あれはたしか俺が小学校二年生の、九月の初旬だったと思う。

 夜ご飯を食べた後、扇風機に向けて「我々は、宇宙人だ」って言って遊んでいると、高層ビルにしか恋できない外国人女性を紹介する番組がテレビから流れはじめた。

 番組のタイトルは『世界の変人、一斉捜査』だったと思う。

 俺は、そのタイトルを見た瞬間に扇風機宇宙人ごっこをやめた。

 昨日、無数の蟻が、死にかけの蝉に群がっていたのを無意識に思い返していた。

「人間以外を好きになるとかおかしくね? そいつ人間じゃないじゃん」

 翌日の給食の時間、お調子者の男子がその番組を話題にしはじめた。大人気アニメの後に放送されていたため多くのクラスメイトがその番組を見ており、みんなの食いつきがすごかった。

「たしかに、マジでキモかったよなぁ」

 その言葉が聞こえてきたとき、俺はコッペパンを口に咥えていた。

「しかも建物にキスとかしてたんだぜ。キモすぎ。人は普通、人を好きになるもんなのに」

 とりあえず嚙みちぎったが、いつもよりコッペパンがぱさぱさしていてうまく飲み込めない。

「それくらい俺にもできるぜ、ほら、ぶちゅうー」

 別の男子が立ち上がって教室の壁にキスをすると、俺以外のクラス全員が笑った。

 俺はぱさぱさのコッペパンを喉の奥へ追いやっている最中だから、笑うことができない。

「うわっ、良助(りょうすけ)マジキモっ! もう友達やめるわ!」

「冗談だろ! マジにすんなし」

 二人のやり取りで、クラスがまた笑いに包まれる。

 先生だって笑っている。

 小学二年生にもなると、男子は女子という存在を過度に意識しはじめる。お調子者はスカート捲りをするし、体育や水泳のときに同じ教室で女子と着替えることをやけに嬉しがる男子も現れる。

 俺は、女子に対して特別な感情を抱くクラスメイトたちを不思議に思っていた。

 ――人間以外を好きになるとかおかしくね? そいつ人間じゃないじゃん。

 みんなが笑っている中、背中を丸めてコッペパンにまたかぶりつく。

 ようやく、みんなが蟻で俺は蝉なんだと理解した。

 皮膚のすぐ上に、硬い殻のようなものがまとわりついていく感じがした。

 ――人間以外を好きになるとかおかしくね? そいつ人間じゃないじゃん。

 本当はカニが泡を吹くみたいに、口からいろんなものを吐き出したかった。

 泣きたかった。

 ――マジでキモかったよなぁ。

 硬い殻が全身を覆ったと思った瞬間、俺は顔を上げてみんなと同じように笑うことができた。

 今思えば、この瞬間に、誰からも好かれる理想的な笑顔という名の殻を獲得したんだと思う。

 ――人間以外を好きになるとかおかしくね? そいつ人間じゃないじゃん。

 あの日飲み込んだ思いは今も身体の中で暴れているけれど、俺の硬い殻を打ち破ることはできていない。