『みちこさん、えほんよんで』



それが口癖だった、と美智子さんが笑うほど、幼い頃から私は本が好きだった。

父は忙しく兄ともあまり仲良くない。
そんな私の唯一の楽しみは、お絵描きでも人形あそびでもなく本を読むことだった。

絵本や児童書、図鑑、小説……様々なジャンルに触れるうちに本全般が好きになっていったけれど、特にその中でも小説に一番のめり込んだ。

ページをめくるたびに世界が広がる感覚がして、知らなかった知識、考え方、感情、さまざまな感覚を得た。

物語の中では、どこにだって行けるしなににだってなれる。
例えば、才能あふれる魔法使いや悩める旅人、青春を過ごす女子高生や誰かを助けられる人……現実では勉強しか取り柄のない私も“何者”かになれた。

そんなある時、出会った一冊の本が私を読み手から書き手に変えた。

それは小さな出版社から出た一冊。
そこそこメディアでも取り上げられたけれど大ヒットといわれるほどではなく、映像化などがされたわけでもない。

だけど私はその本が大好きで、最後まで読み終えたあとは満足感以上に寂しさを覚えた。
この続きを読みたい、だけど終わってしまったのなら自分で書こうと思うようになった。

想像を膨らませ、キャラクターたちの動きや心情をペンでノートに綴る。
どこに出すでもなく、誰かに見せるでもない。
『勉強』『将来』と、父からその言葉で抑圧される中、少しの時間をやりくりして物語を書ける瞬間がただただ楽しかった。

私にとって唯一の、ひそやかな趣味。
その趣味を彗に知られたのは、付き合って4ヶ月近くが経ってからだった。



『ごめん、ひなの鞄倒しちゃった……あれ、なにこのノート。小説?』



図書委員の仕事を終え帰ろうとしたとき、彗が私の鞄を倒してしまったことがあった。
その鞄の中から授業で使っているものとは明らかに違うノートがあることに気づき、彗はそれを躊躇なくめくって中を見た。



『か、返して!』



誰かに見せる前提で書いていたわけじゃないから、字も走り書きだし内容だって稚拙だ。
けれどそれをしばらく読んだ彗は、ノートから顔を上げると目をキラキラと輝かせていた。