教室に入ると、まず長澤さんの姿を探した。

 彼女は、いつも通り自分の席で本を読んでいる。

 視線を感じたようでちらっと俺の方を向いたが、すぐにまた本に視線を落とした。

 まあ、教室で話す必要はないもんな。

 自分の席の横にリュックをかけると、すぐにイツメンの二人が集まってきた。

「聞いてくれよ。昨日自転車で帰ってるときに鳥の糞が落ちてきてびっくりして転んでさ、マジ最悪だったわ」

 クラスのムードメーカー、小柄でいがぐり頭の近藤(こんどう)が制服の袖をめくって、絆創膏が貼られた肘をアピールしてくる。

「お前の傷とかどうでもいいし。それより前見ろ前。山下(やました)さんもう少しでパンツ見えそう。もうちょい足開け。なんのためにスカート短くしてんだよ」

 マッシュルームヘアの量産型バンドマン風男、橋川(はしかわ)の変態さは今日も絶好調だ。

「声大きいって。聞こえたらどうするんだ」

 橋川にそうツッコみつつ、俺も山下さんを見ることで普通の男子高校生を演じる。ってか、女子ってなんでスカートを短くするのだろう。クラスの大半が、程度の差はあれスカートを短くしている。謎だ。そんなに他人に下着を見せたいのか。しかも、スカートをそのままにしている人たちを「ダサっ」と見下すこともある。多数派だからって理由で、規則破りが女子高生としての普通になるとか、マジで意味わからん。

 多数派ってだけで自分が強くなったと勘違いして、そうじゃない側の人間を気軽に迫害できる。

 ふざけんな。

 そんなの本当の強さじゃない。

 なんて、心の中で毒づいたって、多数派が正義だという現実は変わらない。だからこそ、この世に生きる人間は多数派であろうと努力するのだが……みんな、そこに虚しさを感じているのかもしれない。

 だって、多数派の人間は、そこからこぼれた人間をやりすぎなくらいボコボコにする。その残虐性は羨望の裏返しだ。本当は俺だって多数派の呪縛から逃れたい。でも迫害はされたくない。だから、過度にボコボコにして自分たちの正当性を証明しないと、虚しさに押しつぶされてメンタルが保てないのだろう。

 ……とまあ、こんな感じで多数派を心の中で哀れんで自分の正当性を証明しないと、少数派の俺だってメンタルが保てないのだけど。

「おっ、まただぜ。神谷、また笹川(ささがわ)がお前にあつーい視線を送ってんぞ」

 嘲るように笑いながら橋川が廊下に視線を送る。

 俺もその視線を追いかけると、長い髪をポニーテールにしている、目鼻立ちのくっきりとした女子、笹川莉子(りこ)が廊下を歩いていた。

 正直に言うと、俺は彼女のことが苦手である。

「自分のクラスに戻ってるだけだろ。ってか笹川さんが見てるんじゃなくて橋川が見てんだろ」

「いーや、確実にこっちを見てたね。笹川はぜってー神谷のことが好きだから」

「そうか?」

「そうだって。絶対すぐヤラしてもらえるよ。俺が神谷だったら普通に付き合ってバコバコ突き合ってるね。おっぱいもそこそこあるしスタイルもいいし、普通に美人だし」

「笹川さんをそんな目で見たことないから」

「男なら、常にそんな目で女子を見るべきだろ」

 俺は大仰にため息をついて、言葉に詰まったのを誤魔化した。

 女子をそんな目で見られない俺は男じゃないってこと?

 橋川の性に対する貪欲さが、今はすごく羨ましい。

「さすがにそれは暴論じゃない?」

 俺の代わりに近藤が指摘する。

「なに言ってんだよ。男に産まれた意味をちょっとは考えろよ……あ、でも笹川を彼女にするのはちょっとごめんだな。あいつ絶対めんどくさい女だから。発言の節々にヤバさが出てるし。セフレなら大歓迎だけど」

 にやにやしながら自分の胸を揉む橋川を見て、近藤はあからさまに顔をひきつらせた。

「いや、なんで笹川さんとできる前提なんだよ。笹川さんにだって選ぶ権利があるだろ。そもそも橋川、彼女いたことないじゃん」

「それ以上言うなって! ってかそれを言うなら近藤だっていたことないだろうが!」

「……それはそうだけど。俺は、今度告白する予定だし。口だけの橋川と違ってな!」

「おいマジ? 誰に? いったい相手は誰だよ?」

「それは……秘密。成功したら教えるから」

「え? エッチしたら教えてくれる?」

「その性交じゃねぇから!」

 いかにもな男子高校生の会話で盛り上がる二人に合わせて俺も笑う。

 誰に告白するか聞かれた近藤が、ちらっと長澤さんの方を見たのは気のせいだろうか。