5.
 タクシーで藤咲の一軒家まで向かうと美月は早速お気に入りのソファに飛び込んだ。
「うにゃ〜、やっぱおうちが一番だにゃ〜」
 入院生活が決まったこの一年間でも一度も帰る機会がなかったわけではないが、それでもここ数ヶ月は体調が急激に悪化していたせいで一度も帰れていなかったのだ。
 父のいる病院とはいえ、それでもやはり自分の家だと安心感がまるで違うのだろう。美月がベッドのうえで猫のように嬉しそうに転がっているのを見るだけでなんだか胸が熱くなるような気がした。
 お姉ちゃん、とりあえず服着替えなよー、あとからスーツケースをタクシーから下ろして入ってきた陽菜の声が背後から聞こえてきた。この姉妹とはなんだかんだで四五年くらいの付き合いになるはずだが、正直にいえば、二人の関係性はいまだに僕は掴みきれていなかった。
 もちろん仲がいいのは確実にわかる。
 面倒見のよい姉と子どもっぽい妹かと思えば、天然なお姉ちゃんと口は悪いがしっかりものの妹にみえたりもする。
 そのリラックスした関係は兄と自分の関係とは違うなとぼんやり思う。
 そんなことを思いながら、美月の隣に腰掛けると、美月は何かに気づいたらしくガバッと起きて、「あ、そうだ、着替え!」と叫んだ。
「はいはい、とりあえず着替えてこいって、飼い主(妹)が言ってるぞ」
「あ、そうじゃなくて、奏の着替え」
「うん? あー、そうか、まあ夕方くらいに一旦取りに帰るか」
 美月は僕の言葉に、意味ありげにチッチッチと指を振りながらおおげさに言った。
「まあそれもいいんだけど、どうせなら他にもいろいろいるものあるでしょ?」
「まあ、そうだけど?」
「ね、せっかくなら買い物に行こうよ!」



                   ***

 
 
 というわけで、僕たち三人は病院から戻ってすぐに早速家を出て、再びバスに乗ってわざわざ少し遠めのショッピングモールまで向かった。
 土曜日のショッピングモールはこんな県の中心から外れた郊外でもそれなりに人で賑わっていた。僕は人混みのなかで久々の外の世界は美月の負担にならないかと心配したが、当の美月は妹と二人でニコニコとエスカレータに乗り込んでいた。
 お昼がまだだった僕たちは着いたらまずフートコートで食事をすることにしたが、美月は爛々とハンバーガーショップやらアイスクリームスタンドに目を輝かせた。
 美月はさんざん何を食べるか悩んだ挙句、ミニ餃子がついてくるラーメンセットにした。ちなみに陽菜は親子丼と小うどんのセットで、自分はカットステーキ重と蕎麦にした。
 美月は自分のラーメンセットが出来上がるまで呼び出し用のベルを両手で持ちながら、先に食べ始めた僕らの料理に「いいな、いいな、そっちもよかったなあ」と心底羨ましそうに言った。
「少し食べるか?」とせっかく聞いたが、美月は「ダメ、フードコートでは一人一つで欲張っちゃダメなの。それがルールなの」とよくわからないが妙に義理堅いことを言った。
「お姉ちゃんって本当に食いしん坊だよねえ」
「健康な証拠です」
 美月は微妙に笑っていいのか、笑えないかのギリギリの発言をして、それからけたたましくラーメンセットに呼び出されて、席を外した。
「奏はさ、ここのモールが出来てから引っ越してきたんだよね?」
 陽菜は最後に小うどんを食べる派らしく少し伸びた麺をずるずる啜りながら話しかけてきた。
「たぶん、そうじゃないかな。引っ越したばっかりのときにもここで買い物したからそうだと思うけど」
 そういえば、美月と最初にどこかに出かけたという思い出も、ここのショッピングモールだった。
 あのときは何を食べたっけ。
「ここのモールってさ、実はできたの結構最近なんだよね、その前はおんなじ系列なんだけど、もっとちっちゃいショッピングセンターだったんだ」
「へえ」
 俺は答えながら最初に蕎麦を食べる派だったので、残ったメインディッシュのカットステーキ重についてきた山椒を振りかけた。
「それでお姉ちゃんとわたしがピアノのレッスンが終わるとお母さんがよく車で迎えに来てくれたついでに寄ったんだよね。なんかこんなふうに二人で来るのお母さんが死んでからあんまりなかったから懐かしいな。こんなふうに大きいモールになる前のショッピングセンターにもおんなじようなフードコートがあってさ」
 美月はカウンターで和食料理屋の隣のラーメンセットのお盆を器からこぼれないように慎重に受け取っていた。
「なんかレッスンは大変だったけど、あの頃こうしてお母さんとお姉ちゃんとフードコートで食べた頃のことが最近いちばん思い出すんだよね」
 ステーキ重の味の濃いソースで喉が渇いたので冷水機から汲んできた水を飲み干した。陽菜の話聞きながら、まるで迷子の子どものように人を避けながらこちらに戻ってこようとする美月を見守りながら僕は考えた。
 きっとそれは美月もおんなじなんだろう。だから、今日もこんなに楽しそうに笑っているんだ。
 僕は想像した。
 幼い美月が母親に連れられて、たくさんの食べ物に目移りして、あれも食べたいこれも食べたいと駄々をこねる。でも母親はそんなに食べきれないから、一つだけにしときなさいという。
 それがルールだから、と。
 でも幼い美月はぐずって我儘をいう。案の上、叱られて泣く泣くラーメンセットを選ぶ。でも食べてるうちに機嫌が直って、最後には笑うのだ。
 どれだけ叱られた思い出があっても、きっとそれすらここでは幸福な思い出として思い出される。
「奏の家は家族でこういうところ来たりした?」
「うちはこういうところには来なかったな、でも」
「でも?」
「来ればよかったな」
「そっか」
 陽菜はそれ以上は何も言わなかった。
 フードコートのラーメンなんて、ちゃちでどこにでもある味だ。でもだからこそその記憶のなかでその味はずっと忘れられないんだろう。ショッピングセンターのフードコートで叱られたり、話したり、そんなのきっと特別じゃないそこらの誰にでもあるどこにでもある他愛もない記憶だ。
 でもだからこそ、特別でかけがえのない、大切な大切な記憶の一つになるのだろう。
 陽菜は美月が席にたどり着くまでにイタズラっぽく付け加えた。
「でもさ、お姉ちゃんの人生の初キスは奏とここに来たときらしいから」
 美月は人混みをかきわけて、ようやく僕らの席に戻ってきた。
「うーん? 陽菜はなんで、そんなニヤニヤしているの? あれ? 奏はなんでそんな顔赤いの? そのステーキ重、そんなに辛かった? 水取ってきてあげようか?」
 陽菜は大丈夫だよ、と一言だけいった。
 変なの、美月はそういって、持ってきたラーメンセットのミニ餃子をラーメンスープに浸して口に入れるとすぐに麺を啜った。
「いやあ、やっぱりフードコートのラーメンセットでしか味わえない美味しささって絶対あるよね」
 美月は餃子をおかずにラーメンを一緒に食べる派だった。
「そうだねえ」
 陽菜はそういって姉の満足げな表情をずっと見つめ続けていた。