメなんだよ。
それがわからないようじゃ、人間として成功できないぞ。
「あ、えっと、で、ですから」
女性の店員は今にも泣きだしそうだ。見るに堪えなくなって助け舟を出すべくレジへ向かおうとしたそのとき、俺は見てしまった。
クソ男の左手の薬指に指輪がついていることを。
つまり彼は、結婚しているのだ。
その瞬間、店員を助けなければという正義感が、自分に対する惨めさに置き換わった。
あんなやつでも、結婚できている。
その事実が俺の心を苦しめる。店員に怒鳴るという異常性より、俺の異常性の方が粗悪だと突きつけられている気がして。
あんなやつでも、結婚できている。
誰かに愛され、受け入れられている。
正常であることの証明を、あんなクソみたいなやつでも手に入れられている。
――ああ、全部裂きたい。
まだ十何年しか生きていないのに、『あんなやつでも結婚できている』に出会うことが多すぎて嫌になる。
店員に横柄な態度を取るクレーマー、子供を盾にわがままを押し通す毒親、歩きたばこをした挙句に吸い殻をポイ捨てする喫煙者、ミニマムな生活や菜食主義を押しつける自称インフルエンサー、SNSで誹謗中傷をする正義厨、ただのモラハラやパワハラを女という立場を利用して正当化するフェミニスト等、挙げればきりがない。
「あのなぁ、俺は怒ってるんじゃないんだよ。お前のために言ってんの。俺は優しいからな、バカでもわかるように指導してやってんだよ」
今挙げたやつらは自分の異常性を正義だと思い込んでいるから、躊躇いなく自分を解放できる。店員を怒鳴るときにどこか自慢げ、私は母親だからどんなときでも配慮されるべきだと秒速で被害者面できる、モラルを破ってる俺ってアウトローで格好いい、私の生き方だけが正しいんだからお前らも黙ってそれに従え、俺のは中傷じゃなくて真っ当な批評だ、私は女という弱い存在だからなにを言っても許される。
全員、ただダサいだけなのに。
俺はそいつらのバカさ加減を心底嫌悪し、心底羨ましいと思う。
――ああ、裂きたい。
俺はどれだけ真っ当に生きようとも、心の核が異常なせいで結婚できない。普通の証明を手に入れられない。どれだけ別の正しさで自分を武装しようとも、根っこの異常のせいで自分を正しいと思えない。
普通に生きるって、正常って、異常って、なんなんだ。
今なら、人を裂きたいと言ったあの殺人犯の気持ちがわかる。
悪い意味での無敵の人間になって、俺の異常性を拒絶する世界に復讐してやりたい。ってか店員に怒鳴るようなやつを裂き殺したとして、それは悪いことなのか。社会のゴミを処分しているんだから、むしろ感謝されるべきではないのか。
気がつけば、クソ歯医者クレーマーはどこかへ消えていた。
コンビニ内には涙を流す女性店員と、涙を流せないまま奥歯を噛みしめる俺だけが取り残されていた。