すっきりと目覚められたのはいつ振りだろうか。

 カーテンを開けて朝日を浴びるのがこんなに気持ちいいなんて知らなかった。

 世界が異常を抱える俺を拒絶していたのではなくて、異常を抱える俺が世界を拒絶していたのだろう。

 だから朝日がこんなに美しいと、今まで気づけなかった。

 本当に、楽だ。

 特殊性癖に劣等感を抱かなくなるなんて想像もしていなかった。

「でも……」

 そんな心に暗い影が差す。

 近藤と武元さんを裏切ったという消せない事実にどう向き合っていけばいいのか、答えはまだ出ていない。

 長澤さんのことだって考えないといけない。





 自席の横にリュックをかけると、すぐに近藤と橋川が近寄ってきた。橋川はすぐに人気インフルエンサーの最新動画でパンチラがあったとか、アイドルが写真集でランジェリーカットを披露するとか、いつも通りの話題を提供してくる。

「そういやさ、聞いてくれよ」

 橋川が一通り話題を提供し終えたあと、近藤がひそひそ声で話しはじめた。

「まだみんなには秘密にしといてほしいんだけど、俺さ、長澤さんにフラれたんだよね」

「え? マジで? 一か月もたってないじゃん」

 橋川はそう返しながら長澤さんをちらりと見た。

「なんか昨日の夜電話きて、それで別れようって」

 明らかに落ち込んでいる近藤に、なんて声をかけていいかわからない。

「どうせあれだろ」

 橋川がくすくす笑いながらつづける。

「一緒にいるとき胸ばっか見てたんだろ。長澤って意外とでかいし。そういう視線、女はすぐ気づくって言うぜ」

「そんなことしてないって」

「あれ、ってことはお前もしかして、長澤と一回もヤらずに別れた系男子?」

「は? なに言って」

「図星だな」

 橋川が憐れむように首を振る。

「残念だったな。せっかくおっぱいに惹かれてつき合ったのに、揉まずに別れるなんて」

「だから、そこを好きになったんじゃ」

「でもあっちから告白してきたんだろ? それで揉ませないとかもはや犯罪じゃね?」

「いや、たぶん俺がなにか幻滅させるようなことを」

「ってかこんなネタ秘密にしとくとかもったいねぇ。みんなに教えないと」

「バカやめろって」

 立ち上がってクラスメイトの方を向きかけた橋川に、近藤がしがみつく。

「さすがに別れるの早すぎて情けなさすぎるし。長澤さんを悪く思う人も出るかもだし」

「さすがに友達がフラれたことは言わねぇから安心しろ。お前がネタにできるまでな」

「それは、相手のこともあるからネタには……」

「でもよ、俺ちょっと長澤にイラついてんだけど。向こうから告白してきてすぐ別れるとか普通にないだろ。男の部屋についていってヤらせるつもりなかったとかほざく女くらいない」

「だから、きっと俺がなにか」

「近藤は優しすぎるんだよ」

 橋川がいつになく真剣な顔をする。

「裏切った相手に優しさ向けるとか普通に無意味。こっちが庇う必要なし」

「裏切ったとか、そういうんじゃないと思うけど」

「神谷もそう思うだろ?」

「え?」

 急に話を振られて面食らったが、平静を装って返事をする。

「近藤が優しすぎるってのは、あるかもしれないけど」

 俺の言葉を遮るようにチャイムが鳴り、担任が教室に入ってくる。橋川と近藤は、他のクラスメイトと同様にそそくさと自分の席に戻っていった。





 担任が連絡事項を話している間、俺は橋川の『裏切った』という言葉を脳内で反芻していた。

 俺は長澤さんをある意味で裏切っている。

 近藤も武元さんも裏切っているのに、長澤さんのことだけを強く深く考えてしまう。

 ――ひとりで勝手に正常な性癖を取り戻すんじゃないかって、怖くて仕方なかったの。

 長澤さんは、俺という特殊性癖仲間を失うことを極端に恐れていた。

 もちろん俺は正常な性癖を手に入れたわけではないので、まだ特殊性癖仲間ではある。が、俺の心は救われている。特殊性癖を嫌っていないし、劣等感も抱いていない。

 それはつまり、自分の特殊性癖を忌み嫌う長澤さんを独りにしたのと同じではないか。

 だったら俺は長澤さんを救うべきではないのか。

 彼女が「正常な性癖を手に入れるために行動しよう」と誘ってくれなかったら今の俺はない。そのせいで随分と苦しんだけど、裏を返せばそのつらい思いがあったからこそ母親にすべてを白状できた。

 そんな命の恩人である長澤さんを独りぼっちにしたくない。

 特殊性癖を抱えている自分を認めて、受け入れてあげてほしい。