日々は目まぐるしく過ぎ、文化祭に突入した。

 クラスの出し物はお化け屋敷で、俺にも一応役割とやらがあるので、その時間帯は真面目に役割に徹することにする。

 全身黒い服の上に狼の被り物をしてクラスメイトの前に顔を出すと、注目されているのがわかる。

 時藤が代表して話しかけてきた。

「うわあ、よう似合うね。背が高いから迫力がある」
「どうも」

 お前のほうが高いけどな。視界が限られる中で時藤の姿を見上げる。血糊まみれのシーツを被り、青白い顔色に見える化粧を施されていた。

 上から下まで視線を巡らせると、彼はシーツを掲げてお化けのポーズをとってみせる。

「どう、怖い?」
「怖いというか……」

 化粧のせいでいつもより目が強調されて、幼く見えると言ったら嫌がられるだろうか。なぜだかその顔に見覚えがある気がして、よくよく観察する。

「な、なに?」

 やたらと警戒されて距離を開けられる。心なしか青白い頬に赤みが差したように見えて、俺まで動揺してしまった。

「いや……」
「みなさん、そろそろ持ち場についてください!」

 文化祭実行委員に促されて、セットの立ち位置についた。ほどなくして客が入ってくる。

 適当に脅かして回るうちに、交代の時間がきた。被り物を脱いで蒸れた頭を風に当てると、スッと汗が引いていくのが心地いい。

 後任の生徒に狼男扮装セットを渡した後、廊下の窓際で風を感じていると、後ろから肩を叩かれた。

「お疲れ様、月城」
「お前……声もかけずに肩を叩くのはやめろ」
「ああ、ごめん。つい癖で」

 時藤は化粧を落として元の顔に戻っていた。優しげな印象が先立つので目立たないが、やはり美形だなと思う。

「どうしたん、さっきからじろじろ見て」

 まだ化粧が残ってるのかなと、時藤が顔を擦る。

「明日も幽霊役を頼まれてるんだけど……」

 歯切れ悪く時藤が呟く。引き受けたことを後悔しているのだろうか。

 優しげな顔でなんでも「ええよ」と受け入れて、卒なくこなしてしまうところが時藤にはある。

「参ったなあ。なんかあんまり迫力なかったみたいで、女子から綺麗な幽霊だって言われたよ」
「ははっ」

 そっちを気にしてるのか。思わず噴き出すと、時藤はじっと俺の顔に見入った。

「わあ、笑ってる」
「なんだよ、悪いか」
「いや、ええよ。すごくいい。いつもそうしてたら人気者になれるのに」

 真面目にそんなことを言われて調子が狂う。咳払いをして顔を背けた。

「腹が減ったな」
「僕も。なんか食べにいかない?」

 廊下を歩きはじめると、時藤とよく話す女子に声をかけられた。

「あ、いた! 時藤くん、うちと一緒に回ろうや」
「ごめん、月城と約束してたから」

 女子から不満そうな視線を向けられるが、時藤は立ち止まることなく通り過ぎていく。

「……いいのか?」
「うん」

 時藤は嬉しそうに頷くが、なんとなく落ち着かない。あの女子は確実にコイツの彼女の座を狙っていた。

「お前こそ、クラスの人気者だろ。誰かとつきあったりしないのか」
「僕は……好きな人はいるけど、つきあうとかは全然」

 はにかむように微笑む時藤は、ほのかに頬を染めている。俺は驚きながら彼の横顔を見つめた。

 いるのか、好きな人。意外だ、ピアノを上手く弾くことしか興味がないのかと思っていた。

「なんで告白しないんだ」
「たぶん嫌われてるから」
「お前を嫌うやつなんているのか」

 俺の言葉を聞いて、時藤は忙しなく瞬きをした。

「月城は、好きな人いるの」
「俺はいない」
「ふうん」

 奇妙な沈黙が場に満ちると、周囲の喧騒がやけに大きく響く。たこ焼きの呼び込み声に顔を向けると、時藤が明るい声を出した。

「あ、たこ焼き食べる?」
「……そうするか」

 なぜか胸がつかえているように感じて、訝しく思いながらも列に並んだ。

「いろいろ食べたいから、半分こしよ」
「いいけど」
「えっ、本当に!?」
「自分で提案しておいて、なんでそんなに驚いてんだ」

 爪楊枝を二本もらって、ほかほかのたこ焼きを持って学舎を出て中庭のベンチに座った。隣に時藤が腰かけて、蓋を開けたたこ焼きをのぞき込んでくる。

「わ、作った子上手やね、美味しそう」

 ふわりと柔らかな茶葉のような匂いがしたが、たこ焼きの匂いにすぐ掻き消されてしまった。奇妙に跳ねる心臓の動きを誤魔化すように、早口でまくしたてる。

「関西のやつらってたこ焼き作るのやたらと上手いよな」
「そうかも。うちもたこ焼き機あるから時々作るし」
「うわ似合わねえ」

 先に食べていいと言うので、遠慮なくいただいた。たこ焼きの中は熱々だったが、熱いものは得意なのでどんどん食べ進めていく。

「熱いの平気なんだ」
「まあな」
「僕は全然駄目。昔東京でもんじゃ焼き食べたことがあるんやけど、見事に舌を火傷しちゃった」

 この辺が全部ヒリヒリして、と時藤は口の中を指差す。チラリと赤い舌が見えて、すぐに目を逸らした。なぜか見てはいけない物を見てしまった気がする。

 半分食べ終えたたこ焼きの入れ物を差し出すと、時藤はたこ焼きを半分に割って息を吹きかけはじめた。

 子どもっぽくてかっこ悪いと思うのに、目が離せない。それどころか、火傷しないように俺が冷やしてやろうかなんて声をかけたくなる。

 不意に父が猫舌の母のために、温めている途中のぬるいスープを注いでいた記憶が脳裏によぎった。おいおいやめろよ、これじゃまるで……

「うん、美味しい。次なに食べる?」
「あー、ちょっと。トイレ行ってくる」
「わかった、ここで待ってる」

 逃げるように時藤から離れて、トイレの中に駆け込んだ。洗面台に映った俺の顔は見事に赤くなっていたが、絶対に違うと言い聞かせながら個室にこもる。

「違う、違う。誰があんなやつ……」

 そもそもあいつは好きな人がいると言っていたと思い出し、すうっと頭が冷えた。胸元に爪を立てながら服を握り込み、もう一度言い聞かせる。

「違う。気のせいだ」

 何度も自己暗示をかけてから、「腹が痛いから帰る」と時藤にメッセージを送って個室を出る。鏡の中の顔が元通りになっているのを確認して、はしゃいで騒ぐ生徒の中を険しい顔で突っ切った。