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「どうしたんだい?」
 元気がなさそうに見えたのか、夫が声をかけてきた。
「別に」
 ナターシャは笑みを浮かべたが、それがぎこちないものになっているであろうことは自分でもよくわかっていた。
「そう、それならいいんだけど……」
 ちょっと首を傾げた夫はそれ以上追究してこなかったが、明らかに異変を感じているようで、しばらくじっと見つめられた。
「買い物に行ってくる」
 夫の視線に耐えられなくなったのでエコバッグを取りに台所へ向かった。
 しかし、なおも視線が背中を追っているような気がして、逃げ出すように外に飛び出した。
 
 ふぅ~、
 思わず大きな息が口から漏れた。外は初夏を思わせる陽気だったが、それが他人事のように思えて気分は晴れなかった。

 自分がロシア人であることに嫌気がさしていた。
プーチンと同じ東スラブ系民族の血が流れていると思うと、おぞましい思いに(とら)われた。
できることなら全血交換をしたいほどだった。

 夫には言っていないが、ロシア人に対する誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)が日々激しくなっていることを肌で感じていた。
 特にSNSではウソやデタラメだけでなく差別的な書き込みが目立つようになっていた。
 それに、いつも利用する商店街のお店や毎月行く美容室での対応が変わってきていると感じていた。
 よそよそしいのだ。
 今までは気軽に話せていたが、明らかにそっけないものに変わってしまっている。
 中でも「ロシアってどんなところ?」「どんな食べ物があるの?」「一度行ってみたいわ」などと関心を持ってくれていた人たちほど態度の変化が激しい。
 彼らにとってはプーチン=ロシア人=人殺しなのだ。
 残忍な民族だと思われているに違いないのだ。
 しかしそれはもっともなことでもあった。
 ウクライナ侵攻以来、テレビも新聞もネットニュースも残虐非道(ざんぎゃくひどう)なロシア軍の行為をこれでもかというくらい伝えているのだ。
 ロシア人のイメージが最低になるのは当然だった。