帰宅して風呂を済ませ、寝るまで一通りギターをかき鳴らしたあと、スマホに新着通知があったので見てみたら、Kyoのチャンネルで新曲が投稿されていた。
 その『ゼロ・カウント』は録音したばかりの曲で、既に作っていたのかボカロも入っているし、シンプルなものだが映像も完成していた。
 作業の速さに驚きつつも、それよりも何よりも、ギターを使ってくれてることに飛び上がった。
 ガストで「クレジット入れるから、名前は何がいい?」と問われ、まだ半信半疑だったこともあり「そんなもんなくていいよ」と、何度聞かれてもあしらっていたため、クレジット表記はないものの、間違いなく響のギターだった。
 Kyoの新曲に俺のギターが……と感激して思わず目が潤んだ。
 その現実を確かめるように何度も再生して、曲に聞き惚れては打ち震えた。

 翌日浮足立って部室へ行くと、珍しく北田と弓野が先に来ていた。
「はよ」
「おー、響! 海行こうぜ、海!」
 はあ?という顔で北田を見るも、そんな反応などお構いなしに、両端から二人がかりで腕をホールドされる。
「水着なんかねーよ」
「海の家で借りれっから」
「カラオケに来なかったから香里奈がキレてたぞ」
「そんなの知るかよ」
 断ろうにも臆病な響は強く言うことができず、小さな声で抵抗することしかできない。
「今日は絶対に連れてこいって言われてんだ」
 そう言って両腕をホールドされたまま、無理やり部室から連れ出された。

 海水浴場は電車で八つほど先の駅にある。
 車内は、駅を通過するごとに乗客が増えてきて、停車駅近くになったころには、浮き輪やテントを持った人たちで溢れんばかりになった。
 到着した駅から海水浴場へは徒歩で15分程度。響たちのような若者グループはほとんどが歩きで、家族連れはタクシーを拾っていたようだ。
 地元では最も大きい海水浴場だからか、海開きをしたばかりの今日は、平日ながらも賑わいを見せている。
 北田と弓野は、行く先が決まっているかのように、迷いなく砂浜を進んでいく。ベージュのテントが張ってある場所へ向かっているようだ。
 たどり着き、そこにいた男子二人に声をかけた。
「遅れて悪い」
「いいけど、もう一つはお前らだけで立てろ」
 背の高い方の男子が、北田の足元に転がっているテントを顎でしゃくる。
 同じクラスになったことがないため、喋ったことも当然ないが、人気グループの中でも一際目立っている男子ので、名前だけは知っている。
 金林(かなばやし)勇斗だ。香里奈と付き合っているのではと噂されている筆頭株。女子からの人気ナンバーワン。
 香里奈と同様、学年のボス的なグループの一員なので、地味な軽音部と一緒に海水浴だなんて、まさかと思って驚いた。

「勇斗!」
 香里奈が四人の女子を引き連れてこちらへ向かって歩いてきた。
 苦手な相手ではあるものの、人気があるだけあって実際めちゃくちゃ可愛い。キャミソールのミニワンピースという私服姿も眩しいほどで、さすがの響も目を奪われた。
 
 北田たちと三人でテントを張っている間、勇斗や香里奈たちは海の家の更衣室で水着に着替えてきたらしく、ボディボードや浮き輪、フロートなどを手に、目の前を通り過ぎていった。
「俺らも着替えようぜ」
 北田の言葉に、弓野と共に響もついていく。
「ここでレンタルできる」
 弓野に教えてもらって、海の家のレンタル窓口で適当に水着を選んだ。

 海水浴や砂遊びにビーチボールなど、これでもかと遊びまくったあと、海の家でラーメンに焼きそばと、海ならではの昼食をとる。まるでリア充の夏休みである。
 しかし響は輪に入ろうとせず、キャッキャとはしゃいでる様子を眺めているばかりだった。
 大勢で遊ぶというのも苦手だし、そもそもギターばかりの日々を送っていたせいで、こういった状況に慣れていない。つまらなくはないが、積極的に遊びたいとも思わず、なぜ強く断れなかったのだろうと、自分の押しの弱さが嫌になった。

 午後になり、満たされた腹を休めるために寝転んだり、デザートにかき氷を食べたり、また海水浴を始めたりと、それぞれ好きなことをし始めたので、響はテントの下に居場所を定め、北田と女子が寝転ぶ横でスマホを眺め始めた。イヤホンをして音楽でも聞きたいところだが、さすがにそこまでする勇気はない。
「あれ? あいつどこいった?」
 おそらく弓野のことだろう。北田が跳ね起きた。
「由美といたの見たけど」隣にいた女子が眠そうな声で答える。
「まじかよ……じゃあ、ひなちゃんも俺とどっか消える?」
「えー、どうしよっかな……」そう言いながらも、ひなちゃんはそこまで嫌そうでもない。
 響は立ち上がり、むしろ自分が消えたほうが早いだろうと、海のほうへ向かうことにした。

 波打ち際に来て海を眺めながら、ふと夢想にふけった。
 ギターを始めてからは、湊とともにギター漬けの日々を過ごしていたから、海水浴は小学生のとき以来だった。
 たまには海も悪くはないな、と思いながらも、いつもなら今ごろ部室でかき鳴らしているのに、とギターを弾きたくてウズウズしてくる。

「おい河瀬、LINEを返せ」
 声をかけられて振り向くと、腰に手を当てて睨みつけている香里奈の姿が飛び込んだ。
「あ、えっと……」
 香里奈は近づいてきて、響の隣に腰を下ろした。
「座りなよ」
 じっくりと話そうとでもいう誘いだ。またボカロPがどうのと詰め寄られると思うと、正直逃げ出したかったのだが、この状況でどこへ逃げられるというのか、言い訳も何も思いつかず、素直に従わざるを得なかった。
「なんだよ」
「河瀬くんってKyoなの?」
「は?」
「響って、音読みで『きょう』でしょ?」
「それはそうだけど……」
「だからKyoは河瀬くんなんじゃないかって」
「違うよ」
 Kyoは恭平の『きょう』だよ。そう言い返したいところだができるはずもなく、目を逸らすことしかできない。
「……私の歌どうだった?」
 珍しくもおずおずとした声だったため、逸らしていた視線を香里奈に戻す。
「え、良かったよ」
「良かったって、どれくらい?」
「うーん……普通に……いや、かなり良かった。自己流にアレンジしてるところが、かなり研究して練習してるんだろうなって思って、すごく良かった」
「ふふ」
 嬉しそうに笑うと本当に可愛らしい。
「じゃあボーカルにしてくれる?」
「だから北田が」
「じゃなくてオリジナル曲を演るバンドの」
「オリジナルなんて作ってない」
「でもDTMしてるんでしょ?」
「だから、してないって」
「なんで嘘つくの?」今度は怒った顔になる。
「てか、なんでそう思い込んでるんだよ? 違うって何度も言ってるじゃん」
「部室でKyoの曲弾いてるでしょ。レコーディングしてるみたいだし」
「弾いてるのはファンだからで、レコーディングなんてしてない」
「本当に?」
 あまりのしつこさに苛ついてきた。これ以上どう言い返せば納得してもらえるのか、反論の種も尽きるというものだ。
 他人に対して強く出れない響でも、さすがにうんざりして声を荒げようとした。
「香里奈、まだ粘ってんの?」
 ちょうどそのタイミングで勇斗がやってきて、響とは逆側の香里奈の隣に腰を下ろした。
「うるさいな。夢なんだもん。ボーカルやりたいの」
「Kawaseの弟だからってボカロPとは限らねーだろ? 何度も言ってんじゃん。……だろ?」
 香里奈ごしに顔を向けられたので頷いた。助け舟とはこのことだ。ほとんど初対面とも言える勇斗に対して、好感度が爆上がりした。
「その通り」
「本人がやってねーっつってんだから諦めろよ」
 なだめるように勇斗は香里奈の肩を抱く。しかし香里奈は不満そうに口を尖らせたままだ。
「でもMistyみたいになりたい」
「Mistyよりちゃんみな目指せよ。せっかくダンス上手いんだから」

「なに? なに?」
 北田たちも集まり始めた。
「香里奈がちゃんみな? いいじゃん!」女子が声をあげる。
「学祭でやったら? 『美人』」
「男女混成なのに?」
 ノリノリな弓野の言葉に、香里奈が呆れた顔で答えたため、言葉を探しているのか焦った様子を見せた。
「そういやBE:FIRSTもやるんだっけ? 凄いよな」
「勇斗と香里奈だけレベルが違うよね」
「そうそう。俺らで言う、響と南波みたいな」
 北田が自虐的に笑ったのを見て、勇斗が聞いた。
「南波って誰?」
「三組の暗いやつだよ。ドラムだっけ?」
 女子の一人が答えると、隣りにいた別の女子も続く。
「そう。北田たち何であんなのと組んでんの?」
「ドラムは上手いんだけど」北田が答える。
「ドラム『は』って。つまり他はダメってこと?」
「ダメっつーか、華がないよな」
 北田は弓野に顔を向ける。
「まあ、アルグレやヒゲダンっつーよりは米津かラッドみたいな……」
「米津いいじゃん!」女子が割って入る。
「いや、曲とかじゃなくて見た目の話」
「ほとんど喋らんし、陰気っつーか不気味?」
「友達とかいないよな。いつも一人で何が楽しいんだろ」
「ドラム?」
「ドラムだけが友達みたいな?」
 北田たちにつられて女子たちも笑い声をあげた。

 それまで黙って聞いていた響も、いい加減に耐え難くなってきた。
 恭平は無口だけど、親しくなると気さくで話しやすいし、細やかな気遣いをする優しさもある。背は高いし、隠れイケメンで、ドラムだけでなくギターもベースもキーボードも何でも弾きこなして、超かっこいい曲を作るボカロPだ。そんな恭平に対して何を言ってやがる!
 と、ふつふつと怒りが湧いて、言い返してやりたくてたまらなくなってきた。

「北田と弓野で、河瀨くんに曲作ってもらったらデビューも夢じゃないよ」
 北田に気があるのか、迷い事を言った女子の言葉に、まんざらでもない様子の北田が答える。
「まじ? できっかな?」
「ドラマーは替えたほうがいいでしょ。そんな暗いやつ」
「確かに。アルグレやミセス目指すなら南波は無理だよな」
 北田が弓野に振る。
「じゃあ、ドラマー替えちゃいますか?」
「いいですね」
 ニヤニヤと話す北田と弓野の横で、女子たちも「いいじゃん」と囃し立てているのを見て、我慢の限界が来た。
 ただの軽口だとわかっていても、恭平の陰口は耐えられなかった。
「恭平じゃなくてお前らが抜けろよ!」
 怒鳴り声をあげたことで、場がしんと静まり返る。 
 しかし、怒りで頭がいっぱいの響は気にするどころか、この場にいるのも不快だとばかりに立ち上がり、テントの方へと向かった。

 言い返しても気が晴れず、北田たちの陰口を思い返して、考え得る限りの罵倒を頭の中で吐き出し、無理やり連れて来られたことも同時に思い出した響は、ますます苛ついた。
「もしかして、Kyoってドラムの人?」
「えっ!」
 帰るために手荷物をまとめていたとき、香里奈の声を聞いて飛び上がるほど驚いた。
「なんだって?」
「Kyoって南波恭平くん?」
「何言ってんの?」
「そうなんだ」
「違うよ!」
 それだけ言って、海の家のほうへ逃げるように駆け出した。
 怒りで沸騰していた頭が、香里奈の言葉で一気に冷めた。
 走ったせいか、熱して冷めた急激な変化のせいか、心臓がバクバクと大きな音を立てている。

 テントを片付けなければ、と頭をよぎったものの、香里奈にも、北田たちにも顔を合わせたくなかった響は、海の家で着替えを済ませて、そのまま一人で帰宅した。