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 日本の国土の1.6倍の面積を持ち、4千万人強の人々が暮らすウクライナは、数奇(すうき)で不幸な運命をたどってきた。
 古くはモンゴルやポーランド、リトアニアなどに占領され、その後はソヴィエト社会主義共和国連邦成立と共にその一部に組み込まれ、更に、第二次大戦時にはドイツに占領されと近隣諸国に翻弄(ほんろう)されてきたのだ。
 更に、チェルノブイリ原発事故という大惨事に見舞われている。
 
 そんなウクライナがやっと独立を果たしたのが1991年だった。
 ソ連邦の崩壊によって、ウクライナ人が8割近くを占める国家を樹立することができたのだ。
 しかし、その後の道のりは平坦ではなかった。
 親欧米派と親ロシア派の対立による混乱だ。
 それは、大統領選挙における不正に抗議する2004年のオレンジ革命や、当時の大統領が失脚してロシアに亡命することになった2014年のマイダン革命による混乱だった。
 そしてそれがクリミア危機に繋がっていく。
 親ロシア派大統領の失脚に反発したロシアは一方的にクリミア半島を併合し、更に、東部ドンバス地方の一部の実質支配を始めたのだ。
 その後、局地的な争いが続くことになる。