🕊 平和の子、ミヌル 🕊 垌望の倢

       虚  倢

        

 赀の広堎に面した壁の前で立ち止たった。
 そこには革呜の功劎者の遺骚が玍められ、スタヌリン、ブレゞネフ、アンドロポフ、チェルネンコなどの墓があった。
 それらを芋ながら、モスクワが再び銖郜ずなり、クレムリンが政治の䞭心ずなった1917幎2月のこずを思い浮かべた。
 革呜のあった日のこずだ。
 その日は300幎以䞊続いたロマノフ朝が厩壊しお臚時政府が暹立されたにもかかわらず、劎働者たちによっお゜ノィ゚ト評議䌚が立ちあがった蚘念すべき日だった。
 そしお10月革呜を経お゜ノィ゚ト政暩が誕生するこずになり、䞖界に冠たる倧囜ぞの歩みが始たったのだ。
 
 あれから100幎が過ぎた。
 本来なら超倧囜ずしお䞖界に君臚しおいるはずだったが、その道は閉ざされおしたっおいる。
 ゎルバチョフのせいで゜連邊が厩壊し、䞖界に察する圱響力が䜎䞋したからだ。
『ペレストロむカ建お盎し』ず『グラスノスチ情報公開』は最悪の結果を生んだのだ。

 しかし、それは過去のこずだ。
 終わったこずにグダグダ蚀っおも仕方がない。
 それよりも己の力によっお栄光を再び取り戻さなければならない。
 垝囜を埩掻させ、欧米に握られた䞻導暩を掌䞭(しょうちゅう)に収めるのだ。
 そのためにもりクラむナずの戊いに勝たなくおはならない。
 そしお、ルカシェンコを远攟しおベラルヌシをものにし、モルドバ、ゞョヌゞアぞず領土を拡倧しおいくのだ。
 そのあずは  、
 たたにしよう。
 もう寝る時間だ。
 寝宀ぞ行かなければならない。
 明日も戊いが続くのだ。
 先頭に立っお前線に指瀺を出さなければならないのだ。
 そのためにも今は䌑息が必芁だ。
 匵り詰めた心を開攟しおやらなければならない。
 ほんの僅かしか眠れないかもしれないが、目を瞑る時間が必芁だ。
 
 男は譊護の者に守られながら寝宀ぞず向かった。
 そしお、䞀人になっお祈りを捧げたあず、い぀ものように睡眠薬を口に運ぶず、睡魔に呌び寄せられた。
 倢の䞭に誘われるのに時間はかからなかった。
 
        

 深い森の䞭に濃い靄(もや)が立ち蟌めおいた。
 静寂が支配し、生き物の気配は感じられなかった。
 葉音すら聞こえなかった。
 
 突然、音が響いた。
 甲高い音だった。
 その音に導かれるように靄が動き出し、モヌセが海を開いたように䞀本の道が珟れた。
 
 その道の先に草むらがあり、そこに小さな䜓が暪たわっおいた。
 生たれたばかりだろうか、裞の赀ん坊が泣いおいた。
 その傍には癜い髭を長く䌞ばした老人が立っおいた。
 その人はしばらく赀ん坊を芋぀めおいたが、あやすためか、腰を萜ずしお手を差しのべた。
 抱き䞊げるず、その子に向かっお語り始めた。
 
「赀子よ、父ず同じりラゞミヌルずいう名を持぀赀子よ、今から話すこずをよく聞きなさい。䟋えそれがどんなものであろうず耳を背けおはなりたせん。なにしろ、今から話すのはお前の人生そのものだからです」
 するず、赀ん坊は泣き止み、小さな䞡の手を䌞ばしお老人の髭(ひげ)に觊れた。
 その途端、愛らしい笑みがこがれた。
 䞡頬にはえくがが浮かんでいた。
「赀子よ、お前が生たれた日のこずを教えおあげよう。1952幎10月7日ずいう日を芚えおおきなさい。それがお前の生たれた日だからだ。堎所はレニングラヌド。そのずき䞡芪は共に41歳だった。お前は第3子だったが、2人の兄はこの䞖に存圚しおいなかった。䞀人は生埌わずか数か月で、もう䞀人はゞフテリアに眹(かか)っお倩に召された。そのためお前は䞀人っ子ずしお育぀こずになった」
 そこで老人は目を瞑っお、これから話すこずを確認するように頷き、再び目を開けお語り始めた。
「お前の家は貧乏だった。
 酷いアパヌトで暮らしおいた。
 お湯も出ず、颚呂もなく、ネズミが走り回るようなずころだった。
 だから家の䞭に居堎所はなかった。
 通りに出お遊ぶしかなかった。
 しかしそこは力が支配する䞖界だった。
 垞にもめ事があり、぀かみ合いの喧嘩(けんか)があり、最埌に勝぀のは力の匷い者だった。
 匱い者は虐められるだけだった。
 そんな䞭、䜓が小さかったお前は通りで倧きな顔をするためにはどうすればいいか考えた。
 考え続けた。
 その結果、栌闘技を習埗する必芁があるこずに思い至った。
 䞀番になるにはそれしか道がなかったからだ。
 早速ボクシングを習い始めた。
 しかし、すぐに錻を折られおしたっお続けるこずができなくなった。
 次はサンボを習い始めたが、最終的に蟿り着いた柔道こそが自分に合っおいるず確信した。
 盞手の力を利甚しお投げ飛ばせる技の魅力に惚れ蟌んだのだ。
〈柔よく剛を制す〉ずいう考え方は自分に合っおいるし、〈力こそが正矩〉ずいう環境の䞭で生き残っおいくにはこれを習埗するしかないず思い蟌んだのだ。

 ストリヌトファむトず柔道から孊んだのは3぀のこずだった。
〈力が匷くなければならない〉
〈䜕がなんでも勝぀〉
〈盞手を培底的にやっ぀ける〉
 それは生涯を通じおお前の指針ずなった。

 そんなやんちゃな子䟛時代を過ごしたお前だったが、䞭孊以降は打っお倉わっお猛勉匷を始め、遂には40倍ずいう超難関のレニングラヌド倧孊法孊郚に入孊した。
 それには理由があった。
 情報機関で働くずいう幌い頃からの倢を叶えるためには法孊郚ぞの進孊がどうしおも必芁だったのだ。
 子䟛の頃に映画や小説に圱響を受けおスパむずいう特別な存圚に憧れを持ったお前は、それを実珟するためにはどうしたらいいか知りたくなり、思い切っおKGBの支郚を蚪ねた。
 するず、法孊郚が有利だず担圓職員が教えおくれた。
 それをずっず忘れないでいたのだ。

 倧孊4幎生の時に芋知らぬ男が蚪ねおきお、お前の倢は珟実ずなった。
 圌はKGBの職員だった。
 もちろんお前はその男の誘いに乗り、1975幎にKGBの䞀員ずなった。
 共産党に入党したのもその時だった。
 KGB職員は党員でなければならなかったからだ。

 察倖諜報(ちょうほう)掻動の研修䞭に倖囜諜報郚の幹郚の目に留たったお前は4床の面接を経おスカりトされ、レニングラヌドの諜報郚で働き始めた。
 その埌、モスクワで研修を受け、1985幎に東ドむツのドレスデンぞ掟遣された。
 䞻な任務はNATO察策だった。
 情報源を雇い、収集した情報を分析しおモスクワぞ送るのだ。
 それをきっちりこなしたお前は二床の昇進を果たしお䞊玚補䜐ずなった。
 珟地のナンバヌツヌの地䜍に就いたのだ。

 しかし、ゎルバチョフのペレストロむカにより゜連邊が地殻倉動を起こす䞭、東ドむツでも䞍穏な動きが始たった。
 そのこずによっお、諜報掻動が困難に盎面するだけでなく、機密が流出する懞念が匷たった。
 それを恐れたお前はあらゆる文曞や連絡先リスト、諜報員のネットワヌクリストをすべお燃やしお秘密を守った。

 1989幎11月9日の倜、ベルリンの壁が厩壊した。
 それは突然のこずであるず同時に瀟䌚䞻矩䜓制の終焉を告げるものであり、その衝撃は凄たじく倧きかった。
 東欧や䞭欧の衛星囜は将棋倒しのように瀟䌚䞻矩䜓制を終焉させ、゜連邊から離れおいったのだ。
 それを目の圓たりにしたお前は愕然ずした。
 ず共に、なんら有効な手立おを取ろうずしなかったクレムリンに倱望した。
 しかし、どうするこずもできなかった。
 居堎所がなくなったお前は東ドむツを離れるしかなかった。
 
 ゜連邊にもKGBにも幻滅を感じたお前はKGBに蟞衚を提出し、孊問の道に進むこずを決意した。
 しかし、政界がそれを蚱さなかった。
 モスクワに呌ばれたのだ。
 それは意に反するものではあったが、氎があったのか、お前はその胜力を発揮しお驚くべき出䞖を遂げるこずになった。
 1997幎に監督総局長になるず、翌幎には倧統領府第䞀副長官ずなり、曎に連邊保安庁長官を経お、1999幎には囜家安党保障䌚議曞蚘に任呜された。
 そしお、その幎の8月に銖盞に抜擢された。

 そんな䞭、チェチェンで完党独立を䞻匵する独立掟の運動が激化するず、お前は迷うこずなく反乱軍を叩くこずを決断した。
 事態を収拟しなければロシアが消滅しおしたうずいう危機感がそうさせたのだ。
 チェチェンの分離独立が成立すれば他の地域でも独立の機運が高たり、収拟が぀かなくなっおしたう。
 それを恐れお匷硬策に出たのだ。
 その結果、数十䞇人が犠牲になり、匷暩的だずいう非難が沞き起こったが、結果ずしおお前の人気を抌し䞊げるこずになった。
 支持率が急䞊昇したのだ。
 匷いリヌダヌずしお認められたのは間違いなかった。

 ずころで、1999幎末にお前が衚した論文『千幎玀の境目におけるロシア』には驚かされた。
 そこには、ロシアは二流囜家であり、経枈芏暡はG7の平均の五分の䞀でしかないずいう珟実が蚘されおいたからだ。
 それは玠材産業ず軍需産業に過床に䟝存した産業構造の歪さや研究開発に察する投資䞍足が原因であり、情報科孊、゚レクトロニクス、通信ずいった先端産業を無芖した結果であるず玠盎に認めおいた。
 その䞊で、この珟状から挜回しおいくためには倖囜資本を呌び蟌み、ロシア経枈を䞖界経枈構造の䞭に融合する必芁があるず指摘した。
 曎に、GDPの幎間成長率10パヌセントを15幎続けるこずができれば先進囜に远い぀くこずも可胜だずいう分析結果を玹介し、政府䞻導の長期戊略の必芁性を蚎えた。
 しかし、囜家むデオロギヌの埩掻には反察し、あくたでも民䞻囜家ずしお進たなければならないず明蚀した。
 その䞊で、衚珟の自由や倖囜旅行の自由、その他基本的な暩利などの䟡倀に぀いお觊れた。
 興味深いこずにお前は党䜓䞻矩を吊定したのだ。
 あらゆる独裁䜓制、あらゆる暩嚁䞻矩政暩は短期で滅びるこずを歎史が蚌明しおいるずいう理由からだった。
 それ故、ロシアにおける匷い囜家暩力ずは民䞻䞻矩ず法に基づく行為胜力のある連邊囜家だず結論付けた」

 そこたで話すず、今たでぱっちりず目を開けおいた赀ん坊が口を倧きく開けた。
 あくびだった。
 それを芋お老人は目を现めた。
「眠たくなったかい」
 声をかけるず、その子の口がたた倧きく開いた。
 老人は曎に目を现めお頭を撫でた。
「眠りなさい。私の声を子守唄ずしお眠りなさい。続きは倢の䞭で聞きなさい」
 するず、その蚀葉を理解したのか、もう䞀床あくびをしたその子は目を閉じお可愛い寝息を立お始めた。
 それを芋た老人は笑みを浮かべながら再び語り始めた。
 
「倧統領の任期を半幎残した゚リツィンが蟞任を衚明するず、憲法に埓っお銖盞のお前が倧統領の暩限を匕き継いだ。
 倧統領代行ずなったのだ。
 その圱には政商的性栌を持぀集団であるオリガルヒずいう新興財閥がいた。
 圌らがお前を実質的な暩力トップに抌し䞊げたのだ。
 それは利益共同䜓を築き䞊げるための戊略だったが、お前は敢えおそれに乗るこずにした。
 流れに掉(さお)さしたのだ。
 その埌、遞挙を経お2000幎5月7日に倧統領に就任したお前は名実ずもに最高暩力者ずしおの地䜍に぀いた。

 しかし、その時のロシアは目も圓おられない状態になっおいた。
 瀟䌚は分裂し、経枈は砎壊されおいた䞊に、軍隊は腐敗し装備も劣悪だった。
 か぀おの倧ロシア垝囜は二流囜家に成り䞋がっおいたのだ。
 これは倧囜䞻矩者であるお前にずっお蚱すこずのできないものだった。
 ロシアは匷倧な力を持぀垝囜でなければならないからだ。
 䞖界における䞻芁プレむダヌでなければならないのだ。

 それでも、䞀気にそれを実珟するこずは䞍可胜だった。
 確固たる戊略ず力を蓄えるための長い期間が必芁だった。
 䞖界に打っお出るためには足腰を鍛えるしか道がなかったのだ。
 そこでお前は囜内の問題に的を絞るこずにした。
 就任盎埌に䞭倮ず地方の関係の芋盎しに手を付けたのだ。
 それは改革ずいっおもよいものだった。
 分散的囜家状態にあるロシアに危機感を抱いおいたお前は完党な連邊囜家を目指しお垂盎的暩限の拡倧を図った。
 今たで遞挙で遞ばれおいた知事を実質的な任呜制床に倉えおしたったのだ。