翌朝、目を覚ました那沙の腕の中に優李はいなかった。一瞬、優李がいなくなってしまったのかと錯覚したが、台所から良い匂いが流れてくることに気が付いた。下に降りてみると優李がもう朝ご飯の支度をしている。那沙の姿を見た優李は小さく悲鳴を上げ、顔を真っ赤にしていた。
「お、おはようございます……」
今にも消え入りそうな声であいさつをしてくる。なにを恥ずかしがっているというのか。
「今日はまたずいぶんと早いな」
「は、はい。なんだか早くに目が覚めてしまって……。あ、あの、那沙の好きなものを作っていますから、き、期待してください」
 昨夜、自分をつけ狙うあやかしと対峙し、消耗しているはずだろうにと那沙は心配になる。
 その表情を読み取ったのだろう、優李は少し恥ずかしそうに答える。
「あの……私、那沙に甘えていてばかりではいけないなと思っていたのです。那沙のお家で生活するのも終わりにしなければと思うとわずかな時間も惜しく感じてしまって眠ってなどいられなくて……」
 そういうことか。那沙は会得して、「ちょっとこちらにこい」と優李を居間に呼ぶ。
「どうしたんですか? 朝食は……」
 居間に連れ出され、ちょこんと座った優李は困惑の色を見せた。
「優李、俺はおまえにいいたいこと、いや、頼みたいことがある」
 那沙はいつになく緊張していた。その緊張が優李にも伝わったのだろう、ひどく怯えたような顔をしている。
「あ、あの……ごめんなさい、私自分でも気が付かないうちに何か粗相をしていたかもしれません。那沙が怒るようなことをしてしまったのかも……。あぁ、やっぱり昨夜勝手に家を出て心配をかけてしまったから……!」
焦って目を白黒させる優李を愛おしく思いながら、「そうではない」と那沙は柔らかい声で告げた。
「優李、おまえに俺の妻になってほしい」
「え……えぇ!?」
「おまえのことを、愛しいと思う」
「あ、あの……私……半妖ですけれど……」
「それは知っている。そもそもなぜそんなことを気にする。半妖でもあやかしでも人間でも関係ない。おまえがおまえであるならば、俺はおまえがいいのだ」
「私が、私であるならば……」
 優李は那沙の言葉を反芻し、泣きそうな顔になるので那沙は慌てた。嫌だったかもしれない。今しがた優李はこの家を出ていくといっていたではないか、それなのに求婚などされては困るだろう。そもそも優李が自分に好意を抱いているとも限らないのに、ずいぶんと出過ぎた真似をしてしまった。
「今すぐにとはいわない。いや、今すぐに越したことはないが――おまえの心の準備ができたら……いや、そもそもおまえは俺のことを好いているだろうか?」
 焦る那沙に優李は笑みをこぼした。
「それは愚問です。私、あなたのことが好きです。愛しています、那沙」
「――っ」
「私、ずっと自分に嘘をついていました。那沙のことがたまらなく好きなのに、自分が傷つきたくないばかりに、憧れているだけだと嘘を──那沙、私を、あなたの妻にしていただけますか?」
 那沙は面食らった。優李の言葉のすべてが嬉しく、その存在が愛しくてたまらない。
「そういう問は、反則だ」
 そういうと、そっと優李の体を抱き寄せた。
「俺があやかしでもいいのか? 怖くはないか」
「あやかしだとか、人間だとか、関係ありません。私はそもそも半分あやかしですし、私は那沙がなにものであっても、那沙を愛しています」
「住む場所は西都になるが、それでもいいのか? 人の世に未練はないか?」
「ありません。私、この町が大好きですから。私の居場所はこちらです。もしも人の世が懐かしくなることがあったら那沙のお仕事についていきます」
「それはかまわない」
「よかった。これからはずっと一緒ですね」
 那沙は生まれてはじめて愛という言葉に触れたような気がした。誰かを愛し、愛されることは、こんなにも幸せなのかと。
「そうだな、人の世には一緒に行こう。おまえの両親の墓参りもしたい。優李を産み育ててくれたことを、感謝したい」
「父も母も喜びます! 私も、可能なら那沙のご両親にお会いしたいのですが──」
「俺の両親もすでに亡い。今度墓参りに行こう」
「はい」
 那沙は、心の中に温かなものが満ちていくのを感じた。これが、満たされるということか。
「優李、俺はおまえを愛している。愛しくてたまらない。この先、何があっても、おまえのことは俺が守る」
 過ちは繰り返さない。二度と優李を危ない目には遭わせたりしない。
「それなら、あなたのことは私が守ります。あなたにこの上ないことほぎを贈りたい」
「それならば、俺はおまえに永遠の夢を贈ろう。未来永劫、覚めることのない幸せな夢を――」
 互いの唇が重なり合う。すれ違っていた思いが、今、ようやく重なる。