作戦の失敗を受けて、ベラルーシに派遣していた部隊に進軍を命じた。
 一気呵成(いっきかせい)にキエフを攻め落とそうとしたのだ。
 しかし、順調だったのはチェルノブイリ原発を占領するまでだった。
 圧倒的な戦力の差によって短期間でキエフを制圧できると踏んでいたが、目論見(もくろみ)通りにはいかなかった。
 予想以上の反撃にあったこともあるが、それ以上にロシア軍の統制が取れていないことが大きかった。
 笛吹けど踊らずの状態が続いたのだ。
 それに業を煮やしたお前は部隊の司令官を前線に送り込んだが、これが裏目に出た。
 次々に殺害されてしまったのだ。
 それは、ウクライナ軍に協力した民間人によるドローン情報に加えて、西側諸国から提供された情報が狙撃の確率を高めていたことによるものだった。
 米軍の空中警戒管制機(AWACS)やイギリス軍の電子偵察機によってロシア軍の動きをリアルタイムに掴まれるだけでなく、それがウクライナ軍に共有されて反撃に使われていた。
 アメリカから提供された携帯型対戦車ミサイル『ジャベリン』や携帯型対空ミサイル『スティンガー』によって進撃を止められてしまったのだ。