おれ達の木曜日の至福な時間は毎週続いた。
瑛くんとは、始めはおれが会話を振って瑛くんがそれに答えるという流れが多かったけれどしばらく経てば自然に話しかけてくれるようになった。
 きっと、人見知りなだけで親しくなればフレンドリーになるのだろう。

 木曜日は、瑛くんのピアノを聞かせてもらったり、おれの指導をしてくれたりした。
正直、先生よりも瑛くんの方が上手だ。

「おれ、毎日瑛くんに習いたいよ~~~」
「先生、微妙なのか?」
「うーん、微妙って訳ではないけど、なんか微妙かも」
「結局微妙なんだな」
「んー言葉で説明してくれなくて、弾いて理解しろっていうタイプ? わかんないよってなるんだよねー」
「なるほどな」

 たぶん、優秀な先生なのだろうけど生徒に寄り添ってくれている気はしない。
まだおれみたいなタイプだったから折れずになんとかやれているけど、例えば蓮みたいな奴ならもうダメになっていたかもしれない。
 怒鳴ったり、圧が強かったりする訳ではないしちゃんと褒めてもくれる。
全てが悪い訳ではないのもまた困るのだ。
 これで、全部が微妙であれば先生を変えてくれと頼むことも出来たのだけれど……。

「まあ、まだ1ヵ月も経ってないしね! もうちょっと頑張ってみるよ」
「そうだな。けど、無理はするなよ。レッスンってさ、ほんとに先生によってモチベーション変わるから。辛い気持ちのままやってても上達はしないし、心身共に良くないからな」
「心配してくれてありがとう、瑛くんっ!」

 瑛くんは、本当に優しい。
こんな優しくて、良い人なのだからモテそうだし友達もいっぱいいそうなのにどうやらおれ程仲良しな友達はクラスにいないらしい。
 仲間外れにされているとかではないと言ってはいたし、瑛くんが良いのなら良いけれど……。
 瑛くんにとって、ピアノが全てなのだろう。
だけど、そこに少しだけおれが入っていけているのが嬉しく思っている。

「じゃあ、今日も俺がレッスンで分からなかった所教えるからどこやったか教えて」
「うん!」

 2人で小さな椅子に座って、鍵盤に指を置く。

「えっと、ここのメロディなんだけど……」

 手と手が触れ合って、どくんと心臓が高鳴った。
瑛くんの温もりが近い。瑛くんの手はおれの手よりも少しだけ暖かい。
 瑛くんは真面目に指導してくれているのに、おれはドキドキなんてしていて良くない。
真面目にやろうと努力すればするほど、瑛くんのことが気になって仕方ない。

「理解した?」
「うん、した! やっぱり瑛くんの教え方上手いな~」
「そりゃどうも」
「後さ、ずっと言いたかったんだけど瑛くんの手ってすっごく綺麗だよね!」
「俺の手が綺麗……?」

 瑛くんは、信じられないというような目で驚いていた。

「うん、綺麗だよ! ピアノを弾く為に産まれてきたような手で良いなーって思っていっつも見てる」

 大きくて、指も長くて、美しい。おれにはないもの。

「……そっか。そんなこと初めて言われたよ」
「えぇ! 瑛くんの手を見たら誰でもそう思うはずなのに!」
「普通は、変って思うんだよ」
 
 少し寂しそうな顔で瑛くんは言った。
きっと、昔に嫌なことを言われたのだろう。聞かなくても分かる。

「それは、変って思う人が変だよ! おれは、瑛くんの手好きだな」

 そう言って、その手のひらに触れた。やっぱり温かくて優しい温もりを感じる。

「……ありがとう」
「どういたしまして! そうだ、確認し忘れてたんだけど来週の瑛くんのコンクール見に行っても良い?」
「良いよ。チケット制だから明日用意して渡すな」
「ありがとうー!! 楽しみ!」
「俺は、緊張してるんだけどな」
「瑛くんも緊張するんだね!」
「するよ。高校生になってから初めてのコンクールだし」

 瑛くんみたいな人は、緊張とかしないのかと思っていた。
だから、ちょっと驚いたけど嬉しかった。
 瑛くんも同じ人間なんだなってことを感じられたから。

 その日は、コンクールの話しをして過ぎて行った。

 それから時は過ぎていきコンクール前日、朝起きると瑛くんはいなかった。
瑛くんは、最初の日からずっと朝は起きたらいなくなっている。朝もレッスンがあるのだから仕方ないけどやっぱり寂しい。
 制服に着替えながら、明日は何着て行けば良いんだろう制服で良いかな、とか考えながらぼんやりとしていると入口付近に何かが落ちているのを見つけた。

「あれ、瑛くん生徒手帳落としてる……」

 なくてめちゃくちゃ困るってものではないと思うけれど、一応届けてあげようと思って手に取った。
目に入ってきたのは、瑛くんのプロフィール覧だった。
 そういえば、誕生日を聞いていなかったなと思ったのだ。
 
「誕生日、4月29日……え!? 明日、誕生日!???」

 思わず大きな声を出してしまった。4月29日は、瑛くんのコンクールの日。
 その日が瑛くんの誕生日なのか。本当ならば遊びに行きたいところだけど、それは絶対に無理だ。
でも、せめて誕生日のお祝いをしたいと思った。
 そう言えば、瑛くんって何か欲しいものとかあるのだろうか。
おれ達がする会話の内容って大体がピアノか音楽のことだったから、互いについてのことってほとんど知らない気がする。

 どうしよう……。瑛くんはたぶん、誕生日プレゼントを渡さなくても気にはしないだろう。
だけど、おれが渡したいんだ。渡したいけど、何も分からない。
 誰かに聞いてみようにも瑛くんの交友関係とか知らないし。そもそも親しい友達いないって言っていたし……。
瑛くんとは恐らく今日は夜まで会えない。ラインも見ないし電話も出られないだろう。
 明日が高校生としての初めてのコンクールなのだから、当たり前だ。

「ランニングしながら考えよ!」

 頭を使う時は走るのが良い。
瑛くんともいつか一緒に朝のランニングが出来たら最高だな~と思ったけれど、その日は来るだろうか。
 コンクールが終わってもきっと、また次のコンクールがあって瑛くんはずっと忙しいのだろう。
ちょっとだけ寂しい。

「瑛くんの好きな物、ほんとにわかんないな」

 寮の部屋には私物は必要最低限の物しか置かれていない。
おれの机の上はごちゃごちゃしているのに、瑛くんはすっきりしているし、バッグとかもシンプル。
 キーホルダーが付いていたりしないし、スマホもカバーは付いていなかった。
 そういうのがあったら、少しは好きな物に繋がりそうだったのだけれど……。

「洋服の色とかもグレーとか黒だしなぁ。スマホも白だったっけ」

 とにかくシンプルで、目立つものがない。

 結局、ランニングが終わっても何も思い浮かばなかった。
学校へ行き、ぼんやりと授業を受けて放課後になってしまった。

「陽都ー今日、カラオケ行かねー?」
「ごめ~ん、行く所あるからまた今度で!」
「りょーかい!」

 カラオケなんて行っている場合ではない。カラオケがある街には繰り出さないといけないけれど。

 ダッシュでバス停まで行った。学校付近にあるバス停から最寄りの駅まで50分ほど。
だけど、その駅にはあまり大きな店はないので隣駅まで電車で出ることになる。
 バスも電車も、入学してからの約1か月ほとんど乗っていないからすごく久しぶりな感じがする。
人が多いなぁと感じた。

「ようやく着いたー」

 昼休みにこの近辺で1番栄えている街はどこか、よく遊び歩いている友達に聞いたらここだと教えてもらったのだ。
確かに、最寄り駅よりもお店が充実しているし同じ年頃の人がたくさんいる。
 時間が許す限り探そうと思い、門限ぎりぎりに間に合う電車とバスの時刻を予め調べて置きデパートを出る時間をアラームで設定しておいた。今日は、入寮してから初めて夕ご飯を逃してしまうけれど仕方ない。
 何か買って帰ろう。

 デパートには色々なお店があった。本屋さん、文房具屋さん、洋服屋さん、食品売り場、インテリアショップ、CDショップ……。
 全てに入って見て見たけれどピンとくるものはなかった。
無難にお菓子とか食べ物の方が良いだろうか。でも、アレルギーあったら困るし嫌いなものだったとしても瑛くんは優しいから食べてしまう気がする。それで、体調崩されたりしても嫌だし。

「飲食物はやめよう」

 それに、せっかくあげるなら手元にずっと残ってくれるものが良い。

「あ、楽器屋さん……」

 最後に辿り着いた所が、大きな楽器屋さんだった。
楽器屋さんには色々な楽器はもちろん、楽譜やCDを含め雑貨も置いてあった。
 目に留まったのは、楽譜を入れておくファイルだった。
ずっと使っているものがあるだろうし、こういうデザイン制がある物は瑛くんは好まないかもしれない。
 だけど、ファイルならばいくらあっても邪魔になる物でもない。
持ち歩きたくなければ弾かなくなった楽譜を入れておくのにも使えるし。まあ、捨ててくれても構わない。

 瑛くんぽい雰囲気のするファイルを1つ手に取っておれは、レジへ向かった。

「ご自宅用でしょうか?」
「プレゼント用って出来ますか?」
「はい、リボンのお色は青とピンクがありますがどちらにいたしましょうか?」
「青でお願いします!」

 瑛くんは、恥ずかしがるかもしれないけれど……。

「ありがとうございました~!」

 ファイルがラッピングされた袋を受け取り店を出て、おれは思わずにやついてしまった。
もしかしたらピンとくる物に出会えないかも、と不安にもなったけれど何とか手に入れることが出来たし早く瑛くんに渡したくて仕方なかった。
 だけど、これを瑛くんに渡すのは明日のコンクールが終わってから。
それまでは、見つからないように隠しておかないと。

 帰りに夕飯を買って帰宅した。

 バスの道が混んでいてほんとに門限ギリギリになってしまいそうで、おれはバスを降りると同時に猛ダッシュした。
今日、おれはどれだけ走っているのだろうか。

「はぁ、はぁ……ただいまー」

 何とか門限ギリギリに寮の玄関に駆け込めた。

「あらぁ、佐野くんがこんな時間まで帰って来ないの珍しいわねぇ」
「ちょっと、隣町まで出かけてて……疲れたーあれ、 お風呂って時間制限ありましたっけ!?」
「大丈夫よ~お風呂は日付超える前まではいつでも入れるわよ」
「よかったー」

 そんな会話をしながらおれは、階段をのろのろと上がり自分の部屋の前へ辿り着いた。
なんだか、ここまですごく長く感じた。階段ってこんなにきつかったっけ。

「ただいま~」

 ドアを開けて中へ入ると、椅子に座っていた瑛くんがすごい勢いでこちらへ振り向きおれの名前を叫んだ。
 
「はるとっ!」
「うおーっびっくりした!」

 こんな大きな瑛くんの声を初めて聞いたかもしれない。

「どうしたの、瑛くん」
「……帰り、遅いから」
「え、心配してくれたの!?」

 そういえば、入寮してから瑛くんよりもおれの方が帰りが遅かったのは初めてだった。

「したよ……ラインもしたのに」
「うそ!?」

 慌ててスマホを手に取ると1時間前に瑛くんからメッセージが届いていた。
ちょうどバスに乗ってすぐに寝ちゃったから気が付かなかったんだ。

「ごめん、せっかく瑛くんから初めてもらったメッセージなのに。瑛くんも、今日忙しいかなって思って連絡入れなかったんだ……」
「俺も勝手にはるとから連絡来るって思っちゃってた。はるとだって、スマホ見ない時くらいあるよな」
「大抵はすぐ気づくんだけどね……歩き回って疲れちゃってさ、バスで爆睡してた」
「そっか。まあ、無事で良かった」

 瑛くんの表情はすごく柔らかくて、瑛くんに心配してもらえたおれは幸せ者だなぁ、と感じた。
瑛くんにとっておれは、いてもいなくても変わらない存在ではなくて帰りが遅ければ心配するくらいの存在にはなれていたことが嬉しい。

「心配してくれてありがとう、瑛くん」
「別に、お礼言われるようなことではないと思うけど……」
「おれが嬉しかったからお礼言ってるの! あ~お腹空いたからおれご飯食べてくるね」
「うん」

 部屋着に着替えてからおれは、寮のフリースペースへお弁当を持って行って温めて食べた。
一人でご飯を食べながら、何だかすごく長い1日だったなと感じた。
 明日は瑛くんの誕生日とコンクールで遠出をするから、早く寝ないと。

ご飯を食べ終えて部屋へ戻れば瑛くんは、既に眠っていた。

「頑張ってね、瑛くん」

 おれが寝て起きたら瑛くんは、もういないと思うから今のうちに応援の言葉を伝えておいた。

 瑛くんなら大丈夫なのだろうけど、友達のコンクールを見に行くというのが初めてだったから緊張してしまった。
明日の準備を済ませてしっかりとプレゼントも入れたのを確認したら、おれも布団に入って眠った。