倭生那はミハイルの顔を見つめたが、彼は目を合わさず上着のポケットから何やら取り出した。
 メモ帳のようだった。
 それとボールペンを彼女に渡すと、彼女は何やら記入してミハイルに戻した。
 
「奥さんの携帯番号です」
 差し出されたメモには彼女が買い与えた新しいスマホの番号が記されていた。
 トルコに来てからはこれを使っているらしい。
 すかさずその番号を打ち込んで発信した。
 すると呼び出し音が鳴った。
 しかしすぐに切れた。
 もう一度かけたが、今度は繋がらなかった。
 画面には着信拒否が表示されていた。
 断固として通話を拒否する姿勢のようだ。
 それでもガッカリしなかった。
 少なくとも自分が妻を探していることが伝わったはずだからだ。
 しかしそれで満足するわけにはいかなかった。
「ロシア行きの便をすぐに手配したいので手を貸してください」
 しかし、ミハイルは強く首を振った。
「非友好国の国民は入国を厳しく制限されていますので難しいと思います。それに、商社勤務=スパイと見られかねませんので拘束される危険があります」
 G7と協調して経済制裁を強める日本への風当たりは強く、今は行かない方が賢明だと諭された。
「しかし、」
 言いかけた倭生那をミハイルの右手が遮った。
「行ったところで奥さんに会えるわけではありません。そんなことをするよりも彼女に力を貸していただく方が賢明だと思います」
 アイラに視線を向けたミハイルがなにやら話し始めた。
 彼女は瞬きもせず聞いていたが、少しして彼女が二言(ふたこと)三言(みこと)話して頷いたので、なんらかの合意がなされたような感じだった。
 
「奥さんの説得に協力してくれることになりました」
 トルコに戻ってくるように強く呼びかけてくれるらしい。
 それはありがたい話だったが、彼女の言うことを額面通りに受け取ることはできなかった。
 つるんでいる可能性があるからだ。
 しかし、この場でそれを追求しても本音は明かさないだろう。
 それに、そんなことくらいはミハイルもわかっているはずだ。
 わかった上で依頼したのだと思うと、今は素直に従う方が得策のような気がした。
「よろしくお願いします」
 手を差し出すと、彼女は倭生那の手を握る代わりに頷きを返した。
 ミハイルに顔を向けると、それでいいというように目配(めくば)せされた。