神谷くんは普通の中でうまくやれているかなと思って、私は本に集中しているふりをしながら耳の神経を研ぎ澄ましていた。だから今、神谷くんが私のことを話しているのに気づいてしまった。もう話しかけないでと私から拒絶したのに、神谷くんがどんな顔で私の話をしているのかが気になって、ちらりと見てしまった。

 ――いきなり変なこと言うなよ。ありえないだろ。

 首を気だるげに回しながら、どうでもいいことのように神谷くんが言った。

 不意にこちらを見た神谷くんと目が合ってしまった。

 ――いきなり変なこと言うなよ。ありえないだろ。

 今のは別に、私を否定した言葉じゃない。そう言わないと、神谷くんにあらぬ疑いがかかってしまう。仕方なかっただけ。そもそももう関係のない人だから、神谷くんからどう思われていたって構わない。

 だいたい、私と神谷くんは同じ特殊性癖の持ち主だがその種類が違う。

 私は魚、神谷くんは裂く。

 理解し合えなくて当然だ。

 普通の人間が私たちの性癖を理解できないのと同じように、私だって裂く行為のなにがいいのか理解できない。そんなので興奮できるなんてありえないって思う。変なことだって思う。

 ――いきなり変なこと言うなよ。ありえないだろ。

 きっと神谷くんだって魚のなにがいいのか理解できていない。理解できないものに対して変だと思い、ありえないって思うのは普通だ。

 なのに、どうして私の胸はこんなにも痛んでいるのだろう。

 少しだけ背中を丸めて痛みをこらえる。カバンの中からポーチを取り出す。いつもは家に帰ってからやるのだが、今日はむしゃくしゃしていて我慢できなかった。ポーチと共に教室を後にし、一人きりになれる場所を探す。

 このポーチの中には以前、魚のおもちゃがお守りとして入っていた。今ももちろん入っているが、神谷くんを拒絶してからもうひとつ、お守りが加わった。

 で、結局たどり着いたのは、体育館裏。

 神谷くんを拒絶した場所。

 この場所を選んだのに深い意味はないと思いたい。

 自然とこの場所に足が向かっただけだ。

「なにやってんだろ」

 体育館の壁に背中を預けると、思った以上にひんやりしていた。ポーチから魚……ではなく、お守りとして入れていたもうひとつのものを取り出す。

「こんなの」

 裂けるチーズ。

「今さら、わかったって」

 周囲を確認してから包装を破って中身を取り出す。神谷くんが興奮を向ける物体を睨みつけて、ゆっくりと裂いていく。

「わかったって……」

 チーズを半分ほど裂いたところで手が止まる。身体の震えが止まらなくなる。たしか神谷くんは、自分の意図しない裂け方や、裂けた部分から見える景色に興奮するって言っていた。

「これの、なにがいいんだよ」

 裂けた部分から見える景色を、私の脳は、ただの湿った地面として処理しつづける。

「意味わかんないんだよ!」

 怒りに任せてチーズを裂き切る。

 二つに分かれたチーズをさらに裂いて、裂いて、また裂いて……。

「どうやったって、わかんないよ……」

 涙が、チーズの上に落ちていく。

 意味がないってわかっていた。

 神谷くんと私は決定的に違うってわかっていた。

「ただの食べ物だろうが! こんなので興奮とか、全然わかんないよ!」

 手の中にあるチーズを口の中に詰め込んだ。

 涙で少しだけ塩辛いチーズを十分に咀嚼しないまま飲み込む。

「ほんとにさ、なんでだよ……」

 喉の奥から上がってくるチーズの匂いと、地面から立ち上る湿っぽさが混ざり合う。

「なんで神谷くんは、裂くなんだよ」

 私は、私が異常だって知ってるから、あんな噂を流されたって全然気にしていない。

「私は魚なんだよ」

 みんなに私の異常をわかってほしいんじゃない。

 今後一生、誰にもわかられなくていい。

 普通になんか、一生なれなくたっていいから。

「なんで私も、裂くじゃないんだよ」

 私はただ、神谷くんの異常を、わかりたいだけなんだよ。

 私だけは、わかってあげたかったんだよ。