吹奏楽部の出番の前に片付けておかなければならない。ダンスステージを見終えた響と恭平は、ステージ裏にのけられていたドラムセットやアンプ類を、実行委員の生徒たちとともに部室へと運んだ。
 すると驚いたことに、湊たちアルグレメンバーが部室でくつろいでいた。机に腰をかけて、談笑していたようだ。
「なんでここに!」
「いや、騒がれるとまずいじゃん」
 コーラのペットボトルを片手に湊が答える。
 手伝ってくれた生徒たちは緊張した様子でちらちらと視線を向けていたが、湊の言葉を聞いて騒いではまずいと思ったのか、何も言わずにそそくさと出ていった。
 その様子を目で追ったあと、恭平がアルグレの面々に向き直って深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
 いやいや、と大袈裟に片手を振る湊。
「めちゃくちゃ楽しかったよ。なあ?」
 チョロQと小平のほうへ顔を向ける。
「おれ、学祭でライブとかしたことなかったから新鮮だった」
「アルグレで学祭なんか出なかったもんな。軽音部とかなかったし」
「そうそう。こういうのもいいな。今度学祭に呼んでもらおうぜ」
「いいかも」
「稚拙な曲ですが、客演してくださってありがとうございました」
 のんきなアルグレたちを前に、恭平は緊張した面持ちで再び頭を下げた。
「どれもかっこいい曲だったからな」
「そうそう。あのアプローチは新鮮」
「今度新曲でパクらせてもらおう」
「そんな……光栄です」

 タイミングを見計らっていた響は、ふとこちらに目を向けた湊に声をかけた。
「見るだけじゃなかったのかよ?」
「バンドサウンドなのにアコースティックバージョンなんてもったいないだろ?」
「なんでそんなこと知ってんだよ」
「恭平くんから出演してもらえないかって頼まれたから」
「恭平から?」
「そう。驚いたけど受けることにした」
「なんで……」
「昨日も言っただろ? 詫びだよ」
「詫び……」
「響がくすぶっていたのは、俺のせいかもしれないと思ったんだ。だからこいつらにも無理を言って、一緒に出てもらった。これが最初で最後な。さすがに仁美に怒られる」
「カバーライブなんて初めてだったから楽しかったけど」
「俺も」
「でも仁美が絶対に文句言うじゃん。やるなら私も呼んでよって」
「ああ、そうだ」
「動画が出回ったら恐ろしいことになる」
「まあ、それは俺が全部被るから。というわけで、少しでも弟の宣伝になれればいいと思ったわけ。この世界で目立つためには何でも利用するべきだ。ただいい曲を書いて最高のパフォーマンスをするだけじゃ足りない。ボカロ曲もそうだが、素人作でも名曲なんて山とあるし、演奏技術だって高いやつはゴロゴロいる。その中で目立つためにはこういうことが必要なんだ」
「本当に、ありがとうございました」
「いいよ。てことで恭平くん、例の件よろしく」
 湊は机から立ち上がる。
「あの腕なら期待しちゃうね」「楽しみにしてる」続いてチョロQと小平も立ち上がり、三人でドアに向かった。
「じゃあ、俺らはこれからプチ弾丸旅行だから」と片手をあげて去っていった。

 言うだけ言って颯爽といなくなった湊たちに唖然としていた響は、直立不動で見送っていた恭平に視線を向ける。
「なんの話?」
「交換条件だ。今日出演してもらう代わりに、アルグレの新曲のキーボードをやる」
「まじで? すご!」
「少しでも響の応援になるように配慮してくれたことだと思うが」
「どういうこと?」
「さっきKawaseさんが言っていただろ? 宣伝のひとつだ。俺もKawaseさんと同じく、一人でも多くの人に響の歌を聞いて欲しいと思ってる。そのためにいい曲を書こうと努力していたけど、それだけじゃ足りない」
 恭平は近くにあった机に腰を掛けた。
「いい曲を書くことは当然として、それとは別に戦略を考えなければならない。多くの人の耳に届けるためには、話題になって拡散される、つまりバズらなければならない。それで、Kawaseさんを利用することにした」
「利用?」
「そう。ライブを見に来てくれるって言ってたから、それなら客演してもらえないかって頼んだんだ。最初は断られたが、食い下がって、録ったものを送って、クオリティに納得してもらえたらって何度も頼み込んだ。そうしたら折れてくれたっていうか、さっき本人も言ってたけど、詫びもあるからって承諾してもらえた」
「そこまでする意味があるのか?」
「アルグレが学祭で飛び入りライブしたら動画を撮るだろ? それをネットにアップしてもらえたらそれ以上の宣伝効果はない。響に事前に教えなかったのは、最初の二曲が無様だったら出演を中止にすると言われていたからだ。撮られるリスクを考えれば当然の慎重さだが、結局出てくれたわけだし、『魔術師』まで演奏してくれたんだ。認めてくれたどころか率先して応援までしてくれたわけだ。あれには驚いたが、かなりの宣伝になったと思う」
「俺は演奏できれば満足だけど」
「そうだろう。響はそういうタイプだ。だから俺がやる」
「苦手そうなのに」
「実際苦手だ。でも、それ以上にお前の才能を世界中に見せつけてやりたい」
「そんなこと──」
 響は言い淀んだ。ふとまじまじと観察をすると、恭平は晴れやかな表情をして、ライブを終えた達成感と満足感、それから新たなやる気に満ちたように目を輝かせていた。
 響はその様子を見て、逆に気分が沈んできた。
 Kyoのファンになり、その恭平から必要とされてバンドを組み、ライブまでした。それだけでなく、その恭平が苦手なことまでして自分を世に出したいと、これ以上ないことまで言ってくれた。とてつもなく嬉しい。他に望むべくもないほどだ。Kyoと肩を並べるどころか、背中を押してくれるとさえ言ってくれている。

 しかし、響はそんなことは求めていなかった。
 響が望んでいることは、恭平一人に必要とされることだった。
 自分が求めるのと同じくらいに、恭平から求められたい。それだけが望みだった。
 恭平が必要としてくれていることはわかる。しかしそれは声だけだ。ギターと歌。ミュージシャンとしての腕だけだ。痺れるほど好きなのも、取り乱しておかしくなるのも、声が好きなだけだ。
 響はそれが耐えられなかった。
 Kyoに惚れ込んでからというもの、求めたものが叶うたびにその欲は高まり続け、とうとう歌を認めてもらうだけでは済まなくなった。これ以上何を求めているのか自分でもわからないところまで来てしまった。しかし一つだけ明確にわかっていることがあった。それは、声だけでなく、自分自身を必要として欲しいということだった。

「そんなにまでして有名になりたいの?」
 ぽつりとつぶやいた響の言葉に、穏やかに微笑を浮かべていた恭平が、その表情をそのまま表しているかのようなトーンで答えた。
「俺がなりたいわけじゃない。響の歌を聞かせてやりたいんだ」
「そんなに俺の声が好きなの?」
「ああ」
「でも恭平が必要としてるのは歌だけなんだろ?」
「いや、ギターもお前には敵わない」
「だから、歌だとかギターだけなんだろ?」
 見据えるように恭平を見るも、視線を逸らされた。
「声を聞いたらゾクゾクするって言ってた」
「ああ。たまらなく好きだ」
「今も?」
「今も」
「声だけなのかよ?」
 思わず声を荒げたら、恭平は驚いたように身体を強張らせた。
「必要なのも、好きなのも、俺の声だけなのか?」
 ──見当違いの努力をやめて欲しい。そんなことは求めていない。それよりも教えて欲しい。
 恭平が必要としているのは、本当に声だけなのかということを。
「俺はKyoの曲に惚れ込んでる。他のアーティストが目に入らないくらいに好きだ。だから、俺は恭平さえいてくれればいい。恭平が認めてくれたら他には何も要らない」
「……それは俺の台詞だ。俺と組んでくれて、俺の曲を歌ってくれているんだから」
「だからそれは声が必要なだけだろ? 俺は違うんだ。恭平の曲だけじゃない。恭平の全てが欲しいんだ」
「それは……」
「自分でもおかしいと思うけど、どうしようもないんだ。俺のことだけを見てほしい。恭平を独り占めしたい。身勝手なファンの独占欲だ。だから声だけを必要とされているのは嫌なんだ。俺自身を必要として欲しい!」
 恭平の驚いた顔が、ふと青ざめたように見えた。
 見当違いのことを言っているのはお前だと言わんばかりだ。そんなことはわかっている。でも、ここまで言ってしまったら後戻りはできない。
「だから──」
「それは、ファンだからなのか?」
 恭平が真剣な表情で言葉をかぶせてきた。呆れ果てたかドン引きしたか、そういった声色ではなく、真摯に問う力強い語調だった。
「俺は響のことしか見ていない。他の誰のことも考えていない……俺も響の全てが欲しい」
 突然のことで混乱してしまって言葉を飲み込めない。それはたった今響が口にした言葉だった。今まで浮かんでは振り払い、考えないように耐えていた言葉だ。
「誰にも響の歌を聞かせたくない。本当は独り占めしたい。響自身が必要なんだ」
「それは──声が好きだから?」
「響のことが好きだから」
「えっ?」
「響のことが好きだ。声だけじゃなく、バンド仲間としてでもなく、一人の男として」
 何を言われているのかわからない。
「ギターを弾く手も、俺の肩くらいしかない小さな身体も、愛くるしい顔も、意外と速い足も、気遣ってくれる優しい性格も、一直線な情熱も、真っ直ぐに見つめているその目もすべて好きだ」
「それは……」
「……伝えたら、組んでもらえなくなると思って言えなかった。こんな気持ちを抱えているなんてバレたら、どう思われるか不安だったから。……でも、声だけじゃない。響のことが好きだから、響の凄さを、響の存在を世界に知らしめてやりたいんだ」
 最後まで聞けなかった。思わず恭平に抱きついて、顔をうずめて耳を塞いでしまったから。

 響はようやく気がついた。気づいてみれば簡単なことだった。
 恭平が必要としてくれているのは声だけだと不満に思っていたくせに、自分の方こそ恭平のことを一人のアーティストとして見ようとしていた。恭平に対して湧き上がる全ての感情を、ファンがゆえに抱いたものだと考えようとしていた。
 ──恭平のことが好きだ。
 シンプルに、ただ一人の男として。
 気がついたら堰をきったかのように、恭平への想いが溢れてきた。
 その恭平も好きだと言ってくれたことが嬉しくて、愛おしくてたまらなくなった。
 気持ちを抑えつけなくてもいい。もう触れてもいいんだとわかって、これまで抑えてきた感情が爆発しそうだった。

「じゃあ俺は恭平に触れてもいいの?」
 心に浮かんだ疑問が口について出た。
 しかし響は恭平の答えを聞けなかった。聞かなかったと言ってもいい。なぜなら響から口を塞いで、答える隙を与えなかったからだ。