「ほら、遅れるぞ。乗れ乗れ。」
「待って待って。ほい、乗った!しゅっぱーつ!」
「ったく、もーちょい早起きしろよな〜。」
高校までは自転車で20分。
イツキの自転車は少し前にパンクして、以来、イツキは俺の後ろに乗っている。
「早く直せよ。」
「自転車屋行くのめんどいんだもん。」
「だもんじゃねーの。」
なんて言いつつ、背中に感じる体温を嬉しく感じている俺も大概。
「コウ、今日部活ない日だよな?」
「帰りも乗るつもりかよ。」
「さすがコウちゃん話が早い。」
「俺はお前の専属ドライバーじゃねぇぞ。」
「いいじゃ〜ん。ジュース奢るから。な?」
「……アイスがいい。」
「っしゃ帰りコンビニ寄ろ。パピコ半分こしよーぜ。」
「せっこ。」
「いいじゃん、結局あれが最強なんだから。」
「それは同意。」
「「先っちょのとこが1番うまい説。」」
2人でゲラゲラ笑い合う。
「イツキ、アレ俺の分まで欲しがってたよな〜。」
「むしろあそこが本体だから。」
「いっかいうちの母さんが間違って捨てちゃってイツキ大泣きしてさ。ははっ」
「あれはトラウマ。」
「あっはっは、、……ん〜じゃぁ帰り乗せてやる対価はパピコのあの部分だな。」
「ええっ。それだけはご勘弁を……!」
「ちょっ揺れんな揺れんな。」
後ろから聞こえる鈴みたいな声が、心地よくて、可愛くて。
パンクなんてずっと直さなくていーよ。
って、
絶対
言わないけどさ。


放課後。
担任に呼び出され職員室に出向いたら、思ったよりも時間を取られてしまった。呼び出しておいてほとんどが雑談なのだから軽く腹立たしい。
駆け足で駐輪場へ向かう。イツキが待っているはずだ。
駐輪場の錆びた柱の陰に形の良い後頭部とかわいい撫で肩が見える。
イツキ……っ、
と、声を掛けるのを既のところで思いとどまった。
1年生だろうか。知らない顔。小柄な女子。何か言って笑う度、明るい茶色の髪がサラサラと揺れる。
向かい合った2人は夕陽に照らされていかにも青春の一ページといったような風景。
少し離れたところから眺めていると、2人はスマホを取り出した。連絡先でも交換しているのだろう。
別れ際、女の子はうんと可愛らしく手を振って、スキップでもするみたいに駆けていった。
イツキは手を振り返し、女の子の姿が見えなくなるとスマホに目を落として操作する。
ヴヴヴと、鞄の中で俺のスマホが震えた。
『まだー?』
変な犬が『待ちくたびれたワン』と目をうるうるさせているスタンプとともにイツキからメッセージが送られてきた。
なんだよ、今まで楽しそうに話してたじゃねぇか。
不機嫌な溜息をスマホと一緒に鞄に放り込んで声を掛ける。
「イツキ。」
俺の声にパッと顔を上げるイツキは、いつだって泣きたくなるくらい可愛い。
「おせ〜よ〜。」
「すまんすまん。……さっきの、誰?」
「あ、見てた?」
「また告白?」
「そんなんじゃねーよ。」
「可愛い子だったな。」
「コウ、あぁいう子が好みなんだ?」
「いや、一般論として。」
「ふーん。」
「なんだよ。」
「べっつにぃ。さ、帰ろ帰ろ。なぁ俺腹減っちゃった。アイスやめてたこ焼きにしね?」
「いいな。そういや俺タダ券あるわ。」
「まじか。んじゃ決定!」
イツキが勢いよく後ろに脚をかけたので自転車がグラグラと揺れる。
「あっぶねっ」

「コラ!!そこの二人乗り!降りなさい!」
どこから見ていたのか、野太い声が響いた。
「やべっっコウ!永島だ!」
生活指導の永島先生は捕まると説教がめちゃくちゃ長い。
「逃げろ逃げろっっ」
キャッキャとはしゃぐイツキが愛おしい。

たこ焼き屋でタダ券と6個入りのたこ焼きを換えてもらって、近くの公園の緑色の手すりに2人して腰掛けた。
たこ焼きを食べている間にもイツキのスマホがぽこぽこ鳴る。
「すげー鳴ってるけど。」
「ん?おー。」
「返さなくていいの?」
「あー……うん。」
イツキはバッグからスマホを取り出して、画面をすいすいと弄るとすぐにまたバッグへ仕舞い込み、たこ焼きを口へ放り込んだ。
「さっきの子?」
「ほぉ。ひひはふ?」
「飲み込んでから喋れよ。」
イツキははふはふ言いながらたこ焼きを飲み込む。
「そーだよ。気になる?やっぱタイプ?」
タイプだから気になるとかじゃねぇよ。
「なるほど。コウはあぁいう子がいいのか。」
全くの検討違いだ。バカイツキ。
「ほへひひほへはひぃほひ……っんぐっっ」
「ばっか、だからちゃんと食べ終わってから話せっていつも……っほら、イツキ、水。」
ペットボトルを渡してやると、イツキは喉をごくごく鳴らして水を飲み干した。
「っはぁ、あっちー……舌やけどした。見て?赤くね?」
ベ、と出した舌は確かに痛々しく、そして生々しく赤い。
頬を高揚させ潤んだ瞳は……俺には少々刺激が強い。
「……、つかイツキ、さっきなんて言った?」
「んー?…忘れちった。」
そう言って、イツキはにゃははとやっぱりいたずらな猫みたいに笑うのだった。


「イツキくん、相変わらずモテモテなんだねぇ。」
委員会のアンケートを集計しながらチサが笑う。
今期も同じ委員なのだ。これは本当にたまたま。ジャンケンで負けたもの同士。
「ちょっとおバカだけど、カッコいいし、優しいし、他の男子みたいに変なこと言わないし、ちょっとおバカだけど、あれはモテるよね。」
「バカ2回あったぞ。」
「そこが可愛いんでしょ?」
はい。
その通り。
「まぁ、私の彼には敵わないけどね〜。」
今、チサには大学生の恋人がいる。もう付き合って半年にはなるだろうか。恋人の話をするときのチサはとても幸せそうだ。
今日みたいに委員会等で2人きりになると、自分の惚気話8:イツキの事2くらいの割合で俺の話を聞いてくれる。
駐輪場のあの子。目が合うたびにはにかんで、夕陽に照らされた髪が風にサラサラ揺れて。いい子そうだったじゃん。あぁいうの、お似合いって言うんだろうな。
イツキが幸せならいーや、とか、でもいい加減な気持ちのやつにイツキを取られるのは嫌だ、とか。ずっと考えている。
取られるって、そもそも俺のじゃねぇけど。
だけど……いやなもんはいやだ。


「おかえりー。」
「ただいま。」
イツキは当たり前の様に俺のベッドに寝転がって、足をパタパタさせながらスマホでゲームをしている。
なんで俺の部屋で、みたいな疑問がひとつめに思い浮かばないくらいには、俺たちは小さな頃からお互いの部屋を行き来していた。
通学リュックを机の脇に置きベッドに腰掛けて、スマホの画面に目をやる。とぼけた顔をしたネコが延々と流れてきて、イツキの華奢な指が画面をせわしなくタップする。
「今日からイベント。」
「あぁ。俺も後でやる。……なぁ、アンケート、イツキ出して無かっただろ。」
「げっ無記名のやつだよな??なんで出してねぇのバレた?」
「字見たら分かるよ。いっつも1番汚いのがイツキのヤツ。あんな目立つのが無かったら気がつくっつーの。」
「無くしちゃったかも。」
「だと思った。予備持ってきたから、書いて。」
「マジか。」
「頼むよ。うちのクラス回収率悪くて先生にチクチク言われちゃったんだ。」
「委員会の顧問誰だっけ。」
「永島。」
「それはそれは。」
と苦笑いして、イツキはもそもそと起き上がりプリントを受け取った。
慣れた手つきで俺の筆箱からシャープペンシルを取り出しクルクル回しながらプリントに目を落とす。
あ、こいつまた俺のスウェット着てる。
「コウ、なんかあった?」
当たり障りの無い回答を書き込みつつ、イツキが言った。
「え?」
「なんか元気ねーから。」
「そんなことないけど。」
「そ?あ、さては永島にそーとー言われたな。あいつ陰湿だからな〜」
その時。
ヴヴ、と、イツキのスマホが震えた。
「……この前の子?」
「この前の…って、ももちゃん?」
ももちゃん。
「知らんけど。」
「コウがそんなに気にするの珍しいな。」
「気にしてるとかじゃねぇよ。」
「いけないんだーコウにはチサちゃんがいるだろー。」
「……イツキはどうなんだよ、彼女いるのに。」
「俺はいーんだよ。」
「良くないだろ。とっかえひっかえいろんな子とさ。たまにはちゃんと1人の子と…」
あ、駄目だ、俺、何言ってんだろ。こんなこと言いたかったわけじゃないのに。
「1人の子と、何?」
「いや、」
「コウはチサちゃんと結構長いもんな。もう1年くらいか。」
「チサとは、」
「俺はコウとは違うんだよ。いいじゃん、俺のこと好きって言ってくれる子といっぱい仲良くしたって。」
「だからそれが」
「ももちゃんのこと相当気に入ってんのな。いーよ。紹介しよっか?」
「違うって、俺だってイツキが、イツキのことちゃんと好きな子となら」
「なら?」
声が、怒ってる。
「イツキ、」
「俺は……っ、俺は自分が好きなやつとじゃないなら、あとは他の誰と付き合ったって同じなんだよ。」
自分が好きなやつ…って、
「イツキ……、誰か好きなやついんの?」
俺の問いかけに不意をつかれたように顔を上げる。その顔は真っ赤だった。
「ば…」
「ば?」
「ばーか!ばーか!コウのばか!はげ!」
プリントを俺に投げつけ、イツキは部屋をばたばたと飛び出していった。
「おいイツキ!」
呆気に取られ、くしゃくしゃになったプリントを呆然と拡げると、でかでかと『ばか』と書き殴られていた。
「なんだよこれ…出せねーじゃん……」


「イツキ、醤油とって。」
「……。」
イツキはあからさまにプイと顔を背ける。
「なに、また喧嘩?」
醤油をこちらへ渡してくれながらイツキの母さんが言った。
「俺は悪くない。」
山盛りのごはんをモリモリ食べながらイツキがキッパリと言う。
「わかんないけどお兄ちゃんが悪いと思う。ごめんねコウちゃん。お詫びに私の唐揚げ一個あげる。」
「いや、いーよ。」
「俺は悪くないっ。」
イツキはそう言うと、ミウの皿からひとつ、俺の皿からもひとつ唐揚げをひょいひょいと摘んで頬張った。
「ちょっとお兄ちゃんっ!」
「ごちそーさまでしたっ!!」
カチャカチャと食器を重ねキッチンへ運び、冷蔵庫から取り出した牛乳をパックのままゴクゴク飲んで、イツキはドスドスと階段を上がっていってしまった。
「なぁにあれ。反抗期かしら。」
親達は顔を見合わせて驚いた。
「コウちゃん、イツキどうしたの?」
「……知らない。」
わかんねぇよ。
なんにも。