いつもより早く目を覚ました優李は心地よい気分だった。いつもよりも早く眠りに就いた分、頭がスッキリとしている気がする。体が軽い。
 幸せな夢を見たような気がした。那沙とずっと一緒に暮らせる夢だった気がするがよく思い出せない。それは、優李が心から望んでいることである。
「なんて、何を考えているの私……」
 かぁっと顔が赤くなる。優李は雑念を払うために頭をぶんぶんと振った。
「私が夢の内容をよく覚えていないってことは、那沙が採取したのかしら。寝顔を見られるのはちょっと恥ずかしいかも……昨日は那沙におやすみなさいもいわずに眠ってしまったし……」
 失礼なことをしてしまったと、那沙の顔を見るのが辛くて早々に眠ってしまったことを反省する。大きく伸びをしてから、パンっと頬を叩いた。
「よし、元気を出そう。今日も一日頑張ろう!」
 にっと口角を上げて笑顔の練習をしてから下の階に降りると、朝食の用意を始める。三か月も一緒に住むと、食の好みもわかってくる。
 那沙は、肉が苦手で主食は魚派。確かアジの開きがあったはず。あとは大根とお豆腐でお味噌汁を作ろう。ご飯も炊かなくちゃ。
 優李は那沙から習い、火の精霊を扱えるようになっていた。筋がいいと褒められて気恥ずかしかった。人の世ではではどんなに良い成績を修めても褒められたことなどなかったから。
 那沙の教え方が良いのだと思うと答えたら、「そんなことはない」って少し不機嫌な顔をされたっけ。本当のことなのにあれは、きっと照れ隠しなんだと思う。那沙は褒められるのが苦手なんだ。私みたいに慣れてないのかも。
 那沙の不機嫌そうな表情を思い出して優李は笑った。
「いい匂いがするな」
「あ、おはようございます那沙! 昨日はごめんなさい、何もいわずに眠ってしまって……」
 優李が頭を下げると、那沙は「いや」と首を振る。
「昨夜は少し仕事があったから俺の方も立て込んでいた。先に休んでもらって都合が良かった」
 那沙の屋敷には使用人の類がほとんどいない。朝はふたりきりなことが常だ。
 ふたりで台所に並び朝食の用意をする。食卓の上に、温かな湯気の立つ朝食が並んだ。
「今日は六花さんのところへ新しい香をもらいに行くつもりです」
 優李にいわれて那沙は「そうだった」と外出の予定を思い出したようだ。そろそろ優李がつけている香がなくなる。六花の店にもらいにいかなければいけない。
「昼に店を閉めて行く」
「大丈夫ですよ、もう道を覚えましたし、ひとりでも行けますよ」
「駄目だ!」
 那沙の強い口調に、優李は戸惑った。取り乱したことに気がついた様子の那沙は、「すまない」と項垂れる。
「わかりました。お店が終わってからにします」
 失った大切なひとのことを思うと優李を一人にできないのだろう。那沙の胸のうちをそう察した優李はにっこりと微笑む。
 那沙の心には、きっと想うひとがいる。私に危害が及べば那沙はまた心を痛めてしまう。那沙に、悲しい顔をさせたくない。
 那沙の胸の内を察すると心が痛い。
「今日は少し早く閉める、それなら六花にも迷惑がかからないだろう」
「ありがとうございます」
 そうは話していたが、いざ夕方になると、店にはまだまだ夢を買い求める客がいて閉めることが出来ない。那沙も客の相談に時間を取られた。
「すみません」
 優李は断りを入れてから客と話し込む那沙に話しかけた。
「私、これから六花さんのお店に行ってきますね。そろそろ出ないとお店が閉まってしまいます」
 那沙は心配そうな顔をしたが、客がいる手前強く反論することができずにいるようだ。
「大丈夫ですよ、すぐに戻りますから」
 安心させるように笑うと、那沙は不安そうな表情を浮かべながらも黙ってうなずいた。
 店を出た優李は白虎西区の高級住宅街を抜け、暁通りを通る。夕食の買い出しなどでにぎわう通りは見ているだけで楽しい。
「よう奥様、今日は那沙の旦那は一緒じゃないの?」
 いつも買い物に来る魚屋さんが声をかける。この魚屋、何度訂正しても優李のことを「奥様」と呼ぶので恥ずかしい。那沙が嫌がってはいないだろうかと心配になる。
「今日はまだお店を閉められていなくて、一人なんです。また今度買いに来ますね!」
「新鮮なのを用意しとくよ!」
 暁通り、中央政府、御所の前。店の店員や道行く知り合いに声をかけられるたびに、優李は愛想よく挨拶をする。
「あら、今日はひとりなのね。過保護な那沙様はどうしたの? もしかして、捨てられた?」
 いつかの妖艶な女の獏が声をかけてきた。優李は眉をひそめる。
「こんばんは蓮華さん、那沙はまだ仕事です」
「まぁ、そんな怖い顔をしないでちょうだい。冗談よ。あの過保護な那沙様があなたみないな危なっかしい半妖を放っておけないものね」
 蓮華は大袈裟なため息を吐いて見せた。
「あぁ、半妖の分際で私の那沙様にちょっかいを出さないでほしいわ」
「那沙はあなたのものではありません」
「なぁに、自分のものだとでもいいたそうね、人間でもあやかしでもない半端な生きもののくせに」
「私は半端じゃありません。私は私です。それに、那沙は誰のものでもありません。那沙は那沙です。急いでいるので、失礼します」
「ねぇ、あなたも早く人の世に帰ってちょうだい、いつまでもそばにいられたんじゃぁ那沙様の迷惑よ」
「それはあなたにいわれることではありません」
 優李は駆けだした。迷惑をかけていることなど百も承知である。早く、独り立ちしなければ。
「そんなこと、いわれなくてもわかっています」
 優李はぐっと奥歯を噛んだ。鼻の奥がツンとする。気を抜けば泣いてしまいそうだった。