先生が戻ってきた。いつものかったるそうな授業も、以前と同じように見えた。
「先生」
 ぼくは授業終わりに声をかけた。
「おう」
「あの、お悔やみ申し上げます」
 ぼくは言った。
 先生は立ち止まり、ぼくをじっと見た。ああ、まずいことを言ってしまったかもしれない、と思った。そもそも塚原先生に声をかけたのは、先生のご家族が亡くなったことを労ることもあったけれど、秀一郎さん元気ですか? と聞きたかったからだった。
 自分勝手なものだ。いま近しい人を亡くして、傷ついている人をそっとしておくことができなかった自分がばかだ、と思った。
「平間にって秀一郎から」
 手紙を渡された。
 平間エイジくんへ、と封筒にあった。
「なんですか、これ」
「知らない、きみあてだから」
 とだけ言って職員室へ去っていった。

「エイジくんへ

 これ、遺書のなかに入れておくことにするね。
 なので、これをきみが読んだときには笑えることにぼくは死んでいます。
 さてクイズ。なんでぼくは死んだのでしょう?

1 やっぱりHIVなのかな、遊んでいそうだし
2 躁鬱激しそうだから自殺かな
3 誰かに殺されたのかな、ああいう人って恨みを買ってそうだし

 どう思う?
 答えはどれでもありません。三択だからって、そのなかに答えがあるとは限らないのだよ。人生の秘密の一つだから覚えておくといいでしょう。
 ぼくはわりと面倒くさい難病を抱えていて、正直いつ死んだっておかしくない感じなんだよ。元気そうだったじゃんて? ぽっくりいっちゃう系のやつだからさ。なので、スリル満点な人生であった。
 家族は相当甘やかしてくれたけど、結局その優しさがわずらわしくて、逃げた。
 いつ死ぬかもしれないっていう感覚は、べつに健康な人だってあるものだろう。よくいうよね、「明日死ぬかもしれないと思って全力で生きろ」みたいな。クソくだらない。そんなふうな使命感を持って生きるとか。べつにぼくは歴史に名を残すタイプでもないしね。むりやりがむしゃらになんでもやるんじゃなくて、いつだって死んでも大丈夫なようにして、できるだけ機嫌良く生きる、っていうのが自分のスタイルになった。
 ただ、裕太のことだけは心配している。
 自慢じゃないいけどぼくは悠太に死ぬほど好かれている。つまりぼくが死んじゃったら裕太が後追いするんじゃねえかな、と心配になるほどだ。
 バーでだらしなく飲んでいるとき、ドアが開いて、裕太が入ってきて、目が合って、ああ、この人だな、としっかりとわかった。困るなあ、できるだけ大事なものを持っておきたくないと思っていたのに。でもまあ運命なら仕方がない、と初めて会ったとき思ったものです。キモいね、オジさんの過去語り。
 エイジくん、お願いがあります。きみが好きなアメフトイケメン、たしかにかわいいし、なんならぼくももうちょっと若かったら内緒で口説くところなんだけれど(もちろんエイジくんもだよ)、初恋の相手と結ばれるのは素敵なことだし、そのまま幸せに過ごせるものばらそれが一番いいのですけど!
 もしきみらが別れることになったら(ごめんね)、裕太のそばにいてあげてほしい。
 あいつのいいところをたくさんあげてプレゼンしたいところだけれど、ぼくの気にいっているところと、君が気に入るところは違うかもしれないし、被っていたとしたら、ここに書くことできみの発見を阻むことになるのでやめておきます。
 自分が選んだことと、自分が発見したことだけが、自分のものなんだ。
 戦争はいけない、のは当たり前だけれど、その当たり前を、きちんと自分が納得しないと、それはきみの言葉を思考を薄っぺらくしてしまう。
 薄っぺらい人間にはならないでほしい。
 ぼくみたいにはなったらいけません。
 とにかく、塚原裕太はおすすめの逸材です。これも先に言うのは期待させちゃって、後々がっかりするかもしれないけど、
 あいつ、わりとエッチだよ。
 アメフトと末長く続くのを祈っていますが、もしものときもふまえて、頭の片隅に入れておいてください。
 かわいいままでいてね。
しゅういちろう
XOXO」


「先生」
 ぼくは塚原先生が一人でいるところを見計らって声をかけた。
「なんだ」
 そっけなく言ったけれど、どこか手紙の内容を知りたそうだった。
「手紙、読みました」
「うん」
「本当なんですか」
「ああ、あいつの地元、岡山だったんだけど、両親が来てたよ。高校を卒業してから、急にいなくなって、ずっと探していたんだって」
 なんとなく、吐露したいけれど、言うべきではない、と葛藤しているように見えた。なので、しばらく黙って、歩いた。
「秀一郎さんは、先生のことめちゃくちゃ好きだって」
 ぼくは言った。
「俺のとこには、老後の面倒見れなくてごめん。お前は厄介なタイプだから、早いうちに相手探せってさ」
 そしてしばらく言うべきか迷うような顔をして観念したのか「あれがつかいものにならないうちに、できるだけ若いやつをつかまえとけって。ばかだよ。くだらなさすぎて、秀一郎の親には見せられなかった」
 塚原先生は言った。
 職員室の前までぼくらは並んで歩いて、
「お前、俺のいないあいだになにか問題でもあったんじゃないか」
 塚原先生が訊ねた。
「なにもないですよ」
 ぼくは言った。
「本当か。もしなにかあったら」
「なにもないです。強いて言うなら、彼氏ができたくらい」
 ぼくが言うと、塚原先生は、一瞬顔を顰め、そして、
「よかったな」
 と言った。
 
 ぼくは豊の部屋に久しぶりに入った。思わず見回してしまう。昔からあるシャケを咥えた熊の置物とか、マーベルのポスターとかもしかしてクリス・プラットが好みなのかもしれない。思わず自分の平たい胸を触ってしまった)、そして隅に乱雑に置かれている筋トレのギアなど、いちいち見つけては興味深く眺めたり持ち上げてみたりした。
「なにやってんの?」
 襖をあけて豊が入ってきた。
「いや、ものが増えたなあって思って」
「まあ、あんまり捨てたりもしないしなあ」
 持っていたペットボトルのお茶を豊が渡した。
「ありがと」
 豊がぼくの隣に座った。ちょっと位置をずらすと、
「なんで離れるの?」 
 と言った。
「いや、距離が近いかなって」
 そういうぼくを無視して、豊がぴったりとくっつき、胸とか腿とかに触れた。
「やっぱ、あれかな、こういうのって」
 ぼくは言った。「エッチするやつだよね」
 豊かは黙ってぼくを見た。あ、ここはもしかして、やっぱり、心の準備ができていないけれど、まあ、そりゃ、そうですよね。
「いや?」
「いやじゃ、ないです」
「なぜ敬語」
「いや、やっぱりねえ、久しぶりなんで、こんなふうな感じ」
 小さい頃に、こっそり一緒に抱き合って寝たり、お互いの触り合いをしたりしていたのだけれど、さすがにぼくらも身体が成長しているし、まあ、一通り、そういう流れというものはわかっているのだが、でも、緊張してしまうわけで。
「動画見て、勉強しといた」
 豊が真顔で言って、ぼくはちょっと吹きだしてしまった。
「見たんだ」
「まあ、見るだろ」
 そう言って、豊の顔が近づいてきた。
 夕方だった。かわたれどきと呼ぶことを、ぼくは思い出した。
 秀一郎さん、ごめんね。秀一郎さんのお願いは、叶えてあげられませんように、とぼくは願った。