長い空の旅を経て、ウィーンへ到着しようとしていた。空から見える景色もすごく綺麗だった。
「あの大きな川がドナウ川?」
「そう。美しき青きドナウのドナウ」
「おぉ~~音楽が聞こえてくる感じがするよ!」
「はるとってどんな曲でも頭の中で音楽流れるのか?」
「どんな曲でもって訳じゃないよ。聞いたことある曲は自然と覚えられて曲名言われるとすーって音楽が流れだすんだ~」
「へぇ、それはけっこうすごい能力だな」
「そうかなー? ドナウ川も近くで見られる?」
「もちろん」
「やった! 楽しみ~」
ヨハン・シュトラウス2世が作曲した〝美しき青きドナウ〟は明るくて、楽しくて踊り出したくなるような曲。
オーケストラ楽曲だけれど、ワルツはジャンル関係なくよく聞いていたので知っていた曲だった。
「オーケストラでピアノ弾くのも楽しそうだよな~」
おれは、窓の外を眺めながらそう呟いた。
オーケストラと一緒に演奏するピアノ協奏曲というものにも少し憧れはあった。
何度かコンサートを見に行ったけれど、舞台の1番手前に大きなグランドピアノが置かれてそこでピアノを弾くピアニストは、〝主役〟という感じがしてかっこよかった。
「……そうだな」
「間もなく着陸いたします」
瑛くんが呟くのとアナウンスが掛かるのがほぼ同時だったのと、おれは窓の外を見ていたものだからその時、瑛くんがどんな表情をしていたか把握出来なかった。
「うお~着陸~~~」
頻繁に飛行機を乗る訳ではなかったから、離陸の時も怖かったけれど、着陸はもっと怖くておれは思わず、瑛くんの手を握りしめていた。
「はると?」
「ごめん、ちょっと怖い」
「ははっはるとにも怖いものがあるんだな」
「そりゃ、あるよ~瑛くんはおれのこと何だと思ってるんだよ~」
「怖いもの知らずな陽キャ」
「そんなことないから~手握ってていい?」
「良いよ」
瑛くんは、そう言って微笑んだ。
その瑛くんの笑顔を見たら、少し安心した。
無事に飛行機は着陸し、ウィーン国際空港へ到着した。
おれは、今ウィーンへ降り立ったのか。
信じられなくて、ドキドキと心臓が高鳴っていた。
たった14時間ほどで日本からウィーンまで飛行機1本で来られるというのは、なんてすごい時代なのだろう……なんて、感慨深い気持ちに陥っていた。
「はると、ぼーっとしてるとはぐれるぞ」
「待って~~」
日本ならまだしも、外国ではぐれてしまったら終わりだ。
空港のロビーに出ると待ち合わせをしている人や、ホテルのスタッフのような人たちで溢れていた。
瑛くんも人を探しているようだった。
「Ei~!!」
しばらくすると陽気なおじさんが瑛くんに向かって笑顔で手を振っている。
瑛くんもその姿を見てほっとしているようだった。
「お久しぶりです、フランツさん」
「久しぶりだね~Ei! そちらが噂のお友達?」
「はい。Harutoです」
「ハーイ、Haruto!」
「ハ、ハーイ!えっと……」
あたふたしながら、おれは拙いドイツ語で自己紹介をした。
通じているか不安だったけれど、フランツさんの表情がにこやかだったから大丈夫だろう。
フランツさんは、瑛くんの家のドライバーさんだそうだ。
お抱えドライバーがいるなんてすごい。さすがは、瑛くんだ。
案内された所でおれ達のことを待っていた車は、何かかっこいい車だった。
車に乗り込んでしばらくしてから、瑛くんがじっとおれのことを見つめてきた。
「はると、さっきから大人しいけど緊張してる?」
「そりゃあねぇ。お抱えドライバーだったり、ドイツ語ペラペアしゃべる瑛くんだったり、高そうな車だったりで情報量多すぎて……でも、楽しいから安心して!」
「それなら良かった」
「今日は、一旦荷物置きにうちに寄ってゆっくりお茶してから夜観光しよう。ウィーンは夜もすごく綺麗だから」
「めっちゃ楽しみ~~」
それからは、一人ぼんやりと車窓を眺めていた。瑛くんはフランツさんとドイツ語で会話をしている。
久しぶりに会ったのなら積る話があるのは当たり前だろう。しばらく、おれは黙っていようと決めた。
ウィーンの街並みはどこもかしこも美しく、まるで絵画の世界のようだった。
この美しい街でたくさんの音楽が生まれているのか、と思うとすごいなぁと純粋に思った。
街中では楽器を演奏している人も多くいた。日本ではあまり見ない光景だ。
ギターとかバンド系の人達は日本でも路上ライブを行ったりしているけれど、金管楽器や弦楽器を外で弾いている人は見かけたことがない。
「はると、そろそろ着くよ」
「お、いよいよ瑛くん家か~なんか、友達の親に会うのって不思議な感じするっ」
「俺もだよ」
おれは友達はたくさんいる方だけれど、両親に会ったり会わせたりするような仲までになった人はいない。
瑛くんが初めてだ。まさか、初めてが外国のお金持ちのお友達の両親になるなんて想像もしていなかったけれど……。
「ありがとう、フランツ。明日もよろしくね」
「あぁ。Harutoも良い旅を」
「ありがとうございます!」
さっきよりかはスムーズにお礼の言葉を述べられた感じがする。
ウィーンに着いてから初めてちゃんと街中の空気を吸った。
瑛くんの家は、ドナウ川の近くにある大きくて、カラフルなマンションだった。
「すげー!! めっちゃカラフル~~」
「有名な建築家が建てたマンションらしい。派手だよな」
「すごいな~おれもこんな家に住んでみたい!」
そんな会話をしながらマンションの中へと足を踏み入れた。
入り口には広々とした綺麗な庭があって、大きくて立派な扉の向こうにはホテルのようなロビーが広がっていた。
「マンションにロビーあるの!? え、カフェまである! すごすぎる……っ!」
「カフェ美味しいから後で行こうか」
「やった!」
それからエレベーターに乗り、最上階で降りた。
最上階の1番端っこが瑛くんの家だった。
これから瑛くんの両親に会うと思うと、何だか急に緊張してきてしまった。
「え、瑛くん。ちょっと待って」
「どうした?」
「深呼吸させて。緊張してきた……」
「そんな緊張しなくて良いのに」
「無理だよ~~」
スーハーと大きく深呼吸をして、おれは心を落ち着かせた。
「よし、大丈夫!」
「じゃあ、ピンポン押すね」
「うん」
おれの返事を聞くと瑛くんは、美しい指でドアホンを押した。
中からはーいという女性の声が聞こえてきた。
「瑛! お帰りなさい。久しぶりね」
ドアを開けて出て来たのは、とても美人でオーラのある人だった。
おれの周りには今までいなかったタイプのお母さんだ。
こんなオーラの人が授業参観に来たらクラスは大騒ぎだろうなと思った。
「ただいま、お母さん。こちら、事前に伝えてたルームメイトで友達の佐野陽都くん」
瑛くんに丁寧に紹介されておれは、あたふたしながら姿勢を正し改めて自己紹介をした。
「佐野陽都です! 瑛くんにはいつもお世話になっています。今回は、本当にありがとうございますっ! 1週間よろしくお願いしますっ」
「こちらこそよろしくね。私は、律子よ。まさか、瑛に帰省に着いて来てくれるお友達が出来ているなんて本当にびっくりしたのよ~さぁ、入って入って」
「お、おじゃまします」
踏み入れた家の中は何だか良い香りがするような気がする。
部屋の中もおしゃれだ。
「お父さんは、お仕事があるからもう少し帰り遅くなるみたい。夕飯は皆で食べたいから先にお茶でもしておいてね」
「うん。はると、部屋案内する」
「ありがとう!」
案内された部屋は、寮の部屋よりも実家のおれの部屋も断然大きくてびっくりした。
この家には後瑛くんと両親の寝室と2つもこの大きさの部屋があるそうだ。
外から見ると普通のアパートに見えるのに、中は思っていた以上に広い。
「もし、疲れてたら少し休んでからカフェ行く?」
「ううん、疲れてない! おれ、じっとしてられないタイプだからどんどん色んな所行きたい!」
「分かった。じゃあ、行こう」
荷物を置いてからおれと瑛くんは家を出た。
さっき通ったばかりのロビーに隣接されているカフェへと入った。
カフェは、縦に長くて赤を基調としたインテリアに、外からの光が眩しいくらいに差し込んでいた。
カウンターでは、おじいさんが新聞を読みながらコーヒーを飲んでいて、4人掛けのテーブル席では家族連れが楽しそうにお茶をしていたり、窓際のソファ席ではカップルがイチャイチャしていた。
高校生だけで入るにはかなりおしゃれなカフェな感じがするけれど、瑛くんは慣れた感じで店員さんに何かを告げている。
「窓際の席良いって」
「やった!」
おれ達は、ふかふかのソファに腰を下ろして早速メニューを見た。
といってもおれには、何が書いてあるのか分からないけれど……。
写真が載っていたのでそれを見ながらどれが良いのか悩んだ。
「どれもおいしそ~瑛くんのおすすめはどれ?」
「うーん、ここのカフェはウィーンのおいしいお菓子が何でもそろってるからどれもおすすめだけど、アプフェルシュトュルーデルが特に好きかな」
「え? なんて言った?」
「アプフェルシュトュルーデル」
「絶対覚えられない~何、アップル? リンゴ?」
「正解。日本でいうアップルパイと似た感じ。甘く煮たリンゴを〝シュトュルーデル〟っていう極薄に伸ばしたパイで巻いて包んで焼き上げた甘さ控えめのアップルパイ」
「へぇ~じゃあ、それにしようかな。飲み物はアイスカフェオレで!」
「そんな簡単に決めて良いのか?」
「良いんだよ。瑛くんの好きな物食べたいから!」
あれ、この会話どこかでしたな……とふと思った。
「あぁ! この前ファミレスでした会話と逆になってる!」
「ははっ、確かに。思えば俺もあの時迷わず決めたもんな」
「そうだよ~本場を知っている人の味覚は正しいからさ! おれ、アップルパイ好きだし!」
オーケーと瑛くんは言って、店員さんを呼びすらすらと頼んでくれた。
「は~ウィーンに来てからまだ少ししか経ってないけど瑛くんがかっこよすぎて、毎回ドキドキしちゃうんだけど!」
「なんだよそれ。俺は、何も特別なことはしてないんだけどな」
「それがかっこいいんだよ~良いなぁ、おれも瑛くんみたいになりたい!」
「1週間いたらきっと帰る頃には、はるともドイツ語ペラペラになってるんじゃないかな」
「えぇ~どうかなぁ」
頭は悪くはない方だけれど、外国語は苦手な部類だ。
英語のテストもいつも全科目で1番悪い。
「お待たせしました、アプフェルシュトュルーデル2つとアイスコーヒー1つとアイスカフェオレ1つです」
「ありがとうございます」
「Vielen Dank(フィーレン ダンク)!」
覚えたてのドイツ語でお礼を告げれば、店員さんは嬉しそうに微笑んでくれた。
それからしばらくして運ばれてきたアプフェルシュトュルーデルとカフェオレはとてもおいしかった。
その日の夜は、瑛くんの両親達とこれまた豪華なレストランで食事をした。
ウィーンにはマックやファミレスみたいに気軽に入れるような店はないのか……と思ってしまうくらい高級店ばかりを訪れていて、これは日本に帰ったら感覚が麻痺してしまいそうだ、と思った。
瑛くんの両親は想像していたよりかは話しやすく気さくな人達だった。
お母さんのオーラもすごかったけれど、お父さんもどっしりとしていて、強そうだなと感じた。
プロの音楽家の知り合いなんていないから、始めは緊張していたけれどすぐに音楽の話題で盛り上がることが出来た。
音楽は良いものだなぁ、と改めて実感した。
家に戻ったのは、夜21時頃。
時差もあるだろうけれど、初めての外国、長い空の旅に気づかぬうちに疲れていたようで眠くなっていた。
「今日は、もう寝ようか」
「うん、さすがに眠い。明日早起きしてたくさん観光したい! おやすみ、瑛くん」
「おやすみ」
瑛くんと分かれて与えられた部屋へと入る。
広々とした綺麗な部屋で、寝転がったベッドはふかふかで贅沢すぎるのに何だかすごく寂しかった。
いつも、同じ空間にいるから隣の部屋にいるというのが変な感じなんだ。
寂しくて、おれはベッドに置いてあったクッションを抱き締めて眠った。
「あの大きな川がドナウ川?」
「そう。美しき青きドナウのドナウ」
「おぉ~~音楽が聞こえてくる感じがするよ!」
「はるとってどんな曲でも頭の中で音楽流れるのか?」
「どんな曲でもって訳じゃないよ。聞いたことある曲は自然と覚えられて曲名言われるとすーって音楽が流れだすんだ~」
「へぇ、それはけっこうすごい能力だな」
「そうかなー? ドナウ川も近くで見られる?」
「もちろん」
「やった! 楽しみ~」
ヨハン・シュトラウス2世が作曲した〝美しき青きドナウ〟は明るくて、楽しくて踊り出したくなるような曲。
オーケストラ楽曲だけれど、ワルツはジャンル関係なくよく聞いていたので知っていた曲だった。
「オーケストラでピアノ弾くのも楽しそうだよな~」
おれは、窓の外を眺めながらそう呟いた。
オーケストラと一緒に演奏するピアノ協奏曲というものにも少し憧れはあった。
何度かコンサートを見に行ったけれど、舞台の1番手前に大きなグランドピアノが置かれてそこでピアノを弾くピアニストは、〝主役〟という感じがしてかっこよかった。
「……そうだな」
「間もなく着陸いたします」
瑛くんが呟くのとアナウンスが掛かるのがほぼ同時だったのと、おれは窓の外を見ていたものだからその時、瑛くんがどんな表情をしていたか把握出来なかった。
「うお~着陸~~~」
頻繁に飛行機を乗る訳ではなかったから、離陸の時も怖かったけれど、着陸はもっと怖くておれは思わず、瑛くんの手を握りしめていた。
「はると?」
「ごめん、ちょっと怖い」
「ははっはるとにも怖いものがあるんだな」
「そりゃ、あるよ~瑛くんはおれのこと何だと思ってるんだよ~」
「怖いもの知らずな陽キャ」
「そんなことないから~手握ってていい?」
「良いよ」
瑛くんは、そう言って微笑んだ。
その瑛くんの笑顔を見たら、少し安心した。
無事に飛行機は着陸し、ウィーン国際空港へ到着した。
おれは、今ウィーンへ降り立ったのか。
信じられなくて、ドキドキと心臓が高鳴っていた。
たった14時間ほどで日本からウィーンまで飛行機1本で来られるというのは、なんてすごい時代なのだろう……なんて、感慨深い気持ちに陥っていた。
「はると、ぼーっとしてるとはぐれるぞ」
「待って~~」
日本ならまだしも、外国ではぐれてしまったら終わりだ。
空港のロビーに出ると待ち合わせをしている人や、ホテルのスタッフのような人たちで溢れていた。
瑛くんも人を探しているようだった。
「Ei~!!」
しばらくすると陽気なおじさんが瑛くんに向かって笑顔で手を振っている。
瑛くんもその姿を見てほっとしているようだった。
「お久しぶりです、フランツさん」
「久しぶりだね~Ei! そちらが噂のお友達?」
「はい。Harutoです」
「ハーイ、Haruto!」
「ハ、ハーイ!えっと……」
あたふたしながら、おれは拙いドイツ語で自己紹介をした。
通じているか不安だったけれど、フランツさんの表情がにこやかだったから大丈夫だろう。
フランツさんは、瑛くんの家のドライバーさんだそうだ。
お抱えドライバーがいるなんてすごい。さすがは、瑛くんだ。
案内された所でおれ達のことを待っていた車は、何かかっこいい車だった。
車に乗り込んでしばらくしてから、瑛くんがじっとおれのことを見つめてきた。
「はると、さっきから大人しいけど緊張してる?」
「そりゃあねぇ。お抱えドライバーだったり、ドイツ語ペラペアしゃべる瑛くんだったり、高そうな車だったりで情報量多すぎて……でも、楽しいから安心して!」
「それなら良かった」
「今日は、一旦荷物置きにうちに寄ってゆっくりお茶してから夜観光しよう。ウィーンは夜もすごく綺麗だから」
「めっちゃ楽しみ~~」
それからは、一人ぼんやりと車窓を眺めていた。瑛くんはフランツさんとドイツ語で会話をしている。
久しぶりに会ったのなら積る話があるのは当たり前だろう。しばらく、おれは黙っていようと決めた。
ウィーンの街並みはどこもかしこも美しく、まるで絵画の世界のようだった。
この美しい街でたくさんの音楽が生まれているのか、と思うとすごいなぁと純粋に思った。
街中では楽器を演奏している人も多くいた。日本ではあまり見ない光景だ。
ギターとかバンド系の人達は日本でも路上ライブを行ったりしているけれど、金管楽器や弦楽器を外で弾いている人は見かけたことがない。
「はると、そろそろ着くよ」
「お、いよいよ瑛くん家か~なんか、友達の親に会うのって不思議な感じするっ」
「俺もだよ」
おれは友達はたくさんいる方だけれど、両親に会ったり会わせたりするような仲までになった人はいない。
瑛くんが初めてだ。まさか、初めてが外国のお金持ちのお友達の両親になるなんて想像もしていなかったけれど……。
「ありがとう、フランツ。明日もよろしくね」
「あぁ。Harutoも良い旅を」
「ありがとうございます!」
さっきよりかはスムーズにお礼の言葉を述べられた感じがする。
ウィーンに着いてから初めてちゃんと街中の空気を吸った。
瑛くんの家は、ドナウ川の近くにある大きくて、カラフルなマンションだった。
「すげー!! めっちゃカラフル~~」
「有名な建築家が建てたマンションらしい。派手だよな」
「すごいな~おれもこんな家に住んでみたい!」
そんな会話をしながらマンションの中へと足を踏み入れた。
入り口には広々とした綺麗な庭があって、大きくて立派な扉の向こうにはホテルのようなロビーが広がっていた。
「マンションにロビーあるの!? え、カフェまである! すごすぎる……っ!」
「カフェ美味しいから後で行こうか」
「やった!」
それからエレベーターに乗り、最上階で降りた。
最上階の1番端っこが瑛くんの家だった。
これから瑛くんの両親に会うと思うと、何だか急に緊張してきてしまった。
「え、瑛くん。ちょっと待って」
「どうした?」
「深呼吸させて。緊張してきた……」
「そんな緊張しなくて良いのに」
「無理だよ~~」
スーハーと大きく深呼吸をして、おれは心を落ち着かせた。
「よし、大丈夫!」
「じゃあ、ピンポン押すね」
「うん」
おれの返事を聞くと瑛くんは、美しい指でドアホンを押した。
中からはーいという女性の声が聞こえてきた。
「瑛! お帰りなさい。久しぶりね」
ドアを開けて出て来たのは、とても美人でオーラのある人だった。
おれの周りには今までいなかったタイプのお母さんだ。
こんなオーラの人が授業参観に来たらクラスは大騒ぎだろうなと思った。
「ただいま、お母さん。こちら、事前に伝えてたルームメイトで友達の佐野陽都くん」
瑛くんに丁寧に紹介されておれは、あたふたしながら姿勢を正し改めて自己紹介をした。
「佐野陽都です! 瑛くんにはいつもお世話になっています。今回は、本当にありがとうございますっ! 1週間よろしくお願いしますっ」
「こちらこそよろしくね。私は、律子よ。まさか、瑛に帰省に着いて来てくれるお友達が出来ているなんて本当にびっくりしたのよ~さぁ、入って入って」
「お、おじゃまします」
踏み入れた家の中は何だか良い香りがするような気がする。
部屋の中もおしゃれだ。
「お父さんは、お仕事があるからもう少し帰り遅くなるみたい。夕飯は皆で食べたいから先にお茶でもしておいてね」
「うん。はると、部屋案内する」
「ありがとう!」
案内された部屋は、寮の部屋よりも実家のおれの部屋も断然大きくてびっくりした。
この家には後瑛くんと両親の寝室と2つもこの大きさの部屋があるそうだ。
外から見ると普通のアパートに見えるのに、中は思っていた以上に広い。
「もし、疲れてたら少し休んでからカフェ行く?」
「ううん、疲れてない! おれ、じっとしてられないタイプだからどんどん色んな所行きたい!」
「分かった。じゃあ、行こう」
荷物を置いてからおれと瑛くんは家を出た。
さっき通ったばかりのロビーに隣接されているカフェへと入った。
カフェは、縦に長くて赤を基調としたインテリアに、外からの光が眩しいくらいに差し込んでいた。
カウンターでは、おじいさんが新聞を読みながらコーヒーを飲んでいて、4人掛けのテーブル席では家族連れが楽しそうにお茶をしていたり、窓際のソファ席ではカップルがイチャイチャしていた。
高校生だけで入るにはかなりおしゃれなカフェな感じがするけれど、瑛くんは慣れた感じで店員さんに何かを告げている。
「窓際の席良いって」
「やった!」
おれ達は、ふかふかのソファに腰を下ろして早速メニューを見た。
といってもおれには、何が書いてあるのか分からないけれど……。
写真が載っていたのでそれを見ながらどれが良いのか悩んだ。
「どれもおいしそ~瑛くんのおすすめはどれ?」
「うーん、ここのカフェはウィーンのおいしいお菓子が何でもそろってるからどれもおすすめだけど、アプフェルシュトュルーデルが特に好きかな」
「え? なんて言った?」
「アプフェルシュトュルーデル」
「絶対覚えられない~何、アップル? リンゴ?」
「正解。日本でいうアップルパイと似た感じ。甘く煮たリンゴを〝シュトュルーデル〟っていう極薄に伸ばしたパイで巻いて包んで焼き上げた甘さ控えめのアップルパイ」
「へぇ~じゃあ、それにしようかな。飲み物はアイスカフェオレで!」
「そんな簡単に決めて良いのか?」
「良いんだよ。瑛くんの好きな物食べたいから!」
あれ、この会話どこかでしたな……とふと思った。
「あぁ! この前ファミレスでした会話と逆になってる!」
「ははっ、確かに。思えば俺もあの時迷わず決めたもんな」
「そうだよ~本場を知っている人の味覚は正しいからさ! おれ、アップルパイ好きだし!」
オーケーと瑛くんは言って、店員さんを呼びすらすらと頼んでくれた。
「は~ウィーンに来てからまだ少ししか経ってないけど瑛くんがかっこよすぎて、毎回ドキドキしちゃうんだけど!」
「なんだよそれ。俺は、何も特別なことはしてないんだけどな」
「それがかっこいいんだよ~良いなぁ、おれも瑛くんみたいになりたい!」
「1週間いたらきっと帰る頃には、はるともドイツ語ペラペラになってるんじゃないかな」
「えぇ~どうかなぁ」
頭は悪くはない方だけれど、外国語は苦手な部類だ。
英語のテストもいつも全科目で1番悪い。
「お待たせしました、アプフェルシュトュルーデル2つとアイスコーヒー1つとアイスカフェオレ1つです」
「ありがとうございます」
「Vielen Dank(フィーレン ダンク)!」
覚えたてのドイツ語でお礼を告げれば、店員さんは嬉しそうに微笑んでくれた。
それからしばらくして運ばれてきたアプフェルシュトュルーデルとカフェオレはとてもおいしかった。
その日の夜は、瑛くんの両親達とこれまた豪華なレストランで食事をした。
ウィーンにはマックやファミレスみたいに気軽に入れるような店はないのか……と思ってしまうくらい高級店ばかりを訪れていて、これは日本に帰ったら感覚が麻痺してしまいそうだ、と思った。
瑛くんの両親は想像していたよりかは話しやすく気さくな人達だった。
お母さんのオーラもすごかったけれど、お父さんもどっしりとしていて、強そうだなと感じた。
プロの音楽家の知り合いなんていないから、始めは緊張していたけれどすぐに音楽の話題で盛り上がることが出来た。
音楽は良いものだなぁ、と改めて実感した。
家に戻ったのは、夜21時頃。
時差もあるだろうけれど、初めての外国、長い空の旅に気づかぬうちに疲れていたようで眠くなっていた。
「今日は、もう寝ようか」
「うん、さすがに眠い。明日早起きしてたくさん観光したい! おやすみ、瑛くん」
「おやすみ」
瑛くんと分かれて与えられた部屋へと入る。
広々とした綺麗な部屋で、寝転がったベッドはふかふかで贅沢すぎるのに何だかすごく寂しかった。
いつも、同じ空間にいるから隣の部屋にいるというのが変な感じなんだ。
寂しくて、おれはベッドに置いてあったクッションを抱き締めて眠った。