2週間後に第2回会合が行われ、各社が持ち寄った情報を項目毎に整理し、分析を行った。
 それが凄かった。
 日本を代表する企業とその精鋭だけあって無駄がまったくないのだ。
 それは第1回会合でプロジェクトの意義を共有できたことによるものだと思われたが、彼らの能力の高さを証明するものでもあった。
 
 分析の結果、戦争終結時期を①1年後、②2年後、③3年後としてシミュレーションを始めることになった。
 また、日本だけの企業連合ではなく、欧米を巻き込んだ国際企業連合とする方向性が打ち出された。
 更に、多国間政府融資の実現に向けて働きかけを行うことも合意された。
 しかし、軌道変更については厳しい意見が相次いだ。
 現実的ではないというのだ。
 従来の線路を置き換えるのは莫大な費用と期間がかかる上、運行を長期間停止する必要があるため、却って復興への足枷(あしかせ)になるという意見が大勢を占めた。
 それらを聞いて心は重く沈んだが、鉄道会社から新たな提案が出されると救われたような気持ちになった。
 その人は「ウクライナの首都キーウとポーランドのクラクフ間で運行されている軌道可変電車の拡充が費用的にも期間的にも現実的である」と言ったのだ。
 
 軌道可変電車というのは、異なる軌道を直通運転させるためのシステムで、走行する軌間に合わせて車輪の左右間隔を変換するものであり、既にヨーロッパでは一部運行されているという。
 但し、動力を有しない貨客車での実用化に限られており、電車においてはまだ実用化されていないという。
 そこで、現在開発が中断してはいるが、九州新幹線の西九州ルートで採用する方針だった技術を活用すればいいのではないかというのだ。
 
「日本の場合、在来線の1,067ミリという狭軌から新幹線の1,435ミリという標準軌へ368ミリも変換しないといけないため開発が難航したのですが、ウクライナと欧州の間ではその差が85ミリしかないため難易度はかなり低くなるものと思われます。それに、日本が動力車を提供して貨客車をポーランドが提供するようにすれば、ウクライナ難民を全面的に支援してきたポーランドの貢献にも報いることができるようになると思うのです。いかがでしょうか」
 彼が言い終わるなり、会場から大きな拍手が沸き起こった。
 それは、このプロジェクトを前に進めるための強力な起爆剤が点火したことを表すシグナルのように思えた。