裂けるチーズが美少女化すればいいのにって思う。

 家まで我慢できなかったから、廃れた神社の本堂裏で衝動を解放させてしまった。

「ふざけやがって」

 生い茂る木々が陽光を遮っているため、薄暗くてじめじめしている。少し肌寒い。本堂の壁に背中を預けつつチーズを裂いていくと身体が熱を帯びてきて、寒さが心地よくなった。

 ――私は、神谷(かみや)くんの優しいところや、不意に見せる笑顔が大好きです。

 さっき、面識のない他クラスの女に告白された。

 いや、もしかしたらどこかで話したことがあるかもしれない。

 ――成績優秀でスポーツ万能で生徒会長で、こんな私とはつり合わないかもしれないけど。

 二つ結びにされた髪が風で揺れていた。ぷにぷにしていそうな頬は薄紅色に染まっており、大きな瞳と小ぶりな鼻からは適度なあどけなさを感じた。

 ああ、死にたくなるくらい、この女の子は眩しい。

 勇気と不安で満たされている告白の言葉があまりに眩しすぎて、俺の心は一瞬で焼けただれた。

 ――私、このまま本当の気持ちを言えないのは嫌だったから。

「ふざけやがって!」

 裂き終えたチーズを口につっこむ。

 足元に置いていたビニール袋から新たな裂けるチーズを取り出す。

「なにが生徒会長だ、成績優秀だ、優しいだ。全部見せかけの、本当の俺じゃねぇよ!」

 チーズを裂いて、あの子を否定して、またチーズを裂いて。

「言えるような本当の気持ちのくせに、正しい感情のくせに」

 ああ、裂けるチーズは、やっぱり素晴らしい。

 美少女化しなくたって魅力にあふれている。

「好きでこんな身体になったんじゃねぇんだよ」

「お取込み中悪いんだけど、ちょっといい」

「はっぅ……」

 情けない声が漏れ、喉ぼとけが限界まで上がった状態で固まる。

 いつの間にか、俺が通う高校の紺色のブレザーを着た女が隣に立っていた。

「あ……なんで……」

 こんな場所に人はこないと思い込んでいた。裂いている途中のチーズが手から滑り落ちる。興奮の熱は、瞬く間に絶望という名の冷たさに置き換わる。

 終わった。

 無表情のクラスメイト、長澤姫子(ながさわひめこ)を見て、俺は人生の終焉を悟った。ボブカットの黒髪はもっさりした印象を与え、切れ長の目と薄い唇からどことなく冷たい印象を受ける。わずかに揺れている紺と赤のプリーツスカートは、他のクラスメイトたちとは違ってきちんと膝下まで伸びている。

「見かけたから後をつけてみたの。予想通りすぎて逆に驚いたよ」

「……あ、そう」

 一生の不覚だ。興奮に身を任せた自分を軽蔑する。人間として不適切で、全人類から迫害されるべき醜さを持っていると自覚していたのに、衝動に負けてしまった。

「それが神谷くんのトリガーなんだね」

 長澤さんが落ちているチーズを指さす。

 なにをやってももう遅いが、俺はそのチーズを隠したくてぐしゃりと踏み潰した。

「そういう風に産まれたんだから、しょうがないだろ」

 奥歯を強く噛みしめると、目から涙があふれる。頬を滴った涙が口に入り、チーズの匂いと混じった。

「気づいたらそうだったんだから、俺だって俺がキモいってわかってるよ!」

「大丈夫」

 前かがみになった長澤さんが、俺の唇に人差し指を押し当てる。地味で無口な女の子という印象しかなかったが、よく見ると顔は結構整っていた。

「安心して。これは運命で、私はあなたにお願いがあるだけなの」

 長澤さんの真っ黒な瞳に、困惑する俺が映っている。

「今から私の家に来て」

 長澤さんのスカートから伸びている足を見て、膨らんだ胸元を見て、眼球が急速に乾いていく。女子と二人きりで、密着していて、人の気配は皆無。この状況下で興奮できないなんて健全な男子高校生ではない。もっと言えば、種の繁栄を本能に刻み込まれた地球上の生物ですらない。

「私の実験に、つき合ってもらうだけだから」

 神さまの、完全なる失敗作だ。

「一緒に気持ちよくなりましょう」

 俺が自分を卑下している間、長澤さんは今にも泣きだしそうな顔で、俺が踏み潰した裂けるチーズを睨んでいた。