4日目。
うぅ、身体のあちこちがバッキバキに痛い。
あぁそうか、俺ソファで寝て……あれ、イツキは……
イツキはキッチンに立っていた。
小さく鼻歌を歌いながら、何かを包丁で刻んだり鍋をかき混ぜたりしている。
この距離からでも手際がいいのがわかる。それに、なんだか楽しそうだ。
電子レンジに向かう時、まるでミュージカルのようにくるりんと回りながら移動したので思わず吹き出してしまった。
「ぷはっ。」
「あ、コウ、起きたんか。おはよ。」
「おはよ。」
テーブルに置いたはずのグラスは無くなっていた。イツキの様子も普段と何も変わらなくて、そうなると昨日のことがぜんぶ夢だったように感じられる。
そうかもしれない。
全部都合の良い夢。
だとしたら、どこから?
イツキの側まで行ってみる。
冷ましているのだろうか。調理台に置かれた白い皿の上にふんわりと焼けたたまごやきが鎮座していた。
「味見する?」
「えっいいの?、、うっま。今日のはイツキんちの味だな。」
「うまいだろー、じゃ、なくて、……俺怒ってんだからな。」
「え、なんで?」
「なんでじゃねーよ。……起こせよ。」
「ん?」
「っから、なんで起こしてくんなかったんだよっ。」
「ふはっ、だってあんまり気持ちよさそーに寝てたからさ。」
「ふつー起こすだろ??」
「それ言ったらふつーあんなタイミングで寝ませんー。」
「くぅ……っ。」
イツキは悔しそうに頬を膨らませる。
かわいい。
よく見れば、グラスは洗われ水切りカゴに並んで立てられていた。やはり夢ではないらしい。
「帰ってきたら、ちゃんと話そ。」
丸い後頭部にできたささやかな寝癖を撫で付ける。
「ん。」
少しだけ俯いた横顔。くるんとなったまつ毛が……なんかもう、ぜんぶかわいい。
「く……部活行きたくねぇな〜〜。」
「ははっ。ほら遅れるぞ。顔洗って来いよ。」
「はぁい。」
昼。
今日も感動を噛み締めながら弁当を食べていると、またサクマが横から顔を出した。彼女がどうのと相変わらずしつこい。
「あのさ、彼女じゃないから。弁当作ってるの。イツキが作ってくれてんの。これ。」
「そーなの?」
「そう。ついでに言うと、彼女とかいない。」
「え、でもチサちゃんは?」
「もう付き合ってない。うんと前に別れてる。ベラベラ話すことでも無いかなって何にも言わなかったけど。向こうにも悪いしはっきりさせとくわ。」
「……。」
ちょっとキツく言いすぎたか……?でも、事実だし。
「と、とにかくそーいうことだから。」
「コウ……!」
隣でしゃがんでいたサクマが急にすっくと立ち上がった。
「ぅわっびっくりした。」
「ごめん!!!」
「は?え?」
頭を深々と下げるサクマに動揺して危うく箸を落としそうになる。
「俺、すげー無神経なこといっぱい言ってたと思う。こういうの、ばかだからとか理由になんねーよな。」
「い、いいよそんな。」
「いやほんとすまん。俺ほかにもこういうことしてるな、きっと。気をつけるわ。」
「う、うん。わかってくれれば。はっきりしなかった俺も悪いし……」
やっぱりこいつ、悪いやつではないんだな、
「だよな?」
「へ?」
「て、ことで。たまごやきひとつくれる?」
「だめっっっつってんだろっ。」
やっぱりサクマはサクマだ。
午後練が始まってすぐ、雨が降り出した。
天気予報じゃ小雨が降るかもなんて言ってたけれど、そんなレベルじゃない。記録的なんちゃらっていう勢いだ。
部活はそこでお終いになった。
帰れる人は帰って良し。雨が落ち着いてから帰るでも良し、と顧問が部員に告げる。
自他共に認める部活バカの俺も、今日ばかりは1秒でも早く帰ってイツキの顔が見たい。
しかしながらさすがに自転車じゃ帰宅は困難で、バスで帰る事にした。バスが動いていると良いけれど。
もちろん傘なんか持っていない。校門からバス停まで全力で走って3分てとこか。うーん、まぁ、いける。
軽く屈伸、ついでにアキレス腱も伸ばし、よーいどんとばかりに駆け出そうとしたその瞬間だった。
「待って。」
「あれ、チサ。」
「ね、まさか傘もささずに走って帰ろうとしてた?」
「バス停までな?」
「もう。コウくんもそーいうとこあるよね。イツキくんのことちょっぴりおばかとか言えないよ。」
「いや、いけるだろ。」
「この雨じゃ無理だよ。ずぶ濡れでバスに乗ったら他の乗客の人だって困るでしょう。」
「そういうチサはどうやって帰るんだよ。」
「私は彼が車で迎えに来てくれるって。学校に横付けはあれだからそこの大通りまで歩いて行くの。コウくんも乗ってく?」
「いや、遠慮しとく。」
それはちょっと。
「細かいこと気にしなくて大丈夫だよ。この非常時にそんなこという人じゃ無いから。」
「あーでも。大丈夫。気持ちだけもらっとく。」
「そしたらせめてバス停まで私の傘入って行ったら?どのみち通り道だし、傘、お父さんのだからおっきいの。」
そう言ってバンッと音を立てて開いた傘は確かにとても大きかった。
迷ったが、「風邪をひかれたら寝覚めが悪い」というチサの言葉、そしてなにより少しでも早く確実にイツキに会いたいという気持ちから、結局お言葉に甘えて傘に入れてもらうことにした。
無骨な黒い傘を便宜上俺が持ち、2人で並んで歩いて行く。
「凄い雨だな。」
「うん、滝みたい。ね、イツキくんとは最近どうなの?」
「……弁当作ってもらった。」
「うっそ、やったじゃん。おいし?」
「めちゃくちゃうまい。」
「この幸せ者〜!」
きゃっきゃとはしゃがれて恥ずかしいけれど実際のところここ数日の俺の心情はこんな感じだ。きゃっきゃして跳ね回っている。
その時、ころころ笑うチサの後ろから、豪雨の中をトラックがスピードを緩めずに走ってくるのが視界に入った。
咄嗟にチサの腕を掴んで引き寄せる。
「きゃっっ。」
トラックは激しく水飛沫を上げて走り去っていった。
「あっぶねぇな。大丈夫だった?」
「うん、ありがとう。」
バス停に着くと同時に、曲がり角の向こうからすぐ目当てのバスが姿を現した。
「あ、ちょうど。よかったね。」
「おう。助かった。さんきゅな。」
「どーいたしまして。じゃぁまた学校でね。」
「うん。彼氏さんによろしく。」
「そっちこそ、がんばれ。」
「おー。」
あと数分でイツキに会える。
なにから話そうか。
なにを伝えようか。
バスの窓ガラスを流星群みたいに流れ落ちる雨粒を眺めながら、祈るように考えた。
うぅ、身体のあちこちがバッキバキに痛い。
あぁそうか、俺ソファで寝て……あれ、イツキは……
イツキはキッチンに立っていた。
小さく鼻歌を歌いながら、何かを包丁で刻んだり鍋をかき混ぜたりしている。
この距離からでも手際がいいのがわかる。それに、なんだか楽しそうだ。
電子レンジに向かう時、まるでミュージカルのようにくるりんと回りながら移動したので思わず吹き出してしまった。
「ぷはっ。」
「あ、コウ、起きたんか。おはよ。」
「おはよ。」
テーブルに置いたはずのグラスは無くなっていた。イツキの様子も普段と何も変わらなくて、そうなると昨日のことがぜんぶ夢だったように感じられる。
そうかもしれない。
全部都合の良い夢。
だとしたら、どこから?
イツキの側まで行ってみる。
冷ましているのだろうか。調理台に置かれた白い皿の上にふんわりと焼けたたまごやきが鎮座していた。
「味見する?」
「えっいいの?、、うっま。今日のはイツキんちの味だな。」
「うまいだろー、じゃ、なくて、……俺怒ってんだからな。」
「え、なんで?」
「なんでじゃねーよ。……起こせよ。」
「ん?」
「っから、なんで起こしてくんなかったんだよっ。」
「ふはっ、だってあんまり気持ちよさそーに寝てたからさ。」
「ふつー起こすだろ??」
「それ言ったらふつーあんなタイミングで寝ませんー。」
「くぅ……っ。」
イツキは悔しそうに頬を膨らませる。
かわいい。
よく見れば、グラスは洗われ水切りカゴに並んで立てられていた。やはり夢ではないらしい。
「帰ってきたら、ちゃんと話そ。」
丸い後頭部にできたささやかな寝癖を撫で付ける。
「ん。」
少しだけ俯いた横顔。くるんとなったまつ毛が……なんかもう、ぜんぶかわいい。
「く……部活行きたくねぇな〜〜。」
「ははっ。ほら遅れるぞ。顔洗って来いよ。」
「はぁい。」
昼。
今日も感動を噛み締めながら弁当を食べていると、またサクマが横から顔を出した。彼女がどうのと相変わらずしつこい。
「あのさ、彼女じゃないから。弁当作ってるの。イツキが作ってくれてんの。これ。」
「そーなの?」
「そう。ついでに言うと、彼女とかいない。」
「え、でもチサちゃんは?」
「もう付き合ってない。うんと前に別れてる。ベラベラ話すことでも無いかなって何にも言わなかったけど。向こうにも悪いしはっきりさせとくわ。」
「……。」
ちょっとキツく言いすぎたか……?でも、事実だし。
「と、とにかくそーいうことだから。」
「コウ……!」
隣でしゃがんでいたサクマが急にすっくと立ち上がった。
「ぅわっびっくりした。」
「ごめん!!!」
「は?え?」
頭を深々と下げるサクマに動揺して危うく箸を落としそうになる。
「俺、すげー無神経なこといっぱい言ってたと思う。こういうの、ばかだからとか理由になんねーよな。」
「い、いいよそんな。」
「いやほんとすまん。俺ほかにもこういうことしてるな、きっと。気をつけるわ。」
「う、うん。わかってくれれば。はっきりしなかった俺も悪いし……」
やっぱりこいつ、悪いやつではないんだな、
「だよな?」
「へ?」
「て、ことで。たまごやきひとつくれる?」
「だめっっっつってんだろっ。」
やっぱりサクマはサクマだ。
午後練が始まってすぐ、雨が降り出した。
天気予報じゃ小雨が降るかもなんて言ってたけれど、そんなレベルじゃない。記録的なんちゃらっていう勢いだ。
部活はそこでお終いになった。
帰れる人は帰って良し。雨が落ち着いてから帰るでも良し、と顧問が部員に告げる。
自他共に認める部活バカの俺も、今日ばかりは1秒でも早く帰ってイツキの顔が見たい。
しかしながらさすがに自転車じゃ帰宅は困難で、バスで帰る事にした。バスが動いていると良いけれど。
もちろん傘なんか持っていない。校門からバス停まで全力で走って3分てとこか。うーん、まぁ、いける。
軽く屈伸、ついでにアキレス腱も伸ばし、よーいどんとばかりに駆け出そうとしたその瞬間だった。
「待って。」
「あれ、チサ。」
「ね、まさか傘もささずに走って帰ろうとしてた?」
「バス停までな?」
「もう。コウくんもそーいうとこあるよね。イツキくんのことちょっぴりおばかとか言えないよ。」
「いや、いけるだろ。」
「この雨じゃ無理だよ。ずぶ濡れでバスに乗ったら他の乗客の人だって困るでしょう。」
「そういうチサはどうやって帰るんだよ。」
「私は彼が車で迎えに来てくれるって。学校に横付けはあれだからそこの大通りまで歩いて行くの。コウくんも乗ってく?」
「いや、遠慮しとく。」
それはちょっと。
「細かいこと気にしなくて大丈夫だよ。この非常時にそんなこという人じゃ無いから。」
「あーでも。大丈夫。気持ちだけもらっとく。」
「そしたらせめてバス停まで私の傘入って行ったら?どのみち通り道だし、傘、お父さんのだからおっきいの。」
そう言ってバンッと音を立てて開いた傘は確かにとても大きかった。
迷ったが、「風邪をひかれたら寝覚めが悪い」というチサの言葉、そしてなにより少しでも早く確実にイツキに会いたいという気持ちから、結局お言葉に甘えて傘に入れてもらうことにした。
無骨な黒い傘を便宜上俺が持ち、2人で並んで歩いて行く。
「凄い雨だな。」
「うん、滝みたい。ね、イツキくんとは最近どうなの?」
「……弁当作ってもらった。」
「うっそ、やったじゃん。おいし?」
「めちゃくちゃうまい。」
「この幸せ者〜!」
きゃっきゃとはしゃがれて恥ずかしいけれど実際のところここ数日の俺の心情はこんな感じだ。きゃっきゃして跳ね回っている。
その時、ころころ笑うチサの後ろから、豪雨の中をトラックがスピードを緩めずに走ってくるのが視界に入った。
咄嗟にチサの腕を掴んで引き寄せる。
「きゃっっ。」
トラックは激しく水飛沫を上げて走り去っていった。
「あっぶねぇな。大丈夫だった?」
「うん、ありがとう。」
バス停に着くと同時に、曲がり角の向こうからすぐ目当てのバスが姿を現した。
「あ、ちょうど。よかったね。」
「おう。助かった。さんきゅな。」
「どーいたしまして。じゃぁまた学校でね。」
「うん。彼氏さんによろしく。」
「そっちこそ、がんばれ。」
「おー。」
あと数分でイツキに会える。
なにから話そうか。
なにを伝えようか。
バスの窓ガラスを流星群みたいに流れ落ちる雨粒を眺めながら、祈るように考えた。