体育館裏での一件があってから、今日で一週間。
長澤さんと一言も会話できない、目すら合わせてもらえない日々がつづいている。
長澤さんに声をかけられないまま今日が終わって、明日も明後日も同じように終わる。そんな日々をすごしていくうちに、いつの間にか彼女に対する自責の念も薄くなっていくのだろうか。
ちなみに俺が武元さんと、長澤さんが近藤と別れたことはすでに学校中に広まっていた。自分たちで言いふらしたわけじゃないのに、この広がり方。他人の色恋沙汰に対する興味関心力って本当にすごい。
「そういや、あの噂聞いた?」
近藤と橋川と教室で昼飯を食べているときに、橋川が焼きそばパンのビニールを開けながら言った。
「噂?」
聞き返すと、橋川は本を読んでいる長澤さんをちらっと見てから、ひそひそ声でつづけた。
「長澤さん、魚しか好きになれないらしいよ」
瞬間、箸が手から滑り落ちそうになった。
隣の近藤が聞き返す。
「は? 魚?」
「俺たちがエロ本見るみたいに、長澤さんは魚の図鑑とか見て興奮するってこと」
「なに言ってんだよ。そんな噂ありえねぇだろ」
必死で声を絞り出した。
なんでこんな噂が流れてんだ。
とにかく否定しなければ。
「だって長澤さんは、この前まで近藤とつき合ってただろ。男に興味あるじゃん」
「それはそうだけど、なんかマジっぽいんだって。近藤って魚顔だし」
「誰が魚顔だ」
近藤がツッコむと、橋川がくすくす笑う。
「わりぃ。でも男とつき合えるか試したんじゃないかっていう話も出てる。だから一か月もせずに別れたんじゃないかって。やっぱ魚顔ってだけじゃ無理だったって」
「なるほどなぁ。それで俺はフラれ……ってやっぱ俺を魚顔だってバカにしてんじゃねえか」
近藤のツッコみが右耳から左耳へ、一直線に通りすぎていく。肥大化した心臓が皮膚を突き破っているんじゃないかと不安になって、胸のあたりを手のひらで押さえた。
「お前らさ、そんな根も葉もない噂なんか信じるなって」
「だからよかったじゃん、近藤」
俺の言葉なんか聞いちゃいない橋川が、焼きそばパンで近藤を指し示す。
「別れた理由が嫌われたわけじゃなくてさ、しょうがなかったってことだろ……いや、違うな」
橋川がにやりと笑う。
「近藤は魚に負けたってことじゃん。マジみじめー」
「おい、みじめとか言うなよ」
「そうだよな。ごめん近藤。ほんとご愁傷様」
「哀れむのも違うから! それが一番心にくるやつ! いじるならとことんいじり倒せよ!」
近藤の自虐ツッコみで橋川が腹を抱える。普通の人間たちに馴染むために俺も笑わないといけないのに、怪しまれる要素は極力排除しないといけないのに、今回ばかりは笑えなかった。
「って、あれ?」
突然、橋川が顎に手を当ててなにやら考えはじめた。
橋川が俺に顔を向ける動きが、なぜかスローモーションで再生される。
「もしかして神谷も?」
「え?」
いきなり話を振られ、心臓が喉元まで跳ね上がる。
神谷も?
って聞かれたってことは、まさか。
「武元さんとたった二週間で別れたってことは、神谷も長澤さんと同じで」
「そんなわけないだろ」
食い気味で否定したことを、すぐに後悔する。
かえっておかしく思われたかもしれない。
ってか俺は今どんな顔をしている?
冷静に、冷静、冷静に。
いつもの仮面を張りつけろ。
「いきなり変なこと言うなよ。ありえないだろ」
首を気だるげに回しながら、どうでもいいことのようにつけ加え――ふと、長澤さんの姿が視界に入った。
さっきまで本を読んでいたはずなのに、長澤さんはショックを受けたかのような目で俺を見ていた。
「すまんって。冗談だよ。魚に恋するやつがクラスに二人もいたら世も末だよな」
橋川の発言は冗談だとわかった。
そんなのどうでもよくなっている。
長澤さんに聞かれた?
俺はさっきなんて言った?
――いきなり変なこと言うなよ。ありえないだろ。
今のは長澤さん自体を否定したような言葉じゃないか?
魚が好きだったら変なのか? ありえないのか?
いや、長澤さんなら、俺が普通を演じるために仕方なくその言葉を言ったとわかってくれる。心配なんかしなくてもいいはずだ。そもそも声量や距離を考えれば、長澤さんに聞こえているはずがない……と思う。
「そうじゃん」
ひらめいた! と言わんばかりに胸の前で手を合わせた橋川が、にやにやしながらつづける。
「おい、近藤。お前もエラ呼吸マスターしたら、長澤さんに振り向いてもらえるんじゃね?」
橋川は自身の顎横の皮膚を摘まんでびよんと引っ張った。
「いや、そんなの普通に無理だから」
「人間の進化の可能性を信じようぜ。お前ならできるって」
「限度ってもんがあるだろうが。ってかそういう茶化し方はやめた方が……」
橋川と近藤の即興漫才が繰り広げられているが、そこに入っていく余裕がない。
長澤さんが教室から出ていくのを呼び止めることもできない。
長澤さんと一言も会話できない、目すら合わせてもらえない日々がつづいている。
長澤さんに声をかけられないまま今日が終わって、明日も明後日も同じように終わる。そんな日々をすごしていくうちに、いつの間にか彼女に対する自責の念も薄くなっていくのだろうか。
ちなみに俺が武元さんと、長澤さんが近藤と別れたことはすでに学校中に広まっていた。自分たちで言いふらしたわけじゃないのに、この広がり方。他人の色恋沙汰に対する興味関心力って本当にすごい。
「そういや、あの噂聞いた?」
近藤と橋川と教室で昼飯を食べているときに、橋川が焼きそばパンのビニールを開けながら言った。
「噂?」
聞き返すと、橋川は本を読んでいる長澤さんをちらっと見てから、ひそひそ声でつづけた。
「長澤さん、魚しか好きになれないらしいよ」
瞬間、箸が手から滑り落ちそうになった。
隣の近藤が聞き返す。
「は? 魚?」
「俺たちがエロ本見るみたいに、長澤さんは魚の図鑑とか見て興奮するってこと」
「なに言ってんだよ。そんな噂ありえねぇだろ」
必死で声を絞り出した。
なんでこんな噂が流れてんだ。
とにかく否定しなければ。
「だって長澤さんは、この前まで近藤とつき合ってただろ。男に興味あるじゃん」
「それはそうだけど、なんかマジっぽいんだって。近藤って魚顔だし」
「誰が魚顔だ」
近藤がツッコむと、橋川がくすくす笑う。
「わりぃ。でも男とつき合えるか試したんじゃないかっていう話も出てる。だから一か月もせずに別れたんじゃないかって。やっぱ魚顔ってだけじゃ無理だったって」
「なるほどなぁ。それで俺はフラれ……ってやっぱ俺を魚顔だってバカにしてんじゃねえか」
近藤のツッコみが右耳から左耳へ、一直線に通りすぎていく。肥大化した心臓が皮膚を突き破っているんじゃないかと不安になって、胸のあたりを手のひらで押さえた。
「お前らさ、そんな根も葉もない噂なんか信じるなって」
「だからよかったじゃん、近藤」
俺の言葉なんか聞いちゃいない橋川が、焼きそばパンで近藤を指し示す。
「別れた理由が嫌われたわけじゃなくてさ、しょうがなかったってことだろ……いや、違うな」
橋川がにやりと笑う。
「近藤は魚に負けたってことじゃん。マジみじめー」
「おい、みじめとか言うなよ」
「そうだよな。ごめん近藤。ほんとご愁傷様」
「哀れむのも違うから! それが一番心にくるやつ! いじるならとことんいじり倒せよ!」
近藤の自虐ツッコみで橋川が腹を抱える。普通の人間たちに馴染むために俺も笑わないといけないのに、怪しまれる要素は極力排除しないといけないのに、今回ばかりは笑えなかった。
「って、あれ?」
突然、橋川が顎に手を当ててなにやら考えはじめた。
橋川が俺に顔を向ける動きが、なぜかスローモーションで再生される。
「もしかして神谷も?」
「え?」
いきなり話を振られ、心臓が喉元まで跳ね上がる。
神谷も?
って聞かれたってことは、まさか。
「武元さんとたった二週間で別れたってことは、神谷も長澤さんと同じで」
「そんなわけないだろ」
食い気味で否定したことを、すぐに後悔する。
かえっておかしく思われたかもしれない。
ってか俺は今どんな顔をしている?
冷静に、冷静、冷静に。
いつもの仮面を張りつけろ。
「いきなり変なこと言うなよ。ありえないだろ」
首を気だるげに回しながら、どうでもいいことのようにつけ加え――ふと、長澤さんの姿が視界に入った。
さっきまで本を読んでいたはずなのに、長澤さんはショックを受けたかのような目で俺を見ていた。
「すまんって。冗談だよ。魚に恋するやつがクラスに二人もいたら世も末だよな」
橋川の発言は冗談だとわかった。
そんなのどうでもよくなっている。
長澤さんに聞かれた?
俺はさっきなんて言った?
――いきなり変なこと言うなよ。ありえないだろ。
今のは長澤さん自体を否定したような言葉じゃないか?
魚が好きだったら変なのか? ありえないのか?
いや、長澤さんなら、俺が普通を演じるために仕方なくその言葉を言ったとわかってくれる。心配なんかしなくてもいいはずだ。そもそも声量や距離を考えれば、長澤さんに聞こえているはずがない……と思う。
「そうじゃん」
ひらめいた! と言わんばかりに胸の前で手を合わせた橋川が、にやにやしながらつづける。
「おい、近藤。お前もエラ呼吸マスターしたら、長澤さんに振り向いてもらえるんじゃね?」
橋川は自身の顎横の皮膚を摘まんでびよんと引っ張った。
「いや、そんなの普通に無理だから」
「人間の進化の可能性を信じようぜ。お前ならできるって」
「限度ってもんがあるだろうが。ってかそういう茶化し方はやめた方が……」
橋川と近藤の即興漫才が繰り広げられているが、そこに入っていく余裕がない。
長澤さんが教室から出ていくのを呼び止めることもできない。