翌日、いつものように制服に着替え、いつものリュックを背負って家を出た。一分ほど歩いてから立ち止まり、どんよりとした曇り空を見上げて嘲るように笑う。
リュックには勉強道具ではなく私服が入っている。制服が部屋にあれば、あの適当自由人な母親でもさすがにおかしいと思うだろう。部屋に勝手に入るような親ではないが、念のため道中で着替えることにしたのだ。
通学路から逸れたところにある公衆トイレに向かい、学校に休みの連絡を入れてから個室で私服に着替える。ベージュのチノパンに白のTシャツ、黒のジャケット。制服ではないだけで高校生には見えづらいはず……たぶん。
待ち合わせ場所は、最寄り駅のロータリーにある牛のオブジェの前だ。
「おはよ、ごめんね待たせて」
長澤さんは少し遅れてやってきた。青のスキニーデニムが女性特有の下半身のラインを美しく見せ、黒のオフショルトップスが形のよい胸を強調させている。背負っているリュックはいつも学校に持ってきているものだ。
どうやら長澤さんも、母親を欺くために制服を着て家を出てどこかで着替えたようだ。
「ほんとだよ。時間厳守は基本だろ」
「そこは全然待ってないよって余裕を見せるところじゃないの?」
「高校サボってんだぞ。誰かに見られるんじゃないかってドキドキだったんだからな」
「それ思った。私も、ラブホで高校生ってバレて学校に通報されたらって思うと、めちゃくちゃドキドキしてる」
長澤さんは苦笑したあとで下唇を噛む。
俺たちは今、たしかにドキドキしている。
でもこのドキドキは誰かに見つかってサボりがバレるのではないか、ラブホの受付で高校生だとバレるのではないかという不安から生まれたものだ。
正常な人間がいちゃいちゃする前に抱くドキドキではない。
「あ、そうだ」
明るい声を出した長澤さんは、つづけて腕を軽く広げた。
「どう? 今日の服装。ネットで『女 エロい 服装』って調べたのを参考にしてみたんだけど」
「どう、って言われても。ミニスカートでもっと露出増やした方がエロいんじゃないかって思うぞ」
「なんかね、ただ露出するだけじゃダメらしいよ」
「ふーん、そういうもんなんだな」
「そうらしいよ」
言いながら悲しくなっていく。
その格好がエロいのかエロくないのか、自分の感性で判断できないことが本当に憎い。
「でも……なるほどね。神谷くんは女子の生足が好きなのか、メモメモっと」
長澤さんがにやりと笑いながら、手のひらに文字を書く。
負の空気が漂いはじめたのを察して、場を紛らわそうとしてくれたのだろう。
「そんなわけないだろ。足なんてただの肌色の棒だから」
「ごめん、そうだよね。神谷くんは足が好きなんじゃなくて、足で踏みつけられるのが好きなんだよね」
「女王様ネタまだ引っ張るのかよ!」
「あ、ごめん。ピンヒールで来ればよかったよね」
「それ以上言うとこのまま帰るぞ」
「あ、深い意味はないけどちょっと靴屋さん寄って――――ほんとごめんって!」
長澤さんに背を向けて歩き出そうとすると、彼女が慌てて俺の手をつかんだ。
「もしかして、本気で帰ろうとしてる?」
不安そうに聞いてきたことがおかしくて、俺はこらえきれずに吹き出してしまった。
「まさか。そんなわけないだろ」
涙を拭いながら振り返る。
長澤さんにいじられるノリは嫌いじゃないのだ。
これまでの俺は、完璧人間を演じているせいで誰かからバカにされる経験がなかったから、長澤さんに雑に扱われるのを楽しく思うのだろう。
「べ、別にわかってたけどね。ノリだってことくらい。わかっててつき合ってあげたんだから感謝してほしいくらいだけどね」
長澤さんがいじけたようにそっぽを向く。拗ねた子供のような表情を初めて見た気がして、心がほわりと温まった。
長澤さんといると俺の新たな一面を知れて嬉しくなれて。
長澤さんの新たな一面を知ると楽しくなれる。
長澤さんと出会えなかった自分を考えたくないくらい、長澤さんは俺の心に入り込んでいて、俺の安寧の拠り所になっている。
「わかった。そういうことにしておくよ」
「しておくじゃないから! そういうことだから!」
「はいはい。だからわかったって」
「絶対わかってないでしょ! もういい! それ以上ふざけるなら私、本当に帰るからね!」
長澤さんが、さっきの俺と同じように帰ろうとする。
「…………」
「ちょっと! そこはちゃんと引き留めてよ! 私もそうしてあげたでしょ!」
あえてなにもしなかった俺に怒ったあと、長澤さんがこらえきれずに吹き出す。
その楽しそうな姿を見て俺もこらえきれずに吹き出す。
同じ場所で同じ時を過ごしながら同じ会話を共有して同じように笑い合える。
長澤さんといろんな同じを体験できる幸せがずっとつづけばいい。
それを繰り返していけば、いつか長澤さんと同じ興奮を抱けるかもしれない。
そんな希望が、心の中に芽生えていた。
リュックには勉強道具ではなく私服が入っている。制服が部屋にあれば、あの適当自由人な母親でもさすがにおかしいと思うだろう。部屋に勝手に入るような親ではないが、念のため道中で着替えることにしたのだ。
通学路から逸れたところにある公衆トイレに向かい、学校に休みの連絡を入れてから個室で私服に着替える。ベージュのチノパンに白のTシャツ、黒のジャケット。制服ではないだけで高校生には見えづらいはず……たぶん。
待ち合わせ場所は、最寄り駅のロータリーにある牛のオブジェの前だ。
「おはよ、ごめんね待たせて」
長澤さんは少し遅れてやってきた。青のスキニーデニムが女性特有の下半身のラインを美しく見せ、黒のオフショルトップスが形のよい胸を強調させている。背負っているリュックはいつも学校に持ってきているものだ。
どうやら長澤さんも、母親を欺くために制服を着て家を出てどこかで着替えたようだ。
「ほんとだよ。時間厳守は基本だろ」
「そこは全然待ってないよって余裕を見せるところじゃないの?」
「高校サボってんだぞ。誰かに見られるんじゃないかってドキドキだったんだからな」
「それ思った。私も、ラブホで高校生ってバレて学校に通報されたらって思うと、めちゃくちゃドキドキしてる」
長澤さんは苦笑したあとで下唇を噛む。
俺たちは今、たしかにドキドキしている。
でもこのドキドキは誰かに見つかってサボりがバレるのではないか、ラブホの受付で高校生だとバレるのではないかという不安から生まれたものだ。
正常な人間がいちゃいちゃする前に抱くドキドキではない。
「あ、そうだ」
明るい声を出した長澤さんは、つづけて腕を軽く広げた。
「どう? 今日の服装。ネットで『女 エロい 服装』って調べたのを参考にしてみたんだけど」
「どう、って言われても。ミニスカートでもっと露出増やした方がエロいんじゃないかって思うぞ」
「なんかね、ただ露出するだけじゃダメらしいよ」
「ふーん、そういうもんなんだな」
「そうらしいよ」
言いながら悲しくなっていく。
その格好がエロいのかエロくないのか、自分の感性で判断できないことが本当に憎い。
「でも……なるほどね。神谷くんは女子の生足が好きなのか、メモメモっと」
長澤さんがにやりと笑いながら、手のひらに文字を書く。
負の空気が漂いはじめたのを察して、場を紛らわそうとしてくれたのだろう。
「そんなわけないだろ。足なんてただの肌色の棒だから」
「ごめん、そうだよね。神谷くんは足が好きなんじゃなくて、足で踏みつけられるのが好きなんだよね」
「女王様ネタまだ引っ張るのかよ!」
「あ、ごめん。ピンヒールで来ればよかったよね」
「それ以上言うとこのまま帰るぞ」
「あ、深い意味はないけどちょっと靴屋さん寄って――――ほんとごめんって!」
長澤さんに背を向けて歩き出そうとすると、彼女が慌てて俺の手をつかんだ。
「もしかして、本気で帰ろうとしてる?」
不安そうに聞いてきたことがおかしくて、俺はこらえきれずに吹き出してしまった。
「まさか。そんなわけないだろ」
涙を拭いながら振り返る。
長澤さんにいじられるノリは嫌いじゃないのだ。
これまでの俺は、完璧人間を演じているせいで誰かからバカにされる経験がなかったから、長澤さんに雑に扱われるのを楽しく思うのだろう。
「べ、別にわかってたけどね。ノリだってことくらい。わかっててつき合ってあげたんだから感謝してほしいくらいだけどね」
長澤さんがいじけたようにそっぽを向く。拗ねた子供のような表情を初めて見た気がして、心がほわりと温まった。
長澤さんといると俺の新たな一面を知れて嬉しくなれて。
長澤さんの新たな一面を知ると楽しくなれる。
長澤さんと出会えなかった自分を考えたくないくらい、長澤さんは俺の心に入り込んでいて、俺の安寧の拠り所になっている。
「わかった。そういうことにしておくよ」
「しておくじゃないから! そういうことだから!」
「はいはい。だからわかったって」
「絶対わかってないでしょ! もういい! それ以上ふざけるなら私、本当に帰るからね!」
長澤さんが、さっきの俺と同じように帰ろうとする。
「…………」
「ちょっと! そこはちゃんと引き留めてよ! 私もそうしてあげたでしょ!」
あえてなにもしなかった俺に怒ったあと、長澤さんがこらえきれずに吹き出す。
その楽しそうな姿を見て俺もこらえきれずに吹き出す。
同じ場所で同じ時を過ごしながら同じ会話を共有して同じように笑い合える。
長澤さんといろんな同じを体験できる幸せがずっとつづけばいい。
それを繰り返していけば、いつか長澤さんと同じ興奮を抱けるかもしれない。
そんな希望が、心の中に芽生えていた。