昨夜は慌てた。夢の中に突然現れた金色の砂がはらはらと送り犬の上に降り注いできたのだ。途端に送り犬に主人たちの後悔の念が痛いほどに伝わってきた。寄り添う心の熱が、心の中に出来てしまった怨みの棘を、溶かしていったのだ。
 失礼な獏に対する敵意もすっかり溶かされてしまった。あれはいったい何だったのか。送り犬は考えたが少しも思い当たらない。代わりに生前の後悔が湧いてきた。
『そもそも罠にかかったのは俺のせいだ……』
 送り犬は生前、とても元気な子犬だった。主人たちに可愛がられ、やんちゃなまま、のびのびと生活していた。ほんのちょっと好奇心が強かったのだ、いや、子犬というものは総じて好奇心の塊のようなものだろう。
 あの日、主人が庭に繋いでいたはずのリードが、何かの拍子に外れたのだろう。送り犬は好奇心の赴くまま、一人で外に飛び出した。坂の町を走り抜け、竜王山に迷い込んだ子犬は、目を輝かせた。初めて見る世界。
 広い山を駆け回り、飛び交う蝶を追いかけ、小鳥にじゃれ付いた。そうして山で遊ぶうちに、飛び込んだ草むらで足に激痛が走った。猟師の仕掛けた罠にかかったのだ。 子犬はもがき、もがき、命の限り逃げようとして先に命の方が燃え尽き、痛みの分だけ、寂しさの分だけ未練が募った。そのまま、死ぬはずだったんだ。消えかけた俺に、あいつ(・・・)が話しかけてきた。以前ご主人が助けた黒猫だ。なんと話したのかは覚えていない。次に目が覚めたとき俺はあやかしとなってご主人に憑りついていた。
 ご主人たちが俺の死を悼んでくれていたのをわかっていたのに。どうしてこうやって逆恨みをすることになったのか……。
『ひとりで家の外に行ってはいけないってさんざんいわれていたのに……こうなったのは、約束を破った俺のせいだ』
 送り犬の目から、ぽろぽろと涙がこぼれて、主人の心の中に降り注いだ。涙は鈍色の悲しみを溶かし空色の美しい色に染めていく。
『今夜も主人が寝付けば、夢の中に獏は来るだろう』
 送り犬はそう思った。ならば、夢ごと自分を主人から引き離してくれるはずだ。怨みを溶かし切った今、もう、主人に憑りつく必要もない。だが、離れるとなると寂しさが募ってしまう。離れがたいと思ってしまう。
 次に獏が来れば、無条件に自分を主人から引き離していくのだろう。獏にはそれができる。ならば――
『獏のやつに夢ごと奪われる前に俺が主人の心を救ってやりたい』
 だが、肝心の方法がわからなかった。あやかしとなってから、送り犬の心はずっと淀んでいた。あんなに大好きだった主人のことさえ恨んでいたのだ。今更、どうしたら良いのか思い悩んだ。
 自分が出ていくことが一番なのだとわかっている。でも――最期にもう一度、主人の笑顔を見てから消えたかった。