優李が寝付いた後、那沙は獣医のもとを訪れ夢の中に入り込んだ。明け方目を覚ました優李の嬉しそうな顔を思い出す。「おかえりなさい」とほほ笑む優李を愛おしく思う気持ちに名前を付けられずにいた。
 帰りを待つものがいるというのはくすぐったいが悪い気はしない。
 夢の中を探していた那沙は金色に淡く光る送り犬を見つけた。今夜の送り犬からは、昨夜のような刺々しさは伝わってこない。
『待て』
 那沙が話しかける前に送り犬はそういった。
『取引をしよう。俺は主人の笑顔が見たい。だが、どうしたらいいのかわからない。おまえが俺の願いを手助けするというのなら、俺もおまえの夢の採取に協力する』
『そうか、ではその願いを叶えてやろう。おまえに、夢をやろうと思って持ってきた』
 那沙は懐から、一粒の雛色の飴を取り出した。柔らかな光を放つ夢玉である。
『これは、幸福が込められた夢玉だ、おまえの持つ幸せな記憶を呼び起しれくれるだろう。きっとおまえの役に立つ、俺は明日の夜に再び来る。その時、獣医の夢を仕入れるつもりだ、今夜は良い夢を見ろ』
 そういい残して、那沙は帰って行った。送り犬はその雛色の飴を取り出す。透明な飴の中には、きらきらとした金色の砂のようなものが浮いていた。
 ころんと一粒、口に含むと、送り犬は主人の夢の中で眠りに就いた。
 突然、夢の中に眩しい光が差し込む。送り犬がその光に顔を歪めて目を開けると、見慣れた景色が広がっていた。
「あぁ、リク、目が覚めたのかい? ちょうど午前の診察が終わったところなんだ、今から散歩に行こうか」
 優しい主人の顔が見つめてくる。送り犬――いや、リクは尻尾を振ると、主人について散歩を始めた。
 大好きな公園、お気に入りの花屋、ちょっと気になる子犬がいる家の前……いつもの散歩道を心行くまで歩いて帰ると、奥さんがおやつを用意して待っていてくれる。
「おかえりなさい」
 優しい奥さんの笑顔。幸せな毎日が続いていくと信じていたころの夢。幸せだった、ご主人と奥さんと、ずっと一緒に暮らしていきたかった……
 ぽろぽろと、リクの目から涙が零れ落ちる。涙は夢の中に広がって、夢を空色に染め上げていく。雨雲のような黒い靄が溶けて消えていく。
 まぶしい光を受け獣医は爽やかな朝を迎えた。いつになく清々しい顔をしている。送り犬はその光景を主人の中から見ていた。主人の笑う顔に、送り犬の心にもだんだんと明るい色が灯る――もう、主人に対する未練などはない。
『もう、俺にはこれで十分だ』
 送り犬は獣医の中から出ていく決意をした。