あっという間に楽しくて色々とあったウィーン旅行は最終日となってしまった。
あの日、瑛くんに答えまでこのことに関する話しは無しで今まで通り過ごそうと言われた。
 本当に何も話さず他愛のない会話ばかりしていた。

 まるで何事もなかったかのように時は過ぎて行った。

「お世話になりました。ご飯とてもおいしかったです!」
「いえいえ、こちらこそ来てくれてありがとうね。またいつでも来てね」
「はい!」
「瑛をよろしく頼みます」

 最後に瑛くんのご両親にしっかりと挨拶をしてカラフルなアパートを出た。

 帰りの車の中で過ぎ去っていくウィーンの景色を見ながら寂しいなぁと感じていた。

「ウィーン良い所だったな~」
「これから長期休暇毎回来る?」
「いやさすがにそれは甘えすぎだし、たまには実家にも顔出しとかないと怒られそうだし」
「そっか。俺ん家は気にしないと思うけどな」
「金持ちめ~~~」

 何だか、瑛くんとの距離もウィーンに来る前と後ではかなり縮まったような気がする。
 このウィーン旅行の最中瑛くんは、とても大切な将来のことまでをも考えて俺とピアノを弾きたいと言ってくれている中、おれはと言えば恋愛脳で本当にどこまで差が開けば気が済むのだろうと思うくらい、自分のちっぽけな脳みそに呆れてしまう。
 だけど、瑛くんのことが好きになってしまったんだ。一人の人として。
まさか瑛くんから、こんな重要な問いを言い渡されるなんて思いもよらなかったから、おれの告白の機会なんて遥か彼方へと飛んでいってしまった。
 
「フランツさん、お世話になりました」
「元気で、Haruto、Ei」

 バイバイとおれ達はフランツさんに手を振って空港に入った。



「あ、瑛! 陽都くん~!!!」
「ノア!?」
「ノアくん!」

 空港の待合スペースに今日来る予定のなかったノアくんがいておれ達は驚いた。

「ノア、今日予定会って来れないって言ってたからびっくりした」
「ごめんごめん~ちょっと、どーしても陽都くんに伝えたいことがあったの忘れててさ! 陽都くん、こっち来て! あ、瑛は来ないでね!」

 おれは、何だろう? と思いながらノアくんに着いて行った。
瑛くんから少し離れた所で、ノアくんは内緒話をするように小さな声で言った。

「陽都くん、瑛のことがLOVEの意味で好きでしょ?」
「えっ何でっ気づいて……!」
「やっぱり~~分かりやすすぎ~~~音大で俺と瑛が仲良さそうにしてたり留学の話ししてたら嫌そうな空気出してたからね~」
「気づかなかった……」

 おれってそんなに分かりやすいのか。

「そんな陽都くんに有益情報! 瑛には恋人いたことないし、今もいないよ! 電話した時に聞いたから間違いなし! あいつ嘘とかつけないし」
「なんで、そこまで……」
「雨の中迷子になってる陽都くんと合流した時の瑛の表情がさ見たことない表情でびっくりしたんだよ。あの一匹狼だった瑛にこんなに心配するくらい大切な友達が出来たのか~って思ったら2人のこと応援したくなっちゃってね!」

 そう言ってノアくんは笑った。

「ありがとう、ノアくん。おれ、日本帰ったらちゃんと想い伝えるよ! そしたら連絡したいから電話番号交換しとかない?」
「良いよ! ちょっと待ってね……」

 ノアくんはそう言うと、メモ帳に電話番号を書いて手渡してくれた。
おれも電話番号を書いて渡した。

「はい。健闘を祈る!」
「ありがとう!」

 おーい、まだかー? と遠くから瑛くんの声が聞こえる。
おれ達はごめんごめんと言いながら瑛くんの元に戻って、改めてノアくんにお礼を伝えて別れた。
  

「ノアと何話してたんだ?」
「瑛くんをよろしくねって話し~」
「何だそれ。みんなして俺を子ども扱いして……」
「みんな、瑛くんのことが心配なんだよ~愛されてる証だよ!」
「そうかなぁ」

 そんな会話をしながらおれ達は手続きをして、後は飛行機に乗るだけとなった。
待っている間も他愛のない会話で時間はあっという間に過ぎて行き、飛行機に乗ってしまったらもうウィーンは遠くなってしまった。

「ウィーンまた来たいな」
「また一緒に来よう」
「うん!」

 今度来る時は、恋人としてピアノのパートナーとして音楽の都に足を踏み入れられたら良いなと願いながら眠りについた。

 

 ウィーンでとても濃い日々を過ごしたから満足感が高いけど実はまだ夏休みは1週間しか過ぎていない。
日本に帰って来てその事実に気づいて何だか得をした気分になった。
 
 寮に戻れば受付のおばちゃんが変わらぬ笑顔で迎えてくれて、あぁ帰って来たなぁと感じた。
ここにだってまだ4か月しか住んでいないのにもうすっかり第2の我が家のような気分。

「おばちゃん、ただいま! お土産整理したら持ってくるね!」
「あらあらありがとねぇ」
「あの、これ両親からです。お世話になっている俺に渡してくれと言われて……」

 おずおずと瑛くんは、おばちゃんに紙袋を手渡した。

「割れ物なので気を付けてください」
「ありがとうねぇ。小畑くん、何だか少し雰囲気が柔らかくなった気がするわねぇ」
「そ、そうですか?」
「うん。良いことがあったのねぇ」

 青春だわねぇ~とにこにこしながらおばちゃんは笑った。

「で、ではこれで……!」

 瑛くんはきっと恥ずかしくなったのだろう。
おれのことを置いて駆け足で2階へ上がってしまった。

「瑛くん、恥ずかしがってるだけですからね。じゃあ、おれも行きます」
「ふふ、わかってるわよ~ゆっくり休んでねぇ」

 おばちゃんに背を向けておれも階段を上がった。
既に瑛くんは部屋に入っているようだ。


「も~瑛くん、そんな恥ずかしがらなくても良いのに~」
「……急に思い出してさ」

  自分のベッドに腰を下ろしながら瑛くんは言った。
 
「思い出したって何を?」
「出会った頃、俺さはるとに高校生活も青春も謳歌するつもりないって言っただろ。なのに、他人から見て俺は青春を謳歌しているように見えてるんだって気づいたら何か居たたまれなくなって……」
「あ~~そんなこと言ってた時もあったねぇ」

 あの頃のちょっとトゲトゲした瑛くんが今では懐かしい。

「こんなつもりではなかった。だけど、現状は悪くないから過去の俺に確信の持てないこと言うなって言ってやりたい」
「まあまあ、良いじゃん。そういう時もあるよ!」
「良いのかな」
「良いんだよ! よし、今日はもう寝る準備しちゃお~おれは明日からまた日課のランニング再開するけど瑛くんはどうする?」
「俺もする」
「やった!」

 それから、約束の木曜日までは特に何も変わりのない毎日が過ぎて行った。
ウィーンでの刺激の強い毎日も良かったけど、ここでの穏やかで何も起きない毎日も悪くない。
 朝のランニングは気持ちが良いし、寮のご飯もおいしい。
日本に帰って来てから瑛くんは、次のコンクールに向けてまた先生の所へレッスンに通い始めていてずっとは一緒にいられなくて寂しいけど、おれも夏休み明けにコンクールに出ることになっていたので、講習を受けに行ったりしていた。
 ウィーンへ行く前に比べたら少しだけ、ピアノに真剣に取り組むようになっていた。
今までが真剣じゃなかったわけではないけれど、明確な夢や希望もなかったけど今はそれが出来たから。
 
 微妙だと思っていた先生のまま結局続けているけれど、最近少しだけ打ち解けてきたような気がするし悪い人ではないということも分かってきた。
 
「佐野くん、最近良い感じだね。ウィーン行ってから調子上がってない?」
「はい! めちゃくちゃ刺激もらったきたんで!」
「そっかそっか。良いね。じゃあ、夏休み明けのコンクールはもっと難しい曲挑戦してみちゃう?」
「したいです! それで今まで1番良い成績取りたいです!!!」

 今までは自分の好みの曲ばかりを弾いていたし、弾けそうな曲を選んでいた。
その方が有利だったから。
 だけど最近は、そうではない曲にも挑戦してみようと思うようになった。
経験値を増やしたいし、何より弾けるようになるのが楽しくて仕方なかったから。

 レッスンを終えて夕方の湖の畔を散歩しながら歩いていると、途中で瑛くんと合流する流れが日常になっていた。

「瑛くん! おつかれ~」
「おつかれ。今日のレッスンどうだった?」
「うまくなってるって言われたよ! 今までさ好きな曲しか弾いてこなかったけど、今回初めてバッハの曲弾くことになった!」
「お、いいじゃん。どの曲?」
「半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV 903ってやつ。タイトル長ってなっちゃったよ~」
「難易度高い曲だ。すごいな」
「うん、先生に挑戦してみるかって言われたからやってみようかなって思ってね。音大生とかが卒業時に弾くようなレベルらしいね~弾けるかな~」
「はるとなら弾けるよ」

 迷いなく、はっきりとそう瑛くんは言った。
その力強い言葉におれの不安はすぐに吹き飛んだ。

「瑛くんに言われたら弾けるような気がしてきた! ありがと! 瑛くんは、コンクールに向けて順調?」
「うん、順調。今はモーリス・ラヴェルの〝夜のガスパール〟を弾き始めたよ。組曲を弾くのは実は今回が初めてなんだ」
「へぇ! すごいね! 組曲って当たり前だけど長いから集中力保つのも大変そう」
「そこはもう慣れだと思う。けど、幻想的で良い曲だから今回もまたコンクール関係者席で見に来て欲しい」
「もちろん!」

 そんな会話をしながらおれ達は寮へと帰った。

 瑛くんは、最近夕飯の最終には間に合うように帰って来ておれと一緒に食事をするようになった。
そんな日常の些細な変化がとても嬉しい。

 明日は約束の木曜日。
夜寝る前に瑛くんは、「明日、16時に公民館のピアノの部屋で」と言った。

「うん、おやすみ」
「おやすみ」

 ベッドへ横になり、布団をかぶったけれどなかなか寝付けない。
 
 心臓がどくん、どくんと高鳴り続けている。
 
答えは決まっている。だけど、おれの方の問いに瑛くんが何て答えるかはまだ分からない。
 今になってやっぱり言わない方が良いのかもとか、言わなくても瑛くんの問いによろしくお願いしますと答えれば、ずっと一緒にいられる未来は確定するんだからそれでいいじゃん、と思ってしまったりしておれはぶんぶんと首を振った。
 それじゃあ、ダメだ。
この気持ちを隠したまま、瑛くんと将来を見据えてずっとピアノだけのパートナーとして共に歩んで行くことなんて出来ない。
 それならば、ちゃんと気持ちを伝えよう。

 大丈夫、きっと上手く行く。

 そう願いながら、眠りについた。