柊人(しゅうと)が一年の女子に呼び出されてんだけど!」
 その柊人と一緒に購買に昼食を買いに行っていた(いさお)が、一人で大量のパンを抱えて戻ってきたかと思うと、弁当を食べ始めていた俺とたっつーにニヤニヤしながらそう報告してきた。
「え、マジで?」
「マジ。あれ、告白だろうなー」
「うわー、柊人のやつ抜け駆けかよ‼」
 たっつーが羨ましさ半分、興味半分といった感じで、そう大声を出すのを聞きながら、俺は弁当箱の中のブロッコリーを箸でつまんで口に入れた。
 彩りのためだけに入れられているのであろう、特に美味しいともまずいとも思わない塩だけがかかったそれを、いつも以上に念入りに咀嚼する。
「可愛かった?」
「可愛い。あのさ、サッカー部のマネに可愛い子が入ったって噂になってたじゃん。あの子」
「げー! サッカー部のマネなのに野球部の柊人のとこに行くのが意味不明」
「どうすっかな、柊人」
「どうかなー俺なら付き合うけどな。夏に彼女いたらなんか青春って感じで絶対楽しいっしょ。しかも来年は受験でそんな遊べないしさ」
 ブロッコリーを食べ終えてしまった俺は、今度はメンチカツに箸を伸ばし、それを頬張る。
「あー、確かに。楽しむなら今だよなー、祭りとか花火とか海とかな」
「うっわ、うらやまし。浴衣とか水着とか水着とか水着とか?」
「それ。柊人から好きな子の話とか聞いたことないし、これマジで付き合っちゃうんじゃねーの? あんな可愛い子断る理由ないもんな」
「だよなーーー!っていうか、なに剛士(つよし)黙ってんだよ。羨ましすぎて言葉も出ないってやつ?」
 俺はメンチカツを口に入れたまま眉間にシワを寄せ、たっつーに向けて、はぁ?という顔をしてみせる。
 そしてゆっくりと飲み込むと「別に興味ないし」とそっけなく答える。
「だいたい祭りとか花火とか海とか、人混みの中にわざわざ行くとか考えるだけでダルい」
「あー、まだ恋愛を知らない剛士くんにはその良さがわっかんねーだろーなー!」
「まあ、親友が抜け駆けすることの嫉妬心も分からんでもないけど、素直に羨ましいって認めたら楽になるぜ?」
 そう上から目線でからかうように言ってくる二人に反論しようとしたところに「何盛り上がってんの?」と明るい声がかかる。
「功、パン持って来てくれてサンキューなー」
 そう言って俺の左隣に腰かけてきた柊人に「それで?」とたっつーが机の上に身を乗り出しながら訊ねる。
「それで?」
 聞き返す柊人に、功が「付き合うことにしたの?」とこちらも身を乗り出して聞く。
「え? さっきの子? いやいや、別に告白されたっていうか、まあなんつーか」
 ちょっと困ったように鼻の頭を指でかいた柊人が「夏祭りに一緒に行ってほしいって言われただけだし」と答える。
「え、じゃあ一緒に行くの?」
「マジか! 浴衣とか見ちゃうやつ?」
「いや、断ったけど」
 あっさりと答えた柊人に、功とたっつーが目を見開く。
「え!」
「なんで!? あの子超可愛いじゃん!! もったいな!!」
「そうか?」
 苦笑いをしながら、焼きそばパンのラップをはがしていた柊人が、ふと俺の方を見て「何か顎についてる」と指を伸ばして小さな茶色の欠片を取ってくれる。
 ふいに触れられて、思わず赤くなるのをごまかすように顎をさすりながら「メンチカツの衣かも」と答え、俺はまた弁当に向かい合う。
 まだ目の前で、別に付き合わなくても夏祭りくらい行けばよかったとか、なんなら俺たちも誘ってグループで出かけても良かっただろとか、高2の夏は一度きりなんだぞとかうるさい二人に「へーへー」と適当な返事をする柊人の声を聞きながら、みんなに気づかれない程度に小さくため息をつく。
 柊人がモテるのは分からないでもない。
 優しくて穏やかで、野球部で活躍してて、背が高くて、顔だって悪くなくて、女子と気軽に喋れるコミュ力の高さもある。
 でも、そんな可愛い子から誘いを受けるほど、とは思っていなかった。
 ちらっと隣でパックの牛乳を飲む柊人を見ると、その視線に気づいたのか「ん?」と優しい目でこちらを見てくる。
「あー、剛士はね、お前が抜け駆けして彼女作るんじゃないかって心配してたみたいよ」
「そんな心配してないし」
 余計なことを言うな、と功に心の中で文句を言いながらもできるだけ表情を変えずにそう答えた俺に、たっつーが追撃してくる。
「まあでも、夏祭りも花火も海も行くのを面倒だって思うような男には、まだ彼女は早いだろうなー」
「なに、剛士はそういうの行きたくないの?」
 柊人に聞かれて「……人混み苦手だから」と答える。
「そっかー」
 本当は柊人となら行ってもいいかな、とちょっとは思うわけだけど、自分たちが付き合っていることはみんなには秘密だし、そんなことをここで口に出せるわけもなく。
「ま、でも、全員彼女無しの夏を送るのかと思えば、自分だけ青春を無駄に消費してるって言う虚しさを感じなくてもいいかもな」
 そのたっつーの言葉を肯定も否定もせず、はははっと笑った柊人の右腕が俺の左腕にかすかに触れて、俺はその熱を感じたまま、弁当の残りを大人しく口に運んだ。



 柊人から告白されたのは四か月前、高1の三学期の終業式の日だった。
 帰り道の途中、忘れ物したというのに付き合って誰もいなくなった教室に一緒に戻った俺に「来年はクラスが離れるかもしれないから、その前に言いたくて」と前置きをしたうえで、柊人は好きだと言った。
 柔らかな光が入る大きな窓から桜が風に揺れるのを眺めていた俺は、静かな教室の中やけに大きく響いたその言葉にゆっくりと振り返り、机に軽く腰かけた柊人を無言のまま見つめた。
 生まれて初めて告白をされ、しかもその相手は同性で、さらにそいつは自分にとっては初めての親友でもあって。
 もちろん、こんなことを冗談で言うようなやつではないことは知っていたから、本気なんだろうというのはすぐに分かって、だからこそ何を言えばいいのかが分からなかった。
「ごめん、困るよな」
 黙ったままの俺に柊人はそう言って笑いかけ「でもさ、剛士、前に人を好きになるってどんな感じなんだろって言ってただろ。だから、俺と恋愛する練習してみようよ」と穏やかな口調で続けた。
「もし、付き合ってみて男とは無理って分かったら、そこでまた友達に戻ればいいし」
 柊人の態度はいつもと変わらず落ち着いていて、俺は小さく口を開き「それなら」と頷いた。
 ここで断って親友を失うのは嫌だ、と思った自分の気持ちはきっと気づかれていただろうけど、それでも俺の答えを聞いた柊人はとても嬉しそうに笑ってくれた。

 その翌日、すでに遊ぶ予定をたてていたこともあり、俺たちは二人で出かけた。
 付き合うと言ったからにはデートということになるんだろうし、もしかしたらチューすることになるのかもしれないと考えて、心の中でひっそりと覚悟を決めてみたりもしたが、出かけているときはもちろんのこと、帰りに柊人の部屋に行ったときもそんな雰囲気になることはなく、むしろ、意識しすぎてぎくしゃくしている自分が恥ずかしくなるくらいだった。
 そうやって、付き合いだしたという実感も持てないまま、俺たちは春休みの間中、二人で、もしくはグループで、柊人の部活がある日もない日もほぼ毎日のように遊びに出かけた。それは友達として過ごしているときとなにも変わりなく、毎回会うたびにちょっと緊張しては何もなかったことにほっとする一方、どこか期待外れのような気持ちにもさせられたりもした。
 しかし、きっと今日も何もないまま終わるだろうと思っていた春休みの最終日、柊人は二人で行った映画館の中でそっと手をつないできた。
 びっくりして一瞬手をひっこめそうになったのをこらえ、そっと握り返してみると、俺の手を包むその大きな手は想像していたより柔らかくて、そして涼しいはずなのに緊張のせいか汗をかいていた。
 自分ばかりいつも緊張しているような気がしていたけど、実は柊人も同じだったのかもしれないと思うと、なぜか少しだけ安心したような気持ちになったのを今でも覚えている。
 その日から、柊人は周りに誰もいないときにときどき手をつないでくるようになり、俺がそれに慣れた頃、冗談っぽく肩を抱いてくるようになり、さらにそれに慣れた頃には後ろから軽く抱きしめてくるようになった。
 少しずつ段階を踏んでくれたおかげか、俺も相変わらず緊張はしつつも拒否感のようなものはまったくなく、でも、だからと言って柊人を恋愛という意味で好きになってきているのかどうかはいまいち自分でも分からないまま、スキンシップを受け入れる日々が続いていた。

 そんな俺の気持ちに明確な変化が起きたのは、忘れもしない、六月の衣替えの日のことだった。
 俺たちはいつものようにお互いの部活終わりに待ち合わせ、遠回りではあるけれどあまり人の通らない海沿いの細い道を駅に向かって歩いていた。
 何を話していたのかは忘れたが、半歩前を歩いていた柊人が俺の言葉を聞いて笑い、何気なく両腕をぐっと空に向けて伸ばした瞬間、俺はその姿から目を離せなくなった。
 それまでも柊人の半袖姿なんて何度も見ていたのに、その日、夕刻にも関わらずまだ明るい光が降り注ぐ中、青空をバックに少しだけずり下がった真っ白な袖とそこからのぞく陽に焼けた腕が見せたコントラストは、驚くほど唐突に俺の感情を揺さぶった。
 野球部で鍛えられた、二の腕から手首までなめらかな曲線を描く筋肉質な腕はとても綺麗で、男として憧れるかっこよさもあって、さらにどうしようもなくそれに触れてみたいという欲までも呼び起こした。
 同時に、この腕の中を自分が独り占めしているという事実を思い、俺は自分の鼓動が速くなるのを感じた。自分以外の誰一人として、柊人がこの腕でどうやって抱きしめるのか、その温かさや大事なものを扱うような力加減やときどき肩に載せてくる顎の重さも含め、知っている人はいないのだということを、信じられないような思いで俺は考えた。
 たぶんそのとき、俺はようやく自分が柊人の恋人という特別な存在であるということを、実感したのだと思う。
 そして、立ち並ぶ民家が途切れた人気のない場所で、振り返った柊人が差しのべてきた手を握り返したとき、この手も、この腕も、俺に向けてくれる優しい笑顔も、ずっと自分だけのものだといいのに、と俺は初めて思った。自分だけが、いつまでも柊人の特別でいられたらいいのにと。
 それが、俺の恋の始まりだった。



 放課後、校門を出て駅に向かおうとした俺は、ちょっと考えて右手にあるグラウンドの前を通る道へと足を向けた。
 野球部はグラウンドの向こう端のほうでキャッチボールをしているところで、同じユニフォームを着た部員の中に柊人の姿を探す。
 俺が所属している文芸部の活動がある月水金は下駄箱で待ち合わせて一緒に帰るし、今日のように部活のない火曜日と木曜日はグラウンドとは反対方向にある駅に向かう。
 なので、柊人が部活をしているところをこれまで見たことはなかったのだが、同じグラウンドを使っているサッカー部のマネージャーの女の子が好きになったのであろう姿を、自分も見たくなってしまった。
 ついでに、功とたっつーが可愛いと言っていたその女の子の顔を見てみたいとも思ってしまったのだ。
 しかし、こう広いと人の顔までそうそう見えないな、と思いながら、朝顔のツタが絡まるフェンス越しに野球部を眺めていると、一人の部員がボールを投げるのが目に留まった。
 顔ははっきり見えないけど、あの身体つきは柊人だと確信し、俺はしばらくその姿を見つめ続けた。
 ただボールを投げているだけなのに、他の部員と全然違ってやけにかっこよく見えるのは、俺が柊人を好きだからなのだろうか、と考える。
 いや、でも可愛いと評判のマネージャーの子の興味を引くくらいなんだから、きっと一般的に見てもかっこいいということなのだろう。
――なのに、なんで俺なんだろうな。
 好きだ、と言われて、そうか、柊人は俺が好きなのかと深く考えずに受け入れていたけど、今さらながらにそんな疑問が湧いてくる。
 そもそもがコミュ障でそこまで面白い話ができるわけでもないし、面倒でひねくれた性格をしている自覚もあるし、見た目だってなんか細くて貧相だし、運動神経も悪いし、勉強はまあできるほうではあるけど、柊人だって理数は俺よりもできるし。
 もし俺が柊人なら、俺なんて好きになんないけどな。それどころか親友にもなろうと思わないかもしれない。
 キャッチボールを終え、次の練習にうつるためか走って移動し始めた柊人を目で追いながらはぁっとため息をついた俺は、そういや例のマネージャーの子ってどの子だろう、とサッカー部の方へ目を向けた。
 そのとき、後ろから「あ、あの」という声がした。しかし自分に対するものだとは思わず、続けてサッカー部の方を眺めていると「あの、矢島先輩」と言われ、ちょっと驚いて振り向く。
 そこにいたのは見たこともない女の子だったが、うちの学校の制服を着て、先輩と呼んでくるということは、きっと後輩なのだろうと思いながら「……はい?」と答える。
「すみません、急に。あの、咲里(さり)から、先輩がここにいるってメールで教えてもらって、あの」
「さり?」
「あ、サッカー部のマネージャーしてる友達が咲里っていうんですけど、えっと」
 しどろもどろな感じでそう話す子から目を離してグラウンドの方に視線を向けると、サッカー部のところにいる一人の女子がこちらのほうを見ていた。
 あの子が「さり」という子なんだろうか、と思ってまた女の子に目を戻す。
「あの、もしよかったら今月末の夏祭り、一緒にいってもらえませんか?」
「えぇ?」
 思い切ったようにその子が口にした言葉に、素で聞き返してしまう。
 なんなんだ。もしや夏祭りに誘うのが一年の女子の間ではやってるんだろうか。
「あの、でも、二人じゃなくても良くて、あの、安田先輩と私の友達と四人でとかどうですか」
「友達?」
「その、さっき言ってた咲里って子なんですけど」
 なるほど、と合点する。その「さり」という子が、今日の昼休みに柊人に声をかけた例のマネージャーの子なのだろう。
 柊人を夏祭りに誘って断られたから、俺を巻き込んでどうにかならないかと考えたのかもしれない。
 友情のためによく知らない、しかもこんなさえない男に話しかける羽目になったその子にちょっと同情する気持ちを覚えつつ、俺は答える。
「……あー、でも柊人は断ったって聞いたけど」
「でも、二人で出かけるのはちょっと、って言われたみたいなんで、それならグループで行くのはどうかなって」
「いやー……、それは俺の一存では答えられないし、あのー、俺も四人でって言われてもちょっと困るっていうか……」
「もしかして、付き合ってる人がいる、とかですか?」
 そう訊ねられて言葉に詰まる。
 これが俺への質問なのか柊人への質問なのか分からないが、どちらにせよ俺たちが付き合ってることは秘密なわけで、でも付き合ってる人がいない、と答えたらじゃあいいじゃないですか、と押されそうな気もする。
 それをうまくかわす自信もなく、この後の会話をどう進めればいいのか分からなくなってしまった俺は「いや……」と小さな声で答え、そのまま無言になってしまった。
「すみません、なんか困らせたみたいで……」
 しばらくそんな俺の様子を見ていた女の子が、そう申し訳なさそうに言ってくる。
「いや、別に困ってるわけではないんだけど」
 と言いつつ、コミュ障の自分にとっては知らない女子と会話するのはそろそろ限界だし、炎天下の中立ってるのも限界だなと思う。
 目の前の女の子も顔が赤いし額にも汗が浮かんでいる。あまり会話を長引かせないほうが良さそうだと、俺はちょっと考えて口を開く。
「とにかく、申し訳ないんだけど俺も勝手に答えるわけにいかないんで。その、一応柊人には聞いてみますけど、でもあんま期待しないでください」
「え、ほんとですか?」
 ぱっと明るくなった表情を見て、少し罪悪感を覚える。柊人に聞いたって行かないって言うだろうし、俺も夏祭りに行く気なんてこれっぽっちもないわけで。
 でもわざわざ誘ってくれた女子に対して、正面切って「行きたくない」と言えるほどの勇気もない自分が情けない。
「じゃあ、あの、連絡先とか」
 そう言って女の子がスマホを差し出してくるのに対し「え」と戸惑うと、それを感じたのかその子も慌ててスマホを引っ込める。
「あ、ごめんなさい、図々しくて。あの、じゃあ、また木曜日のこのくらいの時間にここでお返事聞かせてもらえますか?」
 どちらにしろ正面切って断らなくてはいけないのか、まあそりゃそうだよなと少し絶望したような気持ちになるが、今さら嫌だとも言えず「はい」と俺は答える。
「ありがとうございます!」
 そう元気に頭を下げたその子に「いえ……じゃあ」とこちらも軽く頭を下げ、俺はその場から逃げるように駅方向へと歩き出した。
ーーにしても、なんであの子、俺が木曜日の放課後は暇だってことを知ってたんだろ。
 グラウンドから離れてようやくほっとした俺は、ふと不思議に思った。柊人と仲のいい友達ってことでそんなことまでわざわざ調べたんだろうか。
 そういや、結局「さり」という名のマネージャーの女の子の顔はちゃんと見れなかったなと、首筋を流れる汗を手の甲で拭いながら俺は小さくため息をついた。