それから俺たちは、セックス中の彼女の様子を彼女に無断で話して盛り上がる男子学生たちのように、自分が抱いている特殊性癖について語り合った。特殊性癖を抱えているもの同士絶対にバカにしない、なにを言っても秘密は守られるという安心感が俺たちを開放的にさせていた。

「同じ裂け方が二度と現れない高貴性とか、裂けたところに広がる空間の神秘さとか、マジで最高なんだよ!」

 裂くことのなにに興奮するのか話しているとき、自分の性癖について熱く語れることがこんなにも楽しいことだったんだ、とはじめて知った。

「なんといっても魚の目よね。つぶらすぎてくらくらする。あとぴちぴち跳ねてるのも健気で最高で」

 長澤さんも、魚のなにが素晴らしいのかを熱く語ってくれた。

 その興奮を理解はできないけれど、目をキラキラと輝かせて早口でまくし立てる長澤さんを見ているだけで、俺まで幸せを感じた。

「ほんと楽しいなぁ。下ネタの楽しさがようやくわかった気がする」

 眉間にくしゃっとしわを寄せるようにして笑った長澤さんは、しかしすぐに天井を見上げ。

「でも、いつか私たちもあっち側にいかなきゃいけないんだよね」

「まあな」

 口の中が一気に渇く。

 俺たちは結局、異常なのだ。

「神谷くん。とりあえずなんかやってみる?」

 天井を見上げたままの長澤さんは、もう長いことまばたきをしていない。

「別にいいけど、でも、やるって具体的になにをすればいいのか」

「身体を触り合ってみるとか? そうだ! 手! 恋人つなぎをやってみようよ」

 鼻の穴を広げた長澤さんが手を差し出してくる。生命線が結構長くて、俺の手よりも一回り小さくて指がとても細い。

 感想はそれだけ。

 目の前に差し出されている異性の手が、俺の心を揺り動かすことはない。

 異性と手をつなぐことにドキドキする。恋愛を主題とする創作物に必ず入っている展開に対して共感できない自分は、やはり神さまの失敗作だ。

「恋人つなぎって、こうだよな」

 失意の沼に沈んでいることは隠しつつ長澤さんの手を取る。指を絡めたら恋人つなぎが完成して、長澤さんの手のひらは汗で少し湿っている気がして……あとはなにも感じない。

「ごめん。私、やっぱりなにも感じない」

「え?」

 俺が今まさに思ったことを長澤さんが口にした。つづけて彼女は「そんなに驚く?」と笑ってから、つながっている俺たちの手に視線を落とした。

「意外と大きいなって思うだけなんだよね。男の子と手をつなぐって、普通はドキドキするはずなのに」

 見事なまでの同意見に、少しだけ救われた気分になる。

「俺もそんな感じ。意外と細くて汗で湿ってるなって思うだけで――いってぇ!」

 なぜか急に手を握りつぶそうとしてきた。

「か・み・や・くん?」

 しかも睨まれてるし……俺、なんかしました?

「さすがにそれは傷つくからね。女の子に手汗のことなんか指摘しないでよ」

「……本当にすみませんでした」

「もう。次言ったらほんとにメス持ってくるからね」

 やっぱり持ってるんですね。

 たぶんもう俺の方が手汗ヤバいです!

「でも、手を繋いでもなんともないってことは……次はハグしてみる?」

 長澤さんが俺の方を向いて両手を広げる。

「ハグ、か」

 俺も両手を広げる。長澤さんが身体を傾けてきたので、彼女の身体を受け止めるようにして背中に手をまわした。

 右肩に乗っている彼女の髪からフローラルな匂いが漂ってくる。胸だって押しつけられている。女の子という存在を全身で感じているのに、やっぱりなにも思わなかった。

「ごめん。やっぱり私、なんともないや」

 残念そうな声が耳のすぐ近くから聞こえてくる。

「ってかこれシャンプーの匂い? 神谷くんなに使ってるの?」

「親が買ってきたやつ。なんかいいやつっぽいってことしか知らんけど」

 へぇ、と呟いた長澤さんが鼻から息を吸う。

 自分を鑑定されているみたいで、なんだかくすぐったかった。

「やっぱりダメだ。たしかにいい匂いはするけど、食べ物とかの匂いと同じ感覚。ってか普通に生魚の匂いの方が好きだわ」

「はぁ? 俺だってチーズの方が好きだし」

「いやいや、あんなの臭いだけでしょ」

「生魚に言われたくねぇ」

 などと絶望を覆い隠すためだけの自虐を言い合っているときだった。

「ただいまー」

 玄関から女の人の声が聞こえてきた。

 長澤さんの身体がびくりと跳ねる。

「やばっ、お母さん帰ってきた」

「今日は遅いって言ってたじゃん」

「そのはずなんだけど」

 長澤さんがソファから立ち上がるも、その場であたふたするだけ。

 俺だってどうしていいかわからず、座ったまま動けない。

「姫子?」

 そうこうしているうちに廊下とリビングを隔てる扉が開けられた。

 パンツスーツをぴしっと着こなした女性――長澤さんのお母さんは、慌てる娘を見てから俺を見る。

「おじゃましてます」

 反射的に立ち上がり、軽く頭を下げる。

「む、娘さんにはいつもお世話になっております」

 声は少し上ずってしまったが、なんとか適切な言葉をひねり出せた……のか?

「もう、お母さん。今日は遅いんじゃなかったの?」

 冷静さを取り戻した長澤さんが不満げにお母さんを責める。

「訪問予定が明日に変わったのよ。それよりも、そっちは姫子の彼氏? 男物の靴があったからもしかしてって思ったけど、なかなかいい男じゃない」

「神谷くんはそういうんじゃ」

「神谷くんって言うのね」

 長澤さんのお母さんがにやにやしながら近づいてくる。

「近くで見たらさらにいい男じゃない。優しそうだし」

「あの、俺は」

「姫子をよろしくね。この子、ちょっとそそっかしいところがあるけど」

 長澤さんのお母さんが俺の手を取る。

 思いのほか強く握られて焦りが加速する。

「でも本当によかったわ。姫子ったら、年頃なのに彼氏がいる気配すらなかったから」

「だから神谷くんは彼氏じゃないって」

「恥ずかしがらなくていいのに。女子高生に彼氏がいるのは普通なんだから」

 長澤さんのお母さんは笑顔で娘をあしらう。まあ、この状況で俺が彼氏だと思わない方がおかしいか。ということは、長澤さんは俺と同じく、母親に自分の性癖を伝えられていないってことだ。

 ……勘違いさせたのって、いつもお世話になっておりますって言った俺のせいじゃね?

「もう、だから違うって。神谷くん困ってるじゃん」

「ごめんなさいね。姫子ったら照れ屋で。ショック受けないでね」

「え、あの」

「いいかげん神谷くんも否定してよ」

「娘さんにはお世話になっているというよりすでに尻に引かれていると言いますか……あ、それでもいつも楽しく過ごしております!」

「もう! 神谷くんのバカ!」

 長澤さんにかなり強めに背中を叩かれる。

「さっきから変なこと言いすぎ! 私たちただの友達だから!」

「まあ、もう長年連れ添った夫婦みたいじゃない。お母さん、神谷くんのこと気に入ったわ」

 これ、もう勘違いを正すの無理じゃね?

 いったいどうしてこうなった!

 その後、長澤さんのお母さんが晩御飯も食べていきなさいと言い出したがさすがにそれは遠慮して、俺はそそくさと長澤家を後にした。